紹介
パン作りを習い始めたときも手袋をはめていたら、先生にこう叱られた――「材料にも触れられないで、シェフになれると思ってるの?」
あのとき、備品室で膝をつき、バニラを香りで見分ける方法を教えてくれたのは椎名良太だった。生肉も、私の代わりに触ってくれた。
でも、ある日。彼の家のレストランの裏路地で、彼のお母さんが怒鳴った。
「手袋して料理なんて、見せかけよ。椎名家にはふさわしくない」
そのとき、良太は五秒間、黙っていた。
私は小麦粉まみれの手袋を握りしめ、その場から走り去った。
――五年後。
私は「五感の憩いベーカリー」の店主になっていた。
アレルギーを持つ子どもたちにも「普通の甘さ」を味わってもらえるように工夫したパンを出す店だ。
そんなある夜明け、良太が店に現れた。
彼の手には、かつて私がよく作っていたレモンバーの箱。
「君のパン作りを、もう一度学び直したい……そして、君を愛することも学び直したい」
その言葉を聞いた瞬間、私の手の中の生地がきゅっと固くなった。
――許しても、いいのだろうか。
チャプター 1
フードフェスティバルは盛り上がりのピークを迎え、私のブースは目を疑うほどの人だかりだった。
「これ、信じられないくらい美味しいです!」ユニフォームのTシャツを着た女性が、私のグルテンフリー・チョコチップクッキーを一つ手に取って言った。「娘がセリアック病で、こんなに美味しいクッキーは普段絶対に食べられないのですよ」
私は薄いニトリル手袋を直し、もう一皿のペストリーを並べながら微笑んだ。「まさに、そのために作っているんです」
「『五感の憩いベーカリー』」と、彼女は私のバナーを読み上げた。「絶対にネットで検索してみますわ」
祭りが始まって三時間、すでに一日分の予想を上回る売り上げだ。「アレルギー対応」「感覚にやさしい」という看板が、磁石のように親たちを引き寄せる。子供たちがここで実際に何か食べられると知ったときの、彼らのぱっと明るくなる顔。
「すみません、これにはナッツは入っていますか?」ある父親が私のレモンバーを指さした。
「このテーブルにあるものには、ナッツ、乳製品、グルテンは一切含まれていません」と私は彼に告げた。「それに、全て専用の施設で作っています」
彼の六歳の娘がつま先でぴょんぴょんと跳ねる。「本当に一つ食べてもいいの、お父さん?」
「二つどうぞ」と私は言い、丁寧に包んでいく。「レモンカードはココナッツクリームで作っているんです。普通のものと全く同じくらい美味しいですよ」
彼女は一口食べて、目を大きく見開いた。「普通の味がする!」
普通。かつてはその言葉が胸に刺さった。今では、それが私の誇りだ。
ディスプレイに商品を補充しているとき、彼を見つけた。
五年。
最後に椎名良太に会ってから五年。なのに彼は今も、まるで私が二十二歳に戻ったかのように、私の心臓を跳ねさせる。
彼はそこに立っていた。記憶よりも背が高く、午後の陽光を浴びた黒髪がきらめいている。荒井さんのタマレブースで何かを試食しているようだ。食べ物をまるで貴重なものであるかのように、優しく持つ仕草は昔のまま。
立ち去るべきだ。彼に見つかる前にブースを片付けて、姿を消すべきだ。
だが、そのとき彼が振り向いた。
人混みの向こうで、あの茶色い瞳が私を捉える。とたんに、息ができなくなった。動けない。受賞歴のあるレモンバーのトレーを、まるでそれが私を地面に繋ぎとめる唯一のものであるかのように抱え、ただここに立ち尽くすことしかできない。
彼が、こちらに向かって歩き始めた。
ああ、嘘でしょ。こっちに歩いてくる。
「幸帆?」
彼の声で呼ばれる私の名前は、今では違って聞こえる。より低く、より不確かだ。
「やあ、良太」私はトレーを下に置く。手が震えていないことに誇りを感じながら。「ここで会うなんて思わなかった」
「毎年ボランティアをしてるんだ」と彼は言い、その言葉がどう聞こえるかに気づいたように口ごもった。「いや、その、ブースの出店者を調整する手伝いをね」
もちろん、彼ならそうだろう。良太はいつだって責任感の強い人だった。
「君のブース……」彼はあたりを見回し、私の店構えを吟味する。「本格的だね」
「本格的よ」思ったより棘のある言葉が出てしまった。「これが私の商売だから」
