紹介
願書提出の最終日。私は手作りのスープを入れた保温ボトルを手に、彼がいる美術室へと向かった。
だが、そのドアの向こうから、彼が友人たちに自慢げに言い放つ声が聞こえてきたのだ。
「広瀬舞子なんて犬みたいなもんだよ。俺と一緒にT大に行こうって言ったら、あっさり志望校を変えやがった。沙苗(さなえ)は成績がギリギリだからさ、舞子があの全額奨学金の枠を辞退すれば、沙苗が確実に入れるだろ? どうせ舞子は俺にベタ惚れだから、後でバレたとしても、尻尾を振って大人しく引き下がるに決まってるさ」
その瞬間――手に握っていた熱々の保温ボトルが、まるで氷のように冷え切った気がした。
チャプター 1
画室の扉は半分だけ開いていて、中から男子たちの遠慮のない笑い声が漏れてくる。鼻を突くほど濃い煙草の匂いまで混じっていた。
「剣介、お前えげつないな。舞子ってうちの高校じゃ有名な建築の天才だろ。お前のために、USCの看板学部すら蹴ったって? ちょっと口先で言っただけで、志望をT大に変えさせたのかよ」
そう言ったのは、剣介の悪友の佐藤。面白がって見物しているような調子だった。
剣介はイーゼルの前に座り、鉛筆を指先でくるくる回しながら、どうでもよさそうに言い放つ。
「アイツ、昔から俺の後ろをついて回ってたし。俺が東って言えば、西には行かねえよ。ていうか成績いいんだから、どこで学んでも一緒だろ? T大で俺と一緒にいればいい。沙苗は身体弱いのに、散々つらい思いもしてきたんだ。全額の奨学金枠なんて、もともと沙苗のものだろ」
「でもさ剣介、舞子があとでお前に騙されたって気づいたらどうすんの?」
別の男子が口を挟む。
剣介は鼻で笑った。
「気づいたら何だよ。アイツ俺なしじゃ無理だし、適当に甘いこと言えば終わりだろ。『同じ大学に行きたい』って言っときゃ、また言うこと聞く。お前ら分かってねえな。こういうのは――握ってんだよ」
扉の外に立ったまま、その会話を聞いているうちに、周りの空気が一寸ずつ凍りついていく気がした。
これが、幼いころから守り続けてきた人。彼のために親と大喧嘩までした、幼なじみ。
剣介は隠し子で、新堀家では子どものころから肩身が狭かった。私はその境遇が痛々しくて、何かにつけて庇った。いい環境も、まっすぐな気持ちも、全部彼の前に差し出した。黒野沙苗は今学期に来た転校生で、いつも目を赤くして剣介の後ろをついて回り、家が貧しくていじめられるのだと訴えていた。
剣介は自分のくだらない「守ってやる」欲を満たすためか、私を放って沙苗の世話ばかり焼くようになった。問い詰めたこともある。けれど彼は、ひどく失望した目で私を見て言った。私が分からず屋になったのだと。沙苗は可哀想なのに、私は何でも持っているのだと。
――そうか。
剣介にとって、私の献身はただの自慢の材料だった。「嬉しそうにくっついてくる」都合のいい存在。挙げ句、沙苗のために、私の将来まで騙して捨てさせようとした。
心臓を、見えない手でぎゅっと握り潰されたみたいに苦しい。息が詰まるような鈍い痛み。けれどそれは数秒しか続かなかった。
次に胸を満たしたのは、妙に澄んだ冷たさだった。
手の中には、三時間かけて煮込んだスープ。急にそれが、信じられないほど馬鹿らしく見えた。私は扉を開けて怒鳴り込まない。取り乱して問い詰めもしない。
だって、腐った人間に理屈をぶつけたところで、自分の品位が削れるだけだ。
踵を返し、廊下の突き当たりのゴミ箱へ。手を離す。
鈍い音がして、保温ボトルが、熱いスープごと中へ落ちた。
スマホを取り出し、私はすぐにCommon Applicationにログインした。締め切りまで残り二時間。
指が画面を走る。パスワードを変更して、志望先を入力する。
