私の心臓が止まるまで

私の心臓が止まるまで

間地出草 · 完結 · 24.4k 文字

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紹介

紅林恵美(くればやし えみ)は、花咲堂(はなさきどう)の作業台でカーネーションを生けていた。
突然、胸に重い衝撃が走り、息が詰まる。まるで胸を槌で打たれたような痛み。恵美は作業台を掴み、立っていようとするが、足が力を失っていく。

子どもの頃から動悸はあったが、こんな感覚は初めてだった。
「恵美!」花咲堂の店主・春野美智子(はるの みちこ)の声が遠く、水の中から聞こえるようだ。「どうしたの?」
答えようとしても息ができない。視界が傾き、気づけば床に倒れていた。

春野は慌てて電話を取り、「田嶋隆志(たじま たかし)先生に連絡するわ」と言う。
桜丘総合病院(さくらがおか そうごうびょういん)への搬送は、心配そうな声と絶え間ない痛みの中で過ぎていった。田嶋先生は恵美を一目見るなり、表情を変える。

「紅林さん、すぐに総合病院へ行ってください。命に関わるかもしれません。」

チャプター 1

 キッチンテーブルの上に置かれた処方薬の瓶は、まるで小さな白い爆弾のようだ。

 心疾患治療薬。0.25mg。不整脈のため、一日一回服用。

 新が金物屋のバイトから帰ってくる前に、それをハンドバッグに押し込む。これを見られるわけにはいかない。まだだめ。もしかしたら、永遠に。

 携帯が震え、春野さんからのメッセージが届く。『週末は休んでちょうだい。働きすぎよ』

 仕事こそが今、私の正気を保ってくれている唯一のものだと、彼女が知っていたらどんなによかっただろう。新鮮な花の香り、花束を整える単純な作業、記念日や誕生日を語ってくれる笑顔の客たち。ありふれたこと。美しいこと。

 私がもう長くは見られないものたち。

 新のトラックが私道に入ってくる音がする。ポーチを上がる素早い足音。私は料理本を掴むと、適当なページを開き、何気ないふりをしようと努めた。

「ただいま」彼はそう言って、ドアのそばに道具ベルトを置く。仕事で髪は埃っぽく、指の関節には小さな切り傷がある。十八歳にして、彼はもう光の身長を追い越してしまったけれど、シンクで手を洗うその手つきは、まだ優しい。

「仕事どうだった?」私は料理本から目を上げずに尋ねた。

「別に。また松井のじいさんがホースのこと聞きに来たよ。今週三回目」彼は冷蔵庫から水のボトルを取り出す。「大丈夫? 疲れてるみたいだけど」

 私は無理に笑顔を作る。「ちょっとビタミン剤を買いに行かないと。鉄分のサプリ。田嶋先生に、少し貧血気味かもしれないって言われたの」

 嘘が口の中で苦い味を帯びる。

 新は眉をひそめる。「貧血? いつから?」

「どうやら、昔からずっとみたい。だから最近疲れてたのね」私は料理本を閉じる。「大したことじゃない。ただ、もっと自分の体に気をつけなさいってこと」

 彼はしばらく私の顔をじっと見ていた。十八歳にしては鋭すぎる、あの青い瞳で。だが、やがて頷いた。「薬局まで車で行く?」

「ううん、歩きたいから。新鮮な空気が吸いたいし」

 また嘘を重ねる。

 本当は、宮本麗子と話しているところを新に見られたくなかった。まだ。

 金曜の午後、メインストリートは静かだ。薬局は森本の金物屋と古い床屋の間にあり、その緑の日よけは長年の陽射しで色褪せている。ドアを押し開けると、小さなベルがチリンと鳴った。

 カウンターの向こうから麗子が顔を上げる。一瞬だけ、彼女の仕事用の仮面が滑り落ち、安堵にも似た何かが表情に浮かぶのが見えた。そして、それはすぐに消えた。

「こんにちは」彼女は感情のない声で言った。

「こんにちは」私はハンドバッグから処方箋を掘り出す。「これをお願いします」

 彼女は紙を受け取る。指が私の手に触れないよう、慎重に。その目が処方箋に走り、彼女の表情が変わるのを私は見ていた。目元がわずかに引き締まる。唇が真一文字に結ばれる。

 彼女はこの薬が何のためのものか知っている。

「在庫を確認してきます」彼女は静かに言った。

 彼女が奥の部屋に消える間、私はビタミン剤の棚のそばでラベルを読んでいるふりをしながら待った。薬局は消毒液と古い紙の匂いがする。いつも春の雨と可能性の香りがする花屋とは、まるで違う。