「ああ、ごめん」彼は髪を手でかき上げた。数えきれないほどの勉強会で見た、懐かしい仕草だ。「ただ……すごいなって。本当に、すごいよ」
私たちはしばしそこに立ち尽くす。祭りの喧騒が私たちの周りを渦巻いていた。左手のどこかで楽団が演奏を始め、子供たちの笑い声が甲高く響く。タコ焼きと焼きそばの匂いが漂ってきた。
でも、私の意識はただ、良太が私を見つめるその視線に集中していた。まるで、パズルを解こうとしているかのように。
「何を売ってるの?」と、彼はようやく尋ねた。
「アレルギー対応のパンよ。主要八大アレルゲンは全部使ってないの。それに、感覚過敏の人でも食べやすいように、食感もやわらかくしてあって……」私は口をつぐんだ。彼に私のセールストークを全部聞かせる必要はない。
「どんな人のために?」
「感覚の処理がうまくいかない人たち……」と、私は静かに言い終えた。
彼の表情が変わり、思い出しているのだとわかった。私の手袋。料理学校でのパニック発作。生の肉に触れなかったり、特定の食感を扱うと崩れ落ちてしまったりした私の姿を。
「何か、試してもいいかな?」と彼は尋ねた。
断りたい。店じまいだと言って、他に行くところがあると言いたい。でも、あのユニフォームのTシャツの女性が明らかに好奇心に満ちた目でこちらを見ているし、良太の後ろには列ができ始めている。
「ええ」私はレモンバーを一つ掴んだ。「これがベストセラーの一つよ」
彼がそれを受け取るとき、指先が私の指に触れた。手袋をしていてよかったと思う。薄いニトリル越しでも、その接触は腕に電気を走らせた。
彼は一口食べ、ゆっくりと咀嚼する。そして目を閉じた。
「ああ……」
「何?」
「これ、味が……」彼は目を開け、私をじっと見つめた。「どうやったんだ? 一緒に勉強してた頃に君が作ってくれたやつと、全く同じ味がする。でも、違う。もっと美味しい」
胸が締め付けられる。「レシピを完成させる時間はたっぷりあったから」
「幸帆」彼の声が低くなる。「話がしたい」
「いいえ、必要ないわ」
「お願いだ。五分だけでいい」
私は彼を見る。本当に、彼を見る。同じ茶色い瞳。でも、今はその周りに皺が刻まれている。昔、私の手を引いて包丁の使い方を教えてくれたのと同じ手が、今ではまるで壊れ物のように私の作ったパンを握っている。
彼の表情には、五年前にはなかった何かがあった。後悔に似た何かが。
「話すことなんて何もないわ、良太」
「話すべきことだらけだ」
彼の後ろの列が長くなっていく。たこ焼きブースの山下さんが、私に意味ありげな視線を送っている。私が客の相手をしないのを不思議に思っているのだろう。
「仕事に戻らないと」と私は言った。
「じゃあ、祭りの後で。お願いだ」
その茶色い瞳を見つめていると、一瞬だけ、夜中まで私の包丁の練習に付き合ってくれたあの少年が見えた。一度たりとも、私に自分が壊れているなんて感じさせなかった、あの人が。
でも、彼の家族が経営するレストランの裏路地での、あの沈黙も思い出す。彼が、一言も言わずに下したあの選択を。
「無理よ」と私は囁いた。
「どうして?」
「意味がないからよ」
彼は一瞬黙り込み、私のレモンバーをまだ持ったままだ。「幸帆、俺たちの間に何があったかっていうのは――」
「五年前のことよ」私は不必要なほど正確にペストリーを並べ始めた。「私たちはもう、別人なの」
「そうかもしれない」と彼は静かに言った。「でも、変わらないものもある」
反論したかったけれど、彼の声に含まれる何かが私を止めた。そこにある誠実さが。まるで私が今でも大切な存在であるかのように、彼が私を見つめるその視線が。
「お願いだ」と彼はもう一度言った。「一度、話すだけでいい」
彼の後ろの客たちがそわそわし始めている。彼らの焦りが私の背中を押してくるのを感じる。
「本当に仕事をしなくちゃ」と私は言ったが、声は不確かに出てしまった。
彼は頷き、一歩後ろに下がった。「わかった」
しかし、彼は立ち去らない。ただそこに立って、私が次の客、そしてその次の客に応対するのを見ている。そして、どういうわけか、それが彼がただ立ち去ってしまうよりも辛かった。
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