紹介
秘密を探るために彼の家に住み込んだら、私のことばかり書かれた謎のノートを発見。これって密かな片思い…?と思いきや、実は父親同士の確執が原因だったなんて!
お互いの正体を明かしてキスで想いを確かめ合った矢先、今度は本当の「事故」で彼が私を忘れてしまった。
今度は私の番。絶対に逃がさないから。
もう一度、あなたを私に恋させてみせる。
チャプター 1
桜浜の秋雨が、『故郷の豆』喫茶店の窓を叩き、鈍くリズミカルな音を立てていた。店内には数えるほどの客しかおらず、コーヒー豆の香りと、えもいわれぬ緊張感が空気に満ちている。
私はカウンターの後ろに立ち、コーヒーマグを拭いていた。無造作にまとめた髪から数本の毛束がこぼれ落ち、頬をくすぐる。それを耳にかけようとした拍子に、ジーンズについた真新しいコーヒーの染みが目に入ってしまった。
「まったく、もう」と私は小声で呟き、マグカップについた頑固なコーヒーの輪ジミをごしごしと擦った。今日は特に忙しい一日で、コーヒー豆のロゴが入ったTシャツは汗で背中に張り付いている。
焙煎室から、葉山浩二が現れた。その長身が、背後から差し込む陽光をほとんど遮ってしまうほどだった。
私の宿敵。エプロン姿でさえ、腹立たしいほど完璧なそのシルエットは、まるでコーヒーのCMから抜け出してきたみたいだ。ちくしょう、なんで私はいつもこんなことばかり気になるんだ? 少し癖のあるダークブラウンの髪、濃い色のシャツの袖は肘までたくし上げられ、たくましい前腕がのぞいている。
私は無理やり視線を逸らし、目の前のマグカップに意識を集中させた。
三年前、大学を卒業した私たちは、二人ともここで働くことを望んだ。望月さんは一人しか雇うつもりがなかったのに、面接であまりにも激しく言い争ったものだから、とうとう音を上げて「もういいから、二人とも採用だ」と言ったのだ。その時は、大当たりだと思った。今となっては、それがどれほどの代償を伴うものだったか、よくわかる。
この三年で私たちがした喧嘩の数は、この店が売ったコーヒーカップの数を軽く超えるだろう。しぬ!
「望月さんが俺たちに会いたいそうだ」。彼の声は低く、かすかな緊張の色を帯びていた。
私は顔を上げ、警戒心を瞳に浮かべた。「二人とも? 一緒に?」
「みたいだな」。浩二は私の視線を避けた。「何か大事な発表があるそうだ」
私たちは店の奥にある小さなオフィスに向かった。望月さんはデスクの後ろに座っている。その白髪は照明の下で銀色に輝き、顔の皺はコーヒー豆の溝のように深い。いつもより真剣な面持ちだった。
「座りなさい、君たち」。望月さんは目の前の二つの椅子を指差した。
浩二と私は、間に腕一本分の距離を保ちながら、慎重に腰を下ろした。空気中の緊張は、今にも爆発しそうだった。
望月さんは咳払いをした。「君たちも気づいていると思うが、最近どうも疲れが溜まっていてね。医者からは、引退を考えるように言われているんだ」
心臓が激しく鼓動を始めた。この喫茶店は私の夢だった。三年間、店の隅々まで自分の家のように大切に働いてきたのだ。
「この店を、君たちのどちらかに譲ることに決めた」。望月さんの言葉は、部屋に投下された爆弾のように炸裂した。
「私がやります!」。思わず言葉が口をついて出ていた。衝動的な発言に気づき、顔が赤くなる。
浩二が私の方を向いた。その瞳に複雑な感情がよぎる。「望月さん、俺もこの店を引き継ぐチャンスをいただきたいです。俺は伝統的なコーヒーの淹れ方に深い理解がありますし、きっと.......」
「待って!」。私は彼の言葉を遮った。瞳には決意の炎が燃えている。「あなたの方が私よりふさわしいって言うの? 私は三年間ここで働いてきたのよ。常連さん一人一人の好みだって把握してる。この店にどんな革新が必要かもわかってる!」
「革新?」。浩二は冷たく笑った。「あなたの言う革新とやらは、伝統的なラテを、あのピンクのユニコーンラテみたいなものに変えることか?」
「少なくとも私の革新は客を呼んでるわ!」。私は立ち上がり、声が一段高くなった。「時代遅れのレシピにしがみついて、自分がコーヒーマスターだとでも思ってる誰かさんと違ってね!」
望月さんが、静止するように手を上げた。「やれやれ、二人も落ち着きなさい。一週間、考えさせてほしい。二人とも事業計画書を用意してくれ、この店に対する君たちの考えと、将来のビジョンを私に示してほしいんだ」
「証明してみせます」。私は歯を食いしばりながら言った。瞳には炎のような決意が宿っている。