USC、University of Southern California。
アメリカ屈指の建築学府。私が最初に抱いた夢の場所。
剣介が「舞子は俺のためなら全部捨てる」と本気で思っているなら、見せてあげる。彼がいなくても、私はどこまでだって飛べる。
送信を確定すると、システムが変更完了を告げた。
全部終えた瞬間、長く息を吐いた。身体がふっと軽い。胸に溜まっていた悔しさも、未練も、盲目な愛情も、この一瞬で消えていった。
画面が光る。剣介からのメッセージ。
【舞子、スープまだ? 図面やってたら胃が痛い】
その文面を見て、口元が皮肉に歪む。
【捨てた。胃薬は自分で買って】
送信。すぐにマナーモードへ切り替え、私はそのまま校舎を出た。
夏の陽射しは眩しく、熱い。光に向かって歩き、あの画室を振り返ることは二度となかった。
それから数日、私は異様なほど静かだった。誰にも志望先のことは言わず、黙々と荷物をまとめ、卒業に必要な手続きを進めた。
剣介は私の冷たさに気づいているはずなのに、きっと「拗ねてるだけ」だと思っている。彼の中では、広瀬舞子が本気で自分から離れるはずがないのだから。
三日目の午後。部屋で本を整理していると、突然ドアが押し開けられた。
剣介が大股で入ってくる。怯えたように沙苗がその後ろに続いていた。
「舞子、お前さ、何のつもりで拗ねてんだよ。この数日、返事もしないし電話も出ないし。俺、すげー心配してたんだけど?」
剣介は入るなり、責め立てる顔を作った。眉間に皺。まるで自分が被害者だと言わんばかりに。
私は顔も上げず、本を段ボールへ詰める手を止めない。
「出て。ここ、私の部屋だから」
「舞子、剣介のこと、そんなに怒らないで」
沙苗が剣介の背後から半身だけ覗かせる。目尻が赤くて、声は風が触れただけで折れそうに弱い。
「全部、私が悪いんです。私の復習を見てくれてたから、剣介は舞子さんを構えなくて……。お願い、私のせいで二人の仲が悪くならないで。もうすぐ一緒にT大に行くんだし、みんな仲良くできたらいいのに」
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家族の縁を切った日、兄たちはすべてを失った
公平を期すという名目のもと、兄たちは彼女からリソースを根こそぎ奪い、その尊厳を踏みにじってまで、運転手の娘を支えた。
彼女は兄たちのためにすべてを捧げたというのに、家を追い出され、無残に死んだ。
生まれ変わった今、彼女は人助けの精神などかなぐり捨てた。許さない、和解しない。あなたたちはあなたたちで固まっていればいい。私は一人、輝くだけ。
兄たちは皆、彼女がただ意地を張っているだけだと思っていた。三日もすれば泣きついて戻ってくるだろうと高を括っていたのだ。
だが三日経ち、また三日経っても彼女は戻らない。兄たちは次第に焦り始めた。
長兄:「なぜ最近、こんなに体調が悪いんだ?」――彼女がもう滋養強壮剤を届けてくれないからだ。
次兄:「会社のファイアウォールは、なぜこうも問題ばかり起こす?」――彼女がメンテナンスに来なくなったからだ。
三兄:「新薬の開発が遅々として進まないのはなぜだ?」――彼女が治験をしなくなったからだ。
四兄:「どうしてこんなにつまらない脚本しか上がってこない?」――彼女がもう執筆しないからだ。
五兄:「この義肢は、なぜこんなに出来が悪いんだ?」――彼女が製作をやめたからだ。
六兄:「なぜチームが負けた?」――彼女が脱退したからだ。
兄たちは地に膝をついて許しを請うた。「戻ってきてくれ。俺たちこそが、血を分けた本当の家族じゃないか」
