夜ゴミ捨て場の越沼奥さん

夜ゴミ捨て場の越沼奥さん

渡り雨 · 完結 · 19.7k 文字

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紹介

28歳、写真家である俺は、新たなマンションへと居を移した。隣人は、越沼という夫婦だった。

始まりは、ある夜のこと。ゴミを捨てに出た俺は、隣人の奥さんと予期せず遭遇する。その時、彼女が下着を身に着けていないという事実に、俺は気づいてしまった。

それからというもの、次の夜も、またその次の夜も――。夜のゴミ捨て場で、俺は決まって彼女と出くわすのだった。

物語は、そこから静かに動き出す。

チャプター 1

 俺の名は北瀬健、二十八歳。フリーのカメラマンだ。

 東京近郊に立つ中級クラスのマンション。引越し初日の今日、業者が引き上げたばかりの段ボールの城に囲まれ、俺はリビングの真ん中で深呼吸した。真新しい壁紙とワックスの混じった、いわゆる『新居』の匂いがする。

 窓の向こうには、無数の光の点がまたたく東京のスカイラインが滲んで見えた。以前のワンルームとは比べ物にならない広さ、そして何より、この夜景を見下ろせる小さなバルコニー。都市風景を専門に撮る俺にとって、ここは願ってもない仕事場だった。

「さてと……まずは隣にご挨拶だな」

 俺は用意しておいた菓子折りを二つ手に取り、ひとつ息を吸い込んでから玄関のドアを開けた。

 やがて、かすかな足音とともに隣のドアが静かに開き、俺は息を呑んだ。

「はい、どなた様でしょうか」

 そこに立っていた女性は、まるで月光を練り上げて作ったかのような人だった。華奢な体は優美な曲線を描き、室内の柔らかな照明を浴びた白い肌は、透けるようにきめ細かい。その顔立ちは、名工が丹念に彫り上げた芸術品のように完璧に整っていた。

 彼女はシンプルな部屋着の上に上質なエプロンを着けており、どうやら夕食の準備をしていたらしい。

「あ……こんにちは。隣に越してまいりました、北瀬健と申します」

 我に返った俺は、慌てて頭を下げた。

「これ、ほんの気持ちです。これから、どうぞよろしくお願いします」

「ご丁寧にありがとうございます」

 彼女は花が綻ぶように微笑み、菓子折りを受け取った。

「越沼玲と申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 その時、部屋の奥から穏やかな男の声がした。

「玲、誰か来たのかい」

「お隣に越してこられた方よ」

 彼女が振り返ると、ラフな部屋着姿の男性が姿を見せた。

 Tシャツにスウェットという寛いだ格好だが、その立ち姿には不思議な品があった。

「どうも、はじめまして。夫の越沼政生です」

 すっと差し出された手を、俺も握り返す。

「ようこそお越しくださいました」

「北瀬健です。こちらこそ、よろしくお願いします」

「ちょうど夕食にするところだったんです。もしよろしければ、ご一緒にいかがですか」

 越沼政生さんは、実に気さくにそう誘ってくれた。

「玲の料理は絶品なんですよ」

 一度は断ろうと思ったが、隣で微笑む越沼玲さんの姿に、俺はその申し出をありがたく受けることにした。

 越沼家のリビングは、白とグレーを基調とした、ミニマルながらも上質な空間だった。高価そうな家具がさりげなく配置され、壁に掛けられた数枚の風景写真は、プロのそれと見紛うほどのクオリティだ。住人の非凡なセンスがそこかしこに見て取れた。

 食卓に並んだ和食は、食欲をそそる出汁の香りが鼻腔をくすぐる。小鉢に丁寧に盛り付けられた煮物は、それだけで一つの芸術品のようだった。

「北瀬さんは、どんなお仕事を?」

 食後にお茶を淹れながら、越沼さんが尋ねてきた。

「フリーのカメラマンを。主に雑誌向けの都市風景を撮っています。最近は個人のブログに作品を載せたりも」

「それは素晴らしい」

 越沼さんは感心したように頷いた。

「時間に縛られない仕事なんて、我々サラリーマンにとっては夢のような話ですよ」

 どう返すべきか分からず、俺は曖昧に微笑んだ。

「越沼さんは、どのような?」

「私は、しがない中間管理職ですよ」

 彼は大げさに手を振って見せる。

「毎日会社に行って、たまに残業して。何の変哲もない生活です」

「北瀬さんのような自由なご職業、本当に羨ましいですわ」

 隣で、玲さんがそっと相槌を打った。その視線がふと俺の顔を捉え、そしてすぐに伏せられて白磁の皿へと落ちる。

 その一瞬の視線に、俺は何かを探るような色を感じ取り、心臓が小さく跳ねた。

 夕食後、玲さんは手作りだという焼き菓子を持たせてくれた。

 彼女が箱を差し出した時、その指先が、俺の手にそっと触れた。触れたのは、ほんの一瞬。だが、その柔らかな熱が、微弱な電流のように俺の身体を駆け抜けた。

 それから数日後の深夜。撮り溜めた写真のレタッチを終え、ゴミを捨てに階下へ降りた俺は、マンションのゴミ捨て場で思いがけない人物に再会した。

 常夜灯の頼りない光の中に、越沼玲さんがいた。

 彼女は膝丈のゆったりとした部屋着を身に着けている。薄暗い光がその輪郭をなぞり、下に隠された身体の曲線を官能的に浮かび上がらせていた。

「あら、北瀬さん」

 俺に気づいた彼女は少し驚いたように目を見開き、すぐにくすりと微笑んだ。

「こんな夜更けまで起きていらっしゃるのね」

「ええ、ちょうど写真の整理が終わったところで」

 俺は言い訳のように答える。

 彼女は屈んで、丁寧にゴミを分別し始めた。そのたびに、ゆったりとした部屋着の裾がはらりと揺れ、滑らかな太腿がちらりと覗く。見てはいけないと分かっているのに、視線が縫い付けられてしまう。

 ふと、彼女が顔を上げた。

 絡み合った視線。彼女の頬が、薄闇の中でも分かるほど淡く色づいた。

 俺は自分の無作法に気づき、狼狽して目を逸らす。

 だが、彼女は俺の視線に気づいている。それなのに、咎めるでもなく、むしろその視線を愉しむかのように、動きはより一層、ゆっくりと、しなやかになっていく。

「北瀬さん、こちらでの生活にはもう慣れました?」

 囁くような声だった。

「ええ、おかげさまで」

「何か困ったことがあったら、いつでも声をかけてくださいね」

 彼女はそう言って微笑む。その布地が身体の動きに合わせ、肌に吸い付くように微かに震える。

 その震えが、雄弁に物語っていた。

 薄い布一枚の下には、何も――。

 ごくり、と喉が鳴る音が、やけに大きく響いた。

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三兄:「新薬の開発が遅々として進まないのはなぜだ?」――彼女が治験をしなくなったからだ。
四兄:「どうしてこんなにつまらない脚本しか上がってこない?」――彼女がもう執筆しないからだ。
五兄:「この義肢は、なぜこんなに出来が悪いんだ?」――彼女が製作をやめたからだ。
六兄:「なぜチームが負けた?」――彼女が脱退したからだ。

兄たちは地に膝をついて許しを請うた。「戻ってきてくれ。俺たちこそが、血を分けた本当の家族じゃないか」

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それだって否定はできない。王は自分たちとは違う、人ではないのだという噂があるのだから。

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