「俺もだ」。浩二の声は低かったが、同じくらい固い決意が込められていた。
オフィスを出た後、私たちは裏の厨房にいた。見慣れたコーヒーの器具が私たちを取り囲んでいる。だが、その雰囲気は今や、剥き出しの敵意に満ちていた。
「あなたって相変わらず独善的ね!」。私はくるりと浩二の方を向き、その胸を指差した。「いつも自分が一番わかってると思ってる! 高校の時と一緒よ、いつだってあの偉そう葉山浩二!」
浩二の顔が瞬時に曇った。「少なくとも俺は、成功のために自分の信条を売り渡したりはしない。金持ちの男に頼ることしか知らない誰かさんとは違ってな!」
その言葉は、平手打ちのように私の顔を打った。大学時代の悟の優しさ、そして浩二が突然、私に冷たい態度を取り始めたあの頃のことが頭をよぎる。
「今、なんて言ったの!?」。私の声は怒りで震えた。「私の何を知ってるっていうの? 何も知らないくせに! 私がここで働くために何を犠牲にしたか、あなたにわかるわけない!」
「俺が知っていた梨乃は、とっくにいなくなったと思ってた」。浩二の瞳に痛みが走り、声がかすれた。「俺と秘密を分かち合った女の子。俺が悪夢を見た時に、ホットチョコレートを作ってくれた女の子。そして……」
彼は言葉を切ったが、その言葉に含まれた痛みは、すでに私たちの最後の見せかけをナイフのように切り裂いていた。
胸に鋭い痛みが走る。子供の頃のこと、屈託のなかった午後、浩二の優しい笑顔を思い出した。でも今は、すべてが変わってしまった。
「その子はもういないわ」。私は冷たく言い放った。「あなたがその手で殺したんだから!」
そう言うと、私は背を向けて厨房から駆け出し、喫茶店のドアを押し開けて雨の中へ飛び出した。
夕方の通りは人々でごった返し、雨水が視界をぼやかす。どこへ向かっているのかもわからなかった。ただ、逃げ出さなければならなかった。心を打ち砕いたあの場所から、かつて私の世界のすべてだった男の子から。
その時、背後から大きな衝突音が聞こえた。
思わず振り返ると、喫茶店の入り口にある年代物の銅製の看板が激しく揺れているのが見えた。強風のせいか、長年の劣化のせいか、看板が突然、留め具から外れたのだ。
避けようとしたが、雨で舗装が滑りやすくなっていた。足が滑り、バランスを崩す。
ガツン!
重い銅の看板が、私の頭を直撃した。瞬間、世界が真っ暗になった。
「梨乃!」。遠くから、パニックと絶望に満ちた浩二の声が聞こえた。
再び目を開けると、きつい白い光に目を細めた。病院の消毒液の匂いが鼻をつき、くしゃみが出そうになる。
「目が覚めましたよ!」。知らない女性の声がした。
なんとか目を動かすと、白衣を着た医者が私の瞳孔反応を調べているのが見えた。浩二はベッドの脇に立ち、紙のように青白い顔で、心配と罪悪感に満ちた目で私を見つめている。
「私……頭がすごく痛いです」。私は弱々しく、かすれた声で言った。
「正常な反応ですよ」。医者は優しく言った。「重い物にぶつかって、軽い脳震盪を起こしています。今夜は様子を見る必要がありますが、異常な症状がなければ明日には退院できます」
浩二が不安そうに一歩前に出た。「先生、彼女は大丈夫なんですよね? 全部俺のせいで……俺が彼女と口論しなければ、彼女は飛び出したりしなかった……」
医者は彼を安心させた。「あまり心配しないでください。ご家族に連絡して、入院手続きを済ませてください。ナースステーションは廊下の突き当たりです」
浩二はためらいがちに私を見た。「梨乃、ちょっと電話してくる。すぐに戻るから」
浩二の足音が廊下に消えていくと、私は天井を見つめながら、頭をフル回転させた。
待って。軽い脳震盪? 短期的な記憶の混乱?
なんてこと。これは神様からの贈り物だ。
もし私が記憶喪失のふりをしたら? 望月さんは、何も覚えていない、怪我をした哀れな女の子に、浩二と公正な競争をさせるだろうか?
これは完璧だ。あのくそ野郎と三年も争ってきたけど、今こそがゲームチェンジャーだ。
遠くで浩二が電話で焦った声を出しているのが聞こえる。「望月さん……はい、梨乃が事故に……病院に……」
私は頭の中で素早く計画を立てた。幸い、私は子供の頃から天性の役者だった。学校をサボるための仮病がバレたことなんて一度もない。
ごめんね、葉山浩二。あなたが戻ってきた時、目の前にいるのは、今日の喧嘩のことなんて全く覚えていない、完全に無垢な女の子よ。ふふふ~
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