紹介
控室にいた雅史は手を引っ込める間もなく、硬直したまま私を見つめていた。
彼の両親――かつて葬儀場で私の鼻先を指差し「お前が死ねばよかったのに」と罵った夫婦が、慌てふためいて彼の前に立ちはだかった。
「友香、落ち着いて。雅史にはやむを得ない事情があったの……」
佑莉は僅かに膨らんだお腹を押さえ、泣きながら言った。「ごめんなさい友香さん、子供には父親が必要なの。お願い、私たちを許して。私、彼を愛しすぎてしまったの」
私はその場で崩れ落ちるだろうと思った。叫び声を上げるだろうと。
でも、三年間私を眠れなくさせ続けた罪悪感も、自責の念も、恋しさも、真実を目の当たりにしたこの瞬間、まるで炎に焼かれて灰になるように消えていった。
何も残らなかった。
チャプター 1
エースパイロットだった夫が「墜落事故」で殉職してから三年。会社の追悼パーティーの舞台裏で、私は信じられない光景を目撃した。彼は、三歳になるその子のために、バースデーケーキを切り分けていたのだ。
控室にいた雅史は、伸ばした手を引っ込める間もなく、強張った表情で私を見つめた。
彼の両親――かつて葬儀の場で、「どうしてお前が死ななかったんだ」と私を罵倒したあの夫婦が、狼狽しながら彼の前に立ちはだかった。
「友香さん、早まらないでくれ。雅史には事情があったんだ……」
佑莉は少し膨らんだ腹を庇うように押さえ、泣きながら懇願した。
「ごめんなさい、友香。でも、この子にはパパが必要なの。お願い、私たちを許して……私はただ、彼を愛しすぎただけなの」
その場で泣き崩れ、絶叫するものだと自分でも思っていた。
だが、三年間、私から眠りを奪い続けた罪悪感、自責の念、そして思慕――それらすべては、この真実を目の当たりにした瞬間、業火に焼かれたように灰と化した。
後には、何も残らなかった。
今日は、雅史の「三回忌」――いや、あの事故から三年が経った日だ。
私は黒のスーツに身を包み、青葉航空の追悼式の片隅に佇んでいた。ステージ上では副社長が「英雄機長」を偲ぶスピーチを続け、大型スクリーンには、かつてコックピットに座る雅史の写真がスライドショーで流されている。
周囲から突き刺さる同情の視線。
「友香さんも大変だよな。三年経ってもまだ立ち直れていないなんて」
「彼女、以前はトップクラスの管制官だったらしいぞ。でも雅史さんの事故以来、レーダーのアラート音を聞くだけで手が震えるようになって、今は資料課で後方支援だとか」
私は俯いてお茶を一口含み、胃の底から込み上げる吐き気を無理やり押し殺した。
そう。「英雄の未亡人」という虚構のために、私はキャリアを失い、健康を損ない、命さえも落としそうになったのだ。
「友香、少し控室で休んだらどうだ? 顔色が悪いぞ」
同僚が心配そうに声をかけてくる。私は小さく頷き、人混みを避けて廊下の奥へと向かった。
廊下の突き当たりにあるドアは少しだけ開いていた。そこから漏れる光は、厳粛な会場の雰囲気とはあまりに不釣り合いだった。微かに聞こえる幼い子供の声。そして、楽しげなバースデーソング。
「ハッピーバースデー・トゥー・ユー……ハッピーバースデー、ディア亮太……」
低く、かつて私が何よりも愛した磁力のような響きを持つ、あの男の声。
私の足が、凍りついたように止まる。
この声は、七年間聞き続け、そして三年間焦がれ続けたものだ。骨になっても聞き分けられる自信がある。
雅史だ。
だが、雅史が操縦していた便は三年前、悪天候に見舞われて海に墜落したはずだ。機体は大破し、遺骨さえ見つからなかった。
私は気が狂ったに違いない。医者も言っていた。PTSDの症状で幻聴が聞こえることがあると。
震える手でドアを押そうとしたが、指先が触れた瞬間に引っ込めた。もし幻覚なら、中は無人のはず。だが、もし現実なら……
「パパ! 飛行機のケーキが欲しい!」
甘えるような子供の声が、ドアの隙間から鮮明に響く。
「わかった、パパが切ってあげるからね」
男の声には甘やかすような響きがあった。
「亮太はいつかパイロットになるんだもんな」
「雅史、声を抑えて。誰かに聞かれたら困るわ」
女の声は甘えるような、それでいて心配そうな調子だった。
佐藤佑莉。
雅史のいわゆる幼馴染であり、あの便のチーフパーサーだった女。当時の搭乗者名簿では、彼女もまた行方不明者リストに載っていた。
迷いは消えた。恐怖は、この瞬間、不気味なほどの冷静さへと変貌した。
私は、ドアを押し開けた。
控室の中央、円卓の上には三段重ねのケーキ。
赤いワンピースを纏った佑莉が、男に寄り添っている。ラフな服を着たその男は、三歳の男の子の手を握り、まさにケーキに入刀しようとしていた。
ドアの開く音に、三人が同時に振り向く。
その瞬間、時間が凍りついた。
雅史は子供をあやす手を止めることもできず、夢の中で毎晩泣きながら探し求めたその顔で、強張ったまま私を見ている。彼の瞳に残っていた笑みは、私の死人のような冷たい視線と衝突し、瞬時に消え失せた。
間違いなく彼だ。彼は死んでなどいなかった。怪我一つなく、妻と子に囲まれて幸せそうに生きている。
「友香……」
雅史の声は乾いていた。
佑莉は雅史の背後に身を隠し、怯えた子供が「うえーん」と泣き出す。
「パパ! 怖い!」
その「パパ」という一言は、強烈な平手打ちのように私の頬を打った。
発狂し、ヒステリックに叫び、彼らの顔を引き裂いてやる――そうなると思っていた。
だが奇妙なことに、私の心は凪のように静まり返り、むしろ笑い出したいくらいだった。
ああ、これが真実か。
三年間泣き続け、三度も自殺未遂をし、数え切れないほどの抗うつ剤を飲み込んでまで、私が知りたかった真実。
夫は空難事故で死んだのではなかった。
彼はただ、不倫の果てに、裏切りの果てに、そして綿密に計画された「死の偽装」によって、私の前から姿を消しただけだったのだ。
私はドアの前に立ち尽くしたまま、この温かい「三人家族」を見下ろし、口角を皮肉な形に歪めた。
「死んだはずの男にしちゃあ、ずいぶん元気そうじゃないか、機長」
雅史は顔面蒼白になり、反射的にこちらへ歩み寄ろうとする。
「友香、聞いてくれ、誤解なんだ、これは……」
「動くな」
私は冷たく言い放った。その声は、外を吹き荒れる寒風よりも冷徹だった。
「あと一歩でも動いてみろ。大声で人を呼んで見せてやるわ。私たちが深く愛した殉職ヒーローが、どうやって天国で妻子を設けたのかをね」
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人生を謳歌する
夫と息子に捨てられた私は、幸福という名の檻を抜け出すことにした
しかし現実の結婚生活は、私を泥のような惨めな境遇へと引きずり落とした。
夫と息子にとって、私は愛人の飼い犬にさえ劣る存在でしかなかったのだ。
離婚届に淡々と署名する二人の姿を前に、私の心は不思議と静まり返った。
「そう、それでいいわ」
最後に乾いた笑みを浮かべ、私は決別を告げる。
今日で、私たちは正真正銘の赤の他人。













