彼氏の車にあった知らない女の香水を、そっと元に戻しておいた

彼氏の車にあった知らない女の香水を、そっと元に戻しておいた

渡り雨 · 完結 · 16.6k 文字

553
トレンド
4.5k
閲覧数
30
追加済み
本棚に追加
読み始める
共有:facebooktwitterpinterestwhatsappreddit

紹介

「もう、うんざりだ」の一言で、私たちは別れた。
みっともなく彼に泣きついてヨリを戻してから、私は『聞き分けのいい女』になった。

彼の行き先も、会う相手も、もう私の知るところではない。
車の中に知らない甘い香りが残っていても、私は静かに微笑むだけ。

なのに、彼はある日、氷のような声で言った。

「お前は、どうして嫉妬しないんだ?」

チャプター 1

 着信音が鳴った瞬間、降りる時が来たのだと悟った。

 シートベルトを外し、ドアを開けようと身構える。

 しかし、石川真逸が私の手首を掴み、引き留めた。

「待ってくれ、希乃」

 そう言った直後、彼は素早く電話に出ると、先ほどとは打って変わった穏やかな声色で話し始めた。

「ああ……すぐ行く。少し待っててくれ」

 私は静かに座ったまま、車内をなんとなく見渡し——視線を、置かれていた香水で止めた。

 エメラルドグリーンのボトル。限定品。デイジーの香り。

 私の香水ではない。私は花の香りが好きではないからだ。

 すぐに視線を戻す。これが誰の香水なのか、なぜ他の女の香水が車にあるのか、問いただすつもりはなかった。

 真逸は電話に応答しながら、こちらの顔色を窺っている。

 ようやく通話が終わると、彼は電話を切った。これでやっと降りられると思ったが、真逸は眉間を揉みほぐし、香水の由来について弁解を始めた。

「昨夜の接待で、雪羽が俺の代わりに酒を飲んでくれたんだ。彼女を送った時に忘れていったらしい」

「知ってるだろう、彼女は片山伯父さんの娘だ。多少は面倒を見てやらないと」

「だが誓って言うよ。過去も現在も未来も、彼女とは何の関係もない」

 私は何気なく答えた。

「わかってる。信じてるわ」

 真逸は呆気にとられていた。

 私の反応があまりに平然としていて、予想外だったのかもしれない。

 一瞬の空白の後、彼は我に返って尋ねた。

「君は普段ここで降りたりしないのに、どうして今日は——」

「約束があるんでしょ?」

 私は問い返した。

「どうしてまだ行かないの?」

 彼は気まずそうに私の手を離し、腕時計に目をやった。

 私も無意識に、自分の手首にある時計へと視線を落とす。

 これはペアウォッチだ。付き合っていた頃、彼が贈ってくれたもの。

 文字盤の針は、八時二十分を指している。

 彼がすぐに出発しなければ、私は遅刻してしまう時間だ。

「サンセット・レストランを夜六時に予約してある」

 彼は突然ハンドルを強く握り締め、私に約束した。

「希乃、俺は八周年記念日を忘れてない」

「七周年の時は、俺が悪かった」

「これからは、どんな記念日も絶対に欠席しない」

 私は伏し目がちに彼を見た。

 七周年の時、彼は片山雪羽のために、デートを待ちわびていた私を置き去りにした。

 当時は胸が張り裂けそうで、帰宅してから彼と激しい喧嘩になった。

 今思えば、あそこまで喧嘩する必要なんてなかったのかもしれない。

「希乃?」

「うん」

 頷いて、ドアを閉める。

 黒塗りのセダンは、すぐに車の流れに消えていった。

 私はその場に立ち尽くし、彼に握られて微かに赤くなった手首を見つめる。

 これから。

 私たちに、これからなんてあるのだろうか。


 機内の座席に着いた途端、目の前が真っ暗になり、その場に崩れ落ちそうになった。

 隣に座っていた親切な人が、飴を差し出してくれた。

「低血糖でしょう? 甘いものをどうぞ」

 私は飴を受け取った。

 甘ったるい味が舌の上で広がり、目眩はいくらか治まったが、今度は胃がもたれてくるのを感じた。

 眉をひそめ、口の中の甘さを上書きしたくて、無意識にバッグの中の飴を探る。