 私が十二歳の頃、麗子、母の香水はバニラと煙草の匂いがした。母が出て行った朝、その匂いが私の服にまとわりついていたのを覚えている。

 麗子が小さな白い袋を持って戻ってきた。「二万円になります」

 私は瞬きする。「二万? 保険でほとんどカバーされると思っていたんですけど」

「保険会社が補償内容を変更したんです。この薬は自己負担の割合が高くて」彼女は、私と真っ直ぐに視線を合わせようとしなかった。

 二万円。花屋で一週間に稼ぐ半分だ。

「ジェネリック…とか、もっと安いのはないんでしょうか?」

「これがジェネリックです」麗子の声がわずかに和らぐ。「ブランド品なら四万円になります」

 私は袋を見つめる。そんな余裕はない。新の大学の資金に回すべきお金だ。

「私には――」と言いかけた時だった。

「待って」麗子はコンピューターに何かを打ち込む。「忘れていました。製薬会社の割引プログラムがあります。十分な保険適用がない患者さん向けの」彼女の指がキーボードの上を動く。「これで八千五百円になります」

 そんな割引プログラムなどないことは分かっている。

 私が知っていることを、彼女も知っている。

 でも、私たちは二人とも、これがごく普通の商取引であるかのように振る舞う。

「ありがとう」私はそう言って、財布からしわくちゃの紙幣を取り出した。

 彼女にお金を渡す時、ほんの一瞬、指先が触れ合った。彼女の肌は温かく、指の関節には私と同じ傷跡があった。私が八歳の時、二人で同じオーブンで火傷をした時の傷だ。

 彼女もあの日を覚えている。その目にそう書いてあった。

「指示通りに服用してください」彼女は慎重に、プロらしい声で言った。「それから、もし異常な症状が出たら、すぐに主治医に連絡を」

 彼女が本当に言いたいのは、『どうか体を大切にして』ということ。

 私が聞き取ったのは、『立場は変わっても、今でもあなたのことを心配している』ということ。

「そうする」と私は約束する。

 私が本当に言いたいのは、『まだ私を愛してくれてありがとう』ということ。

 彼女が聞き取ったのは、『あなたが出て行ったことを許すわ』ということ。

 私は背を向けて立ち去ろうとしたが、ドアのところで振り返った。麗子が窓越しに私を見ている。ガラスに手を押し当てて。一瞬、彼女は十二年前とまったく同じに見えた。私が初めて光のトラックに乗り込んだ時、うちのキッチンの窓辺に立っていた彼女と。

 あの時も、彼女は泣いていた。

 家までの道のりは十五分だが、私はゆっくりと歩いて二十五分かけた。考える時間が必要だった。新に見せるための顔を準備する時間が。普通を演じる練習をする時間が。

 ハンドバッグの中の薬の袋が重く感じる。あるべき重さ以上に。

 一錠一錠が、残された時間の貴重さを物語っている。新と過ごせる一日が減る。私が計画していた未来から、一日遠ざかる。

 光はよく、明日とは希望の別名だと言っていた。でも光は、処方薬の瓶で自分の明日を数える必要なんてなかった。

 角を曲がって我が家の通りに入ると、正面の窓からキッチンの温かい光が漏れているのが見えた。新のシルエットが中で動き回り、何か料理の匂いがする。

 温かい野菜スープと、安らぎの匂いがする何か。

 我が家のような。

 私は深呼吸をして、玄関のドアを開ける前にもう一度笑顔の練習をした。

「新?」私は呼びかける。「ただいま」

「こっちだよ」キッチンから彼の声がする。「夕飯作ったんだ」

 キッチンに入った私は、はっと息をのんで立ち止まった。

 コンロの上には温かいスープの鍋があり、湯気が立ち上っている。私が病気の時に、光が作ってくれたのと同じレシピ。彼が亡くなって以来、私が作る気になれなかった、あのレシピ。

 新はカウンターに立ち、二つのボウルにスープを注いでいる。その動きは慎重で、丁寧だ。何かを寸分たがわず再現しようとしているかのように。

「どこでこれの作り方を習ったの?」私は思ったよりもか細い声で尋ねた。

 彼は答える時、私の方を見なかった。「光兄さんが教えてくれたんだ。火事の前。恵美姉さんの一番好きなものだって言ってた」

 薬の袋が私の手から滑り落ち、床に当たった。

 新がようやく顔を上げる。その額には心配そうな皺が寄っていた。「姉さん? 大丈夫?」

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次兄:「会社のファイアウォールは、なぜこうも問題ばかり起こす?」――彼女がメンテナンスに来なくなったからだ。
三兄:「新薬の開発が遅々として進まないのはなぜだ?」――彼女が治験をしなくなったからだ。
四兄:「どうしてこんなにつまらない脚本しか上がってこない?」――彼女がもう執筆しないからだ。
五兄:「この義肢は、なぜこんなに出来が悪いんだ?」――彼女が製作をやめたからだ。
六兄:「なぜチームが負けた?」――彼女が脱退したからだ。

兄たちは地に膝をついて許しを請うた。「戻ってきてくれ。俺たちこそが、血を分けた本当の家族じゃないか」

彼女は絶縁状を兄たちの顔に叩きつけ、冷ややかに笑った。
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……上等じゃない。せいぜい勝った気でいればいいわ。
だって彼らは、私の【本当の顔】を何一つ知らないのだから。

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