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「車が壁にぶつかってから、ようやくハンドルを切ることを覚えたのね。株が上がってから、ようやく買うことを覚え、罪を犯して判決が下ってから、ようやく悔い改めることを覚えた。残念だけど、私は――許さない!」
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しかし、運命は残酷だ。
病院で「白血病」という絶望的な診断を受けたその日。
震える足で帰宅した私の目に飛び込んできたのは、夫の裏切りの証拠だった。
私たちの神聖な寝室。
そのベッドの上には、無惨に引き裂かれたレースの下着がわざとらしく残されていたのだ。
それは明らかに、夫の愛人からの宣戦布告。
「あなたはもういらない」と嘲笑うかのような、残酷なマウントだった。
命の期限を突きつけられた日に、愛まで失った私。
絶望の淵で、私はある決断を下す。
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しかも、その横には心晴の元婚約者の姿が……二人は婚約していたのだ。
しかし、心晴はただの被害者ではなかった。
彼女は人知れず巨額の資産と強大なコネクションを築き上げていたのだ。
真実を知った心晴は、復讐の狼煙を上げる。
彼女が選んだ新たなパートナーは、なんと元婚約者の叔父だった。
「これからは私のことを『おばさん』と呼ぶのよ、優奈!」
隠された天才:裏の顔が多すぎて、気づけば世界のトップを震撼させていた件
育ての親の一家に家を追い出されたあの日、私は微笑みを浮かべながら、奴らが施しとしてよこした金をゴミ箱へと投げ捨てた。
誰も想像すらできないだろう。この私が、数々の名門貴族や権力者たちが大金を積んで列をなし、首を長くして診察を待つ伝説の名医——【暁】だなんて。
私が時価総額数十億ドルのファッション帝国を裏で支配していることも、ウォール街の株価をたった一回の取引で大暴落させられることも、誰も知らない。私はその正体を、この平凡で冴えない素顔の裏にすべて隠し持っていた。
さらに劇的なことに、私の実の親はこの街で頂点に君臨する最高峰の大富豪だった。
そして私の婚約者——すでに顔を合わせているにもかかわらず、その正体を知らなかったあの男こそ、この街の誰もが名前を聞くだけで震え上がる、ビジネス界の冷酷な死神:梅原晴琉だったのだ。
ある日、彼は私の手を執り、ゆっくりと距離を詰めると、耳元で低く囁いた。
「俺のこの鼓動、今なら感じられるか?」
私は至って真面目な顔で彼の胸に手を当て、大真面目にこう返した。
「心拍数は確かに少し高めですが、非常に健康的です。心配ありませんよ」
彼は一瞬呆気にとられ、それからふっと吹き出した。その瞬間の彼の笑顔に、私の心臓もなぜかドクンと跳ねた。それは、自分自身でも説明のつかない初めての衝動だった。
だが、彼が私の真実に一歩ずつ近づくにつれ……私の心は揺らぎ始めている。自分の最後の秘密を、あとどれくらい隠し通せるのだろうか。
外されるはずのなかった仮面——。だが、あの人が執拗にその霧を剥ぎ取ろうとするとき、私は一体どこへ向かえばいいのだろう?
氷の君と太陽の私
運命が私を引き戻した——薬を盛られた結婚初夜、彼の腕の中で生まれ変わったのだ。これは私の二度目のチャンス。
かつて逃げ出した男こそが私の運命。彼の狂おしい愛こそが、私の最強の武器。世界が恐れる男を受け入れ、彼の姫となろう。共に、私たちを破滅させた裏切り者どもを灰燼に帰すのだ。
しかし私の突然の献身は、彼に疑念を抱かせる。心を砕いてしまった男に愛を証明するには、どうすればいいのだろう……彼の最も暗い欲望が、私を永遠に縛り付けることだと知りながら。