 真逸は私が低血糖持ちで偏食なのを知っていて、いつも私のバッグに好みの飴を常備してくれていた。

 今回も例外ではなく、バッグにはまだ彼が入れた飴が残っている。

 その飴をしばらく見つめてから、私は再びバッグの奥へと押し込んだ。

 やめた。他の飴にも慣れていかないと。

 シートの背もたれに身を預け、少し眠ろうと目を閉じる。

 けれど眠れそうになく、頭の中は感傷で埋め尽くされていた。

 私たちはどうして、こんなところまで来てしまったのだろう。

 実際、いつから心が離れてしまったのか、今でもはっきりとは分からない。

 一年前、片山雪羽が昇進した時からだろうか。

 あの日、石川財閥内部で噂が流れた。新人の片山雪羽が異例の抜擢で部長になり、彼女を軽んじていた元の上司が翌日には解雇されたと。

 同僚たちは陰で囁き合っていた。

「時期社長夫人ってことか?」

「やっぱり片山姓は強いな!」

「片山議員が直々に石川社長へ電話を入れたらしいぞ」

「政略結婚だろ、時間の問題さ」

 給湯室に立ち尽くし、手にしたコーヒーが冷め切るまで、私はその会話を聞いていた。

 その日の夜、また真逸の携帯が鳴った。

 彼は箸を置き、ベランダへ出て電話に出た。

 ガラス戸越しに、彼の目元が緩んでいるのが見えた。

 電話を終えて戻ってきた彼は、私に言った。

「会社に行かないと」

「今から? もう九時よ」

 壁の時計を見て私が言う。

「ああ」

 彼はコートを羽織った。

「先に寝ててくれ」

 ドアが閉まる音は、とても静かだった。

 彼が帰ってきたのは深夜二時過ぎ。私はまどろみの中で、彼が忍び足で寝室に入り、私の額にキスをするのを感じた。

 その後、同僚たちのグループチャットで、彼らの情報を頻繁に目にするようになった。

 ある日、チャットに一枚の写真が投稿された。添えられた文字は『社長と片山部長が東京都現代美術館でデート? これって付き合ってる?』。

 写真の中で、真逸と雪羽は並んで印象派の絵画の前に立っていた。

 雪羽が何かを話し、真逸がわずかに首を傾けて耳を傾けている。

 私はその写真を凝視し、指先を画面の上で長く止めたまま動けなくなった。

 この展覧会は私も行きたくて、彼に何度も一緒に行こうとねだったものだった。

「こういう芸術鑑賞は時間の無駄だ」

 彼は顔も上げず、ノートパソコンのレポートを見たまま言った。

「興味がない」

「でも、真逸——」

「希乃」

 彼は顔を上げた。

「俺は忙しいんだ」

 それ以上は聞かなかった。なのに、まさか片山雪羽と行っていたなんて。

 その夜、私は彼を問い詰めた。

「今日、展覧会に行ったの?」

「俺を監視してるのか?」

 彼は冷ややかな目で私を見た。

「ただ知りたいだけよ。どうして私が誘った時は時間の無駄だと言ったのに、雪羽となら——」

「仕事の付き合いだ。重要顧客の相手をしてたんだ」

 彼は私の言葉を遮った。

「いちいち君に報告が必要か?」

「重要顧客? 石川真逸、別れたいならはっきり言ってよ、こんなふうに私を苦しめないで!」

「君は俺への最低限の信頼すらないんだな」

 彼は背を向け、部屋を出て行こうとする。

「話すことはない」

「待って——」

 バン。

 重々しい音を立てて、扉が閉ざされた。

最新チャプター

おすすめ 😍

俺様社長とその婚約者——すれ違う愛

俺様社長とその婚約者——すれ違う愛

17.3k 閲覧数 · 連載中 · 紗良益子
私のバレエダンサーとしてのキャリアが崖っぷちに立たされていたその日、婚約者は別の女と一緒に産婦人科で妊婦健診を受けていた。

問い詰めても、彼は何も答えようとしない。私は決意した——こんな馬鹿げた婚約など、破棄してしまおうと。

その後、私は一千万円を投じて、彼にそっくりな若い男を囲った。

やがて事態は思わぬ方向へと転がり始める。元婚約者との間には、何か重大な誤解が横たわっているようだった。けれど、それが運命のすれ違いなのか、それとも世界が仕組んだ悪戯なのか——私たちはもう、二度と交わることのない道を歩み始めていた。
婚約破棄後、私はヤクザの組長と結婚した

