恋と推理の方程式

恋と推理の方程式

水瀬結 · 連載中 · 643.2k 文字

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紹介

目が覚めると、隣にはあの冷徹な刑事長・江川がいた。
一夜の過ち――そう思ったのも束の間、上山世奈は再び殺人現場で彼と対峙することになる。
前世と同じく、冷ややかな瞳で手錠を突きつける男。
「上山さん、潔白だと言うなら証拠を出せ」
だが、今回の世奈はただ泣き寝入りするつもりはない。
この世の悪を暴き、真実を白日の下に晒すために蘇ったのだから。
恋なんて二度としないと誓ったはずなのに、なぜか今世の江川は様子がおかしい。
冷酷だったはずの彼が、甘く、強引に迫ってくる。
「俺を抱いたんだ。一生責任を取ってもらおうか」
狙う男が多すぎる妻を独占するため、刑事長は今日も先手を打つ。

チャプター 1

「い、いや……やめて、優しく……」

薄暗い部屋に、ねっとりとした空気が満ちる。上山世奈の身体はシーツの上で小さく波打ち、アルコールに煽られた意識は、ゆっくりと底へ沈んでいった。

男の引き締まった上半身がのしかかる。屈み込んだ顔がそのまま唇を奪い、呼吸さえも許さない。

――次に目を開けたとき、上山世奈は、骨という骨がばらばらになってしまったかのような痛みに襲われた。

ぼんやりと天井を見上げ、視界をさまよわせるうち、頬を一筋、涙が伝う。

……私、あの火事で死んだはずじゃなかったの?

頬に触れる。焼け爛れた痕はどこにもない。胸に当てた手の下で、心臓がちゃんと鼓動を刻んでいる。

――本当に、生き返ったんだ。

そう思った瞬間には、背筋に粟立つ感覚が這い登ってきた。耳元で聞こえる寝息が、さっきよりくっきりとした音を伴って迫ってくる。

ビクリと身を震わせ、横を向く。

精悍な輪郭。長い睫毛。整いすぎた顔立ちを認めた途端、頭の中に雷が落ちたみたいな衝撃が走った。

なんで……刑事捜査大隊長の江川陸斗が、ここに……!

冷徹な閻魔と恐れられる、あの男が。

昨夜の馬鹿げた記憶が、ばらばらの断片になって脳裏をよぎる。頬が焼けるように熱くなり、血が逆流する感覚に思わず歯を噛みしめた。

「――完全に、自分で自分の墓穴掘ったじゃない……」

大学を出たばかりで、まだ就職先も決まっていないうちに、彼女は江川陸斗に容疑者として捕まり、留置場に三日間ぶち込まれ、取り調べを受けた。

その腹いせに、江川陸斗に薬を盛ってバーに放り込み、醜態をさらさせてやろう――そう企んだのに。

ふたを開けてみれば、餌食になったのは自分の方だった。

男がまだ眠っている隙に、上山世奈は床に落ち、絡み合っている衣服を拾い集めると、慣れない手つきでどうにか身に付け、部屋を飛び出した。

廊下を歩くあいだ中、心臓は早鐘を打ちっぱなしだった。

エレベーターの前に着き、ちょうど扉が開いた、その瞬間――。

視界に飛び込んできたのは、飛沫のように散った鮮やかな赤だった。

女の体が、常人ではありえないほど不自然な姿勢でエレベーターの床に倒れ込んでいる。眉間には短い刃物が深々と突き刺さり、そこからとめどなく血が流れ出していた。

重生した喜びに浸る暇もなかった彼女は、その光景に全身から冷や汗を噴き出させる。

思わず一歩後ずさり、瞳孔がきゅっと縮む。

――前の人生の記憶が、走馬灯のように駆け抜けた。

すべての証拠が彼女一人を示していた、あのときのこと。またしても江川陸斗に、唯一の容疑者として指差された、あの瞬間。

『上山世奈、お前みたいな娘が、なんで俺のところに生まれてきたんだ!』

『上山世奈、娘の命を返せ! なんで死んだのがお前じゃない!』

『上山世奈、証拠は出揃っている。凶器にはお前の指紋がついていた。罪を認めろ!』

鷹のように鋭い男の視線が、彼女の最後の防波堤を粉々に打ち砕いた。

そして彼女の悲劇の発端となったのは、目の前で血を流している被害者――田原由美。

若く、美しく、将来を嘱望された大学院生。その彼女が、もっともありえない場所で息絶えていた。

ホテルの清掃員が廊下を通りかかり、エレベーターの中を一目見た途端、悲鳴を上げて飛び退いた。

「きゃああっ……! ひ、人が……人が死んでる!」

上山世奈はきゅっと唇を結び、被害者を凝視する。大きく息を吸い込み、わざとらしいほど深く吐き出すことで、自分を無理やり冷静なモードへと切り替えた。

「私は法医学者です。検視をします。あなたは警察に通報してください」

清掃員の頭の中は真っ白だったが、上山世奈が使い捨て手袋を手に取り、遺体に近づいていくのを見て、震える指先で携帯電話を取り出し、慣れない手つきで通報した。

上山世奈は手袋とシューズカバーを装着し、エレベーター内へと足を踏み入れる。

被害者はバスローブ姿で、体にはまだわずかな温もりが残っていた。瞳孔は散大し、涙を湛えた眼窩には、無念と助けを求める色が焼き付いている。

死亡推定時刻――最長でも二時間前。

彼女はしゃがみ込み、被害者の開いた口元に目を凝らした。そこには、小さな魚の形をしたくっきりとした痕跡が残っていた。

その印を、彼女はあまりにもよく知っている。

心拍数が一気に跳ね上がった。

前世、死ぬ間際に味わったあの窒息感が、何の前触れもなく押し寄せてくる。今まさに、悪魔の端っこを覗き込んでしまったみたいな恐怖が背骨を冷やし、理性の糸がぷつぷつと切れかけた。

