流産したその夜、夫は愛人と誕生日を祝っていた

流産したその夜、夫は愛人と誕生日を祝っていた

渡り雨 · 完結 · 22.4k 文字

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紹介

流産したあの夜、津川陸は「もう嘘はよせ」と吐き捨てるように言った。

翌日、家に帰ってきた彼の第一声は、「夜美が越してくる。客間を片付けておけ」だった。

私は笑って、彼に背を向けた。

彼は、私が彼なしでは生きていけないとでも思っていたのだろう。

だが半年後、彼はスーツをくしゃくしゃにして、水谷ビルで三日も私を待っていた。

「知夏、頼む。七年間の情に免じて…」

私は目もくれずに言った。「警備員さん、この男を叩き出して。犬と津川陸の立ち入りを禁ず」

チャプター 1

 腹部を襲う激痛に、私は冷たい床の上で体を丸めた。下半身から滲み広がる鮮血が、目に痛いほど赤い。

 体を動かそうとしたが、手足は鉛のように重く、呼吸をするたびに引き裂かれるような痛みが走る。

 震える手で津川陸に電話をかけた。暗闇の中でスマートフォンの画面だけが微弱な光を放っている。

 一度目は、切られた。

 私は歯を食いしばり、残る力を振り絞ってもう一度発信する。

 二度目、長いコールの末にようやく繋がった。

「知夏、いつまで騒ぐつもりだ?」

 津川陸の不機嫌な声の向こうから、カラオケの喧騒が聞こえてくる。耳をつんざくような音楽と、女たちの笑い声。

「今日は夜美の誕生日なんだぞ。少しは空気を読めないのか?」

「陸君……」

 痛みのあまり声が震え、額からは冷や汗が噴き出す。

「お腹が痛いの……血が、出てるみたい。一度帰ってきてくれない? 怖いの……」

 電話の向こうで鼻で笑う声がした。林夜美だ。

「津川さん、知夏お姉様また仮病を使って呼び戻そうとしてるんじゃないですか? 前回も三十九度の熱があるって言って、津川さんが慌てて帰ったらピンピンしてソファに座ってたじゃないですか。買ってもらったバッグの色が気に入らないってだけで。今回は腹痛ですか? まさかまた妊娠したとか言うんじゃないでしょうね? お医者様からは妊娠しにくいって言われてるのに」

 周囲から囃し立てるような笑い声が上がる。

 津川陸の声が瞬時に冷え込み、隠そうともしない嫌悪感が滲んだ。

「知夏、そういう芝居はもう飽きたんだよ。不妊治療を十回以上もやって全部失敗しただろう。三千万円近くドブに捨てて、医者もお前の体じゃ無理だと言ってるんだ。今さら何の真似だ? 警告しておくが、白けさせるなよ。今日は夜美の誕生日なんだ。お前のわがままで雰囲気を壊されたくない。切るぞ」

「陸君、本当に……」

「プツッ――ツー、ツー」

 受話器からは無機質な電子音だけが響いた。

 私はスマートフォンの本体を死に物狂いで握りしめ、指の関節が白く浮き上がる。画面に光る彼の名前が、今はひどく目障りだった。

 彼は知らない。今回、私が本当に妊娠していたことを。

 昨日の午後、病院でエコー写真を受け取ったばかりだったのだ。

 私は手が震えるほど興奮し、すぐにでも彼にこの吉報を伝えようとした。彼がどれほど驚き、喜んでくれるか想像しながら。

 けれど帰宅してサプライズの準備をしようとした時、彼のスーツを整理していてポケットからジュエリーボックスを見つけてしまった。

 それは林夜美への特注ネックレスだった。雑誌で見たカルティエの新作、二百万円はする品だ。

 結婚三周年の記念日に彼が私にくれたのは、コンビニで買った値引きシールの貼られたバラの花束だったというのに。

 腹部の墜落感が強まり、何かが下へと引っ張られるような感覚に襲われ、意識が遠のいていく。這ってでも救急車を呼ぼうとしたが、指一本動かせない。

 意識を失う直前、スマートフォンの画面が明るくなり、林夜美のSNSの通知が表示された。

 写真は、津川陸が彼女にケーキを食べさせている場面。彼の眼差しは滴るほどに甘く、かつて私に向けられていたものと同じだった。

 投稿文にはこうある。

【回り道をしたけれど、隣にいるのがあなたでよかった。誕生日おめでとう、私と出会ってくれてありがとう】

 コメント欄にはすでに数十件の祝福メッセージが並んでいた。

 私は目を閉じ、目尻から冷たい涙が一滴滑り落ちる。額の冷や汗と混じり合い、冷酷な床へと落ちていった。

 津川陸、あなたが私たちの子供を殺したのよ。

 そして、あなたに対する最後の一欠片の幻想も、今死んだ。

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