婚約破棄後、私はヤクザの組長と結婚した

28.6k 閲覧数 · 連載中 · やもり
裏切りと陰謀が渦巻く世界で、妃那(えな)は突然の誘拐事件に巻き込まれる。
救いの手を差し伸べたのは謎めいた男・葉夜(かなや)だったが、彼の真意は読めない。
一方、妃那の宿敵であり自信家の祈葉(いのか)は、自らの美貌と魅力を武器に黒社会の頂点を目指すが、
思いもよらぬ残酷な試練に追い込まれていく。
誤解と嫉妬、愛と憎しみが絡み合い、
それぞれの思惑がやがて一つの危険な運命へと収束していく――。
転生して、家族全員に跪いて懺悔させる

転生して、家族全員に跪いて懺悔させる

272.1k 閲覧数 · 連載中 · 青凪
婚約者が浮気していたなんて、しかもその相手が私の実の妹だったなんて!
婚約者にも妹にも裏切られた私。
さらに悲惨なことに、二人は私の手足を切り落とし、舌を抜き、目の前で体を重ね、そして私を残酷に殺したのです!
骨の髄まで憎い...
しかし幸いなことに、運命の糸が絡み合い、私は蘇ったのです!
二度目の人生、今度は自分のために生き、芸能界の女王になってみせる!
復讐を果たす!
かつて私をいじめ、傷つけた者たちには、十倍の報いを受けさせてやる...
偽物令嬢の逆転劇

偽物令嬢の逆転劇

11.2k 閲覧数 · 連載中 · ひかり
「泥棒女め、今すぐこの家から出て行きなさい!」

実の娘が戻ってきたその日、私はゴミのように家を追われた。
病弱な「お嬢様」の生きる輸血パックとして虐げられ、血を搾り取られ続けてきた日々。用済みになった途端、身に覚えのない盗みの罪を着せられ、婚約者からも冷酷に捨てられた。
元家族たちは、私が「貧しい田舎で野垂れ死ぬ」と信じて疑わなかった。

だが、彼らは何も知らなかったのだ。
私が、世界中のVIPが縋る伝説の名医であることも。
私を迎えに来たオンボロトラックが、実は国家機密級の超高級カスタムマシンであることも。
そして、私の本当の実家が、国さえも動かす世界屈指の超巨大財閥だということも!

「今まで苦労をかけたね、私たちの可愛いお姫様」
生き別れていた超過保護な両親と、各界の頂点に君臨する最強の兄たちに狂おしいほど溺愛されるシンデレラライフが幕を開ける!
一方、大切な「命の恩人」を自ら捨てた元家族たちには、破滅へと向かう絶望の後悔タイムが待ち受けていて!?

虐げられた天才少女が本当の愛と富を掴み取る、逆転ファンタジー、ここに開幕!
溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

236.3k 閲覧数 · 連載中 · 朝霧祈
原口家に取り違えられた本物のお嬢様・原田麻友は、ようやく本家の原田家に戻された。
──が、彼女は社交界に背を向け、「配信者」として自由気ままに活動を始める。
江城市の上流社会はこぞって彼女の失敗を待ち構えていた。
だが、待てど暮らせど笑い話は聞こえてこない。
代わりに、次々と大物たちが彼女の配信に押しかけてくるのだった。
「マスター、俺の命を救ってくれ!」──某財閥の若社長
「マスター、厄介な女運を断ち切って!」──人気俳優
「マスター、研究所の風水を見てほしい!」──天才科学者
そして、ひときわ怪しい声が囁く。
「……まゆ、俺の嫁だろ? ギュってさせろ。」
視聴者たち:「なんであの人だけ扱いが違うの!?」
原田麻友:「……私も知りたいわ。」
届かない彼女

届かない彼女

96k 閲覧数 · 連載中 · 鯨井
愛のない結婚に身を投じてしまいました。
夫は、他の女性たちが私を理不尽に攻撃した時、守るどころか、彼女たちに加担して私を傷つけ続けたのです...
完全に心が離れ、私は離婚を決意しました。
実家に戻ると、父は莫大な財産を私に託し、母と祖母は限りない愛情で私を包み込んでくれました。まるで人生をやり直したかのような幸福に包まれています。
そんな矢先、あの男が後悔の念を抱いて現れ、土下座までして復縁を懇願してきたのです。
さあ、このような薄情な男に、どのような仕打ちで報いるべきでしょうか?
今さら私の墓前で悔いるな