反射的に手を引っ込める。

背後から、清掃員の震える声がかすかに響いた。

「け、警察には連絡しました……もうすぐ来るそうです……」

「あ、あの人……どうして死んだんですか……?」

眉間に突き立ったナイフがあまりにおぞましく、清掃員はまともに遺体を見ることすらできない。

上山世奈は唇を固く結んだまま、何も答えない。ただ瞳の色が、底なし沼のように深く沈んでいく。

ほどなくして、ホテルのスタッフたちも慌ただしく駆けつけてきた。

上山世奈は、そんな彼らに冷ややかな声で指示を飛ばす。

「今すぐホテルを封鎖してください。一人たりとも外へ出さないこと。それから、館内の防犯カメラ映像を全部確保します!」

「君に、防犯カメラを調べる権限があるのか?」

その声は、澄んだ水が山あいの谷に響くような清冽さを持ちながら、どこか枯れた響きも孕んでいて、上山世奈の背筋をきゅっと強張らせた。

ゆっくりと振り返る。

人垣の向こうに立つ男は、抜きん出た長身に、過剰なほど整った顔立ち。一度目にしたら二度と忘れられない、異様な存在感を漂わせていた。

上山世奈の胸に、何とも言えない感情が渦巻く。

もしこの男が、事情も聞かず彼女を容疑者として拘束したりしなければ――あんな馬鹿げた真似をしようなんて、考えもしなかったのに。

「私は法医学者で、警察関係者です。権限はあります」

深呼吸をひとつ置いてから、冷たく言い切る。

「警察手帳は?」

江川陸斗の視線が、氷のような温度で彼女を射抜いた。

言葉に詰まる。

まだ正式な辞令も出ておらず、当然ながら警察手帳など持っていない。

そしてそうなった原因を作ったのは、ほかならぬこの男本人だ。

「江川さん。私はもう被害者の死因を特定しました。凶犯を取り逃がしたくないなら、今すぐ私と協力して、防犯カメラを確認し、現場を封鎖するのが得策です」

人垣から一歩前に出た江川陸斗は、微動だにしない声で応じた。

「指図されるまでもない。死因は」

上山世奈は、喉の奥のざらつきを押し込んでから答える。

「窒息死です」

江川陸斗の目が、わずかに細くなる。

「では、眉間のナイフは犯人による報復か」

一瞬だけ迷い、彼女は小さく頷いた。

「現時点では、そう見えます」

「被害者に外傷は」

彼はエレベーターの敷居から一歩も中へは入らず、その場で質問を重ねた。

「あります。全身に複数の圧痕。頭部にも打撲痕が確認できます」

「被害者の身元を知っている者」

低く抑えた声が飛ぶ。

「田原由美といいます。昨夜チェックインしました。そのときは一人で……」

スタッフの一人が、おずおずと手を挙げて答えた。

「そのとき、変わった様子は」

「特には。ごく普通のチェックインでした。ただ、とても綺麗な方だったので、少しだけ世間話をしました。お仕事でホテルに来たと仰ってました」

「おそらく、夜の仕事関係じゃないかと……」

「それから、上山世奈という人を待つ、とも言ってました。結局会えたのかどうかは分かりませんが……」

検視を続けていた上山世奈の瞳が、かすかに揺れる。

次の瞬間、白く細い手首に冷たい感触がはまり込んだ。銀色の手錠。男はぐいと彼女を引き寄せ、その鋭い視線で切りつけるように言い放つ。

「どうりで、そんなに協力を急いだわけだ。被害者とツテがあったとはな。上山世奈、お前の口からは一つとして真実が出てこないな」

そのまま現場から引きずり出された。

手袋にはべっとりと血がつき、服にも飛び散った血痕が残っている。乱れた髪が頬に張り付き、その姿はどこか惨めで、痛々しかった。

「江川陸斗、私はあの人を知らない! 前みたいに私を陥れるのはやめて! 私は人を傷つけたことも、殺したこともない!」

必死にもがき、手首の皮膚が擦れて血がにじんでも、痛みなど感じていないかのように叫び続ける。

「江川陸斗、離して! 犯人を見つける方法が、私にはある!」

見下ろす視線は、酷薄そのものだった。

「刑事捜査大隊の人間がすぐ来る。自分が潔白だと言うなら、証拠を示せ」

「今のところ、お前と被害者の関係は不明だ。もう遺体には触らせない」

まもなくして、市局刑事捜査大隊の隊員たちが現場を封鎖した。

現場を完全に統括し終えると、江川陸斗は最後に上山世奈を連行し、そのまま警察署へと戻っていった。

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今さら元婚約者が土下座で許しを請おうと、本物の娘が嫉妬で狂いそうになろうと、もう遅い。
かつて私に婚約破棄の書類を叩きつけた冷酷で傲慢なCEOでさえ、今や何かに取り憑かれたように私を追い回し、「もう一度だけチャンスをくれ」とすがりついてくる始末。

私を捨てて、自分たちの人生を『アップグレード』したつもり?
笑わせないで。最初から、圧倒的に上の存在だったのは私のほうよ。