今さら私の墓前で悔いるな

37.9k 閲覧数 · 連載中 · 神奈木
あの頃、私はまだ木村家の長女だった。
学校は私にとって、遊び場が変わっただけのようなものだった。
けれど、私は次第に気づいていった。どの授業でも一番前の席には、いつも同じ真面目な男子学生が座っていることに。
そして、いつも学校の一等奨学金が、同じ名前の生徒に贈られることに。山本宏樹。
いつからか、私は彼の後を追いかけるようになっていた。
大学の卒業式で、山本宏樹は奨学金を得た優秀な卒業生だった。
彼は卒業生代表の挨拶の場で、私が彼の恋人だと公言し、全校生徒数万人の前でプロポーズしてくれた。
あの頃、彼は前途有望な若き社長で、卒業前からすでに自分の会社を立ち上げていた。
一方の私は、骨肉腫だと診断されたばかりで、明日の太陽を見ることさえ贅沢な望みだった。
私は彼のプロポーズを断り、それから治療のために海外へ渡った。
しかし誰もが、私が貧乏な若者である彼を見下し、金持ちの御曹司に乗り換えて海外へ行ったのだと思っていた。
帰国後、彼は私に五百万円を投げつけ、彼と結婚するように言った。
不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる

不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる

570.8k 閲覧数 · 連載中 · 七海
初恋から結婚まで、片時も離れなかった私たち。
しかし結婚7年目、夫は秘書との不倫に溺れた。

私の誕生日に愛人と旅行に行き、結婚記念日にはあろうことか、私たちの寝室で彼女を抱いた夫。
心が壊れた私は、彼を騙して離婚届にサインをさせた。

「どうせ俺から離れられないだろう」
そう高をくくっていた夫の顔に、受理された離婚届を叩きつける。

「今この瞬間から、私の人生から消え失せて!」

初めて焦燥に駆られ、すがりついてくる夫。
その夜、鳴り止まない私のスマホに出たのは、新しい恋人の彼だった。

「知らないのか?」
受話器の向こうで、彼は低く笑った。
「良き元カレというのは、死人のように静かなものだよ?」

「彼女を出せ!」と激昂する元夫に、彼は冷たく言い放つ。

「それは無理だね」
私の寝顔に優しくキスを落としながら、彼は勝ち誇ったように告げた。
「彼女はクタクタになって、さっき眠ってしまったから」
家族を離れ、自由を望んでる私は既にある者の虜になった

家族を離れ、自由を望んでる私は既にある者の虜になった

56.6k 閲覧数 · 連載中 · 鯨井
彼氏に裏切られた後、私はすぐに彼の友人であるハンサムで裕福なCEOに目を向け、彼と一夜を共にした。
最初はただの衝動的な一夜限りの関係だと思っていたが、まさかこのCEOが長い間私に想いを寄せていたとは思いもよりなかった。
彼が私の元彼に近づいたのも、すべて私のためだった。
億万長者の夫との甘い恋

億万長者の夫との甘い恋

78.6k 閲覧数 · 連載中 · 青凪
長年の沈黙を破り、彼女が突然カムバックを発表し、ファンたちは感動の涙を流した。

あるインタビューで、彼女は独身だと主張し、大きな波紋を呼んだ。

彼女の離婚のニュースがトレンド検索で急上昇した。

誰もが、あの男が冷酷な戦略家だということを知っている。

みんなが彼が彼女をズタズタにするだろうと思っていた矢先、新規アカウントが彼女の個人アカウントにコメントを残した:「今夜は帰って叩かれるのを待っていなさい?」
妻が去り、妊娠を知った俺は、ただ泣き崩れるしかなかった

妻が去り、妊娠を知った俺は、ただ泣き崩れるしかなかった

390.3k 閲覧数 · 連載中 · 蛙坂下道
鈴木七海は、中村健に好きな人がいることをずっと知っていた。それでも、彼との結婚を選んだ。
しかし、結婚して5年後、彼は離婚を切り出した。その時初めて、彼の想い人が私の父の隠し子(私の異母兄弟)だと知った。
離婚を決意した七海だったが、その時にまさかの妊娠が判明した。
双子の秘密

双子の秘密

34.6k 閲覧数 · 連載中 · 鯨井
冷たい契約結婚を3年間経て、一夜の情事の後、彼女は無慈悲にも彼と離婚しました。彼の目には自分がずっと悪役だったことを悟り、彼女は去ることを選びましたが、三つ子を妊娠していることを知りました。しかし、子供たちの誕生後、次男の謎めいた失踪は消えることのない傷跡を残しました。

5年後、彼女は子供たちを連れて戻ってきましたが、再び彼と出会ってしまいます。長男は彼の傍にいた少年が、失踪した弟だと気付きました。血のつながった兄弟は身分を交換し、誇り高きCEOである父親が母の愛を取り戻すための計画を立てたのです。