嫌われ元妻、まさか社長の高嶺の花だったなんて

嫌われ元妻、まさか社長の高嶺の花だったなんて

南宮 · 完結 · 629.9k 文字

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紹介

彼は初恋の人のために1000万円のピアノを買い、私には破り捨てられたレシピ本を投げつけた。

6年間、私は8カ国語を操る才を持ちながら、彼の家で影のような主婦として生きてきた。娘は人前で私を「家政婦」と呼び、あの女を「ママ」と慕った。
胃出血で入院したあの日、彼は初恋の人とクルージングパーティーに興じ、私からの十数回に及ぶ救急の電話を無視し続けた。

――私はついに目を覚ました。

離婚届にサインし、私は振り返ることもなく海外へと飛び立った。
現在、私は世界トップ企業のチーフ翻訳官。隣には、優しく、そして強大なパワーを持つ本物の社長が寄り添っている。

かつて私を人間扱いすらしなかった元夫は今、私のニュースを必死で追いかけ、膝をついて「家に戻ってきてくれ」と泣き乞うている。

「もう一度やり直すチャンスをやる」だって?
――残念だけど、

私はもう、私だけの本当の人生を歩み始めているの。

チャプター 1

「黒崎さん、お誘いをお受けします。あなたのチーフ随行通訳官として就任いたします」九条知夏は静かに告げた。

通話を切ると、彼女はまぶたを伏せ、視線をリビングのダイニングテーブルへ落とす。そこには夫と娘がいた。

夫の九条司は皿のスクランブルエッグを切り分け、四歳の娘――九条杏奈は向かいに座って、きゃらきゃらと何かを喋っている。

「パパ、聞いて! 環奈ちゃんってほんとすごいの! 一緒にいるとフランス語がどんどん上達するんだよ!」杏奈は流暢なフランス語で言って、続けざまに突き刺す。「ママなんて、なにもできないもん」

九条知夏の足が、ふっと止まった。胸の奥へ冷たいものが広がっていく。

九条司と結婚して六年。彼は知らない――彼女が八か国語を操り、フランス語が母語のひとつであることを。

分からないと思い込んでいるからこそ、目の前で平気で言えるのだ。

娘の言う「環奈ちゃん」――九条司の初恋、清水環奈。

幼なじみで情も深かった二人は、家族の反対で別れさせられた。半年前、清水環奈が海外から戻ってくると、夫と娘の関心はあっという間に彼女へ奪われた。

疲れ切っていた。けれど、もう争いたくなかった。

彼女は、もうすぐここを去るのだから。

それまでの間だけでも、夫と娘と波風立てずに最後の時間を過ごしたい。出ていくことは、まだ何も告げていない。どうせ、気にも留めない。

彼らの心には、清水環奈しかいない。

九条知夏は何事もなかったように近づき、手にしていた出来立てのサンドイッチを娘の皿へ置いた。

杏奈は眉をひそめ、不機嫌そうに皿を押しやる。

「またこれ! なんでイチゴジャムがないの? 甘いのが食べたい!」

九条知夏は堪えるように、丁寧に言葉を選ぶ。

「今、歯が生え替わってるでしょ。お医者さんが甘いものは控えなさいって。虫歯になるから」

「ママってば、本当にうるさいんだから!」

杏奈は白い目を向け、九条司へフランス語で愚痴る。「環奈ちゃんはね、すっごくおいしいお菓子いっぱい買ってくれるの」

九条司はナプキンで口元を拭い、淡々と知夏を一瞥したあと、娘へフランス語で返した。

「ママの前でそういうことは言うな」

「それがどうしたの?」杏奈は鼻で笑う。「それがどうしたの? だってママ、分かんないじゃん」

九条知夏の心が沈む。指先が小さく震えた。

――分かる。全部。

九条司と結婚する前、彼女は名高い翻訳官・長橋秀樹の愛弟子で、将来を嘱望されていた。だが九条司のため、この家のために、長橋秀樹が勧めた研鑽の機会を断り、自分を家庭に閉じ込めた。

十年好きだった人と結婚できたのだから、何だって差し出せると思った。

けれど九条司にとって、それは「当然」でしかない。

彼は彼女の過去に興味を示さず、むしろ憎んでいた。彼女が卑怯な手で両親に取り入り、結婚を迫ったせいで初恋と別れる羽目になった、と。

朝食を終えると九条司はスーツの上着を手に取り、娘を学校へ送る支度をする。

九条知夏はキッチンの入口に立ち、二人の背中へ小さくフランス語を落とした。

「いってらっしゃい」

九条司の靴を履く動きが止まり、杏奈も驚いたように振り返る。

けれど知夏は返事を待たず、もうキッチンへ戻っていた。

玄関の外で、娘の小声が聞こえる。

「ママ、フランス語しゃべれるの?」

九条司が冷たく言う。「最近フランスのドラマでも見たんだろ。言えるのはそれだけだ」

杏奈はあっさり信じた。

「だよね。ママなんて洗濯とごはんしかできないのに、フランス語なんて分かるわけないもん。やっぱ環奈ちゃんがいい。きれいで、何でもできて。今日もね、一緒にコンサート行くって約束してくれたの! もう待ちきれない!」

キッチンで、知夏は呆然と立ち尽くす。冷たい水が指先を流れ、涙が一滴、シンクの泡へ落ちた。

コンサート。

家族で行きたいと何度も言ったのに、九条司はいつも「仕事が忙しい」と笑って流した。それなのに今は、清水環奈と娘を連れて行く。

忙しいのではない。彼女と行きたくなかっただけだ。

この家のためにすべてを捧げてきたのに、夫と娘の中の彼女は「洗濯と料理しかできない人」になっていた。

九条知夏は水を止め、乱暴に涙を拭う。

スマホが震える。フランスからのメールだ。

「温井様、航空券は手配済みです。また、社長より、温井様がご結婚されていると伺い、ご家族のことをご心配されております。ご主人とお子さまの航空券も手配いたしましょうか。滞在中の費用はすべてこちらで負担いたします」

知夏は、さっき娘が言った言葉を思い出し、無表情で返信する。

「大丈夫です。私一人で伺います」

そして淡々と、翌日のフランス大使館での就労ビザ手続きの予約を入れた。

家族に必要とされないのなら、ここに残る意味はない。

翌日、手続きを終えて帰ろうとしたそのとき、大使館のロビーで九条司と清水環奈に出くわした。二人は左右から杏奈の手を引き、笑い合っている。幸福な家族そのもの――そう見えた。

清水環奈がここで働いているのを、知夏はうっかり忘れていたのだ。

胸が詰まり、反射的に背を向けてやり過ごそうとする。

「――あれ、ママじゃない?」

杏奈の声が背後から響いた。

知夏は足を止め、ため息とともに振り返る。

九条司は大股で近づき、冷たい声を落とす。

「お前、ここで何してる」

言い終えると、知夏の手元――パスポートに目が行き、眉が寄った。

「それ、何だ?」

知夏は慌ててバッグへしまい込み、平静を装う。

「別に、何でもない」

九条司はしばらく彼女の顔を探るように見つめ、苛立ったように言った。

「知夏。俺が杏奈を連れて出かけただけで、尾行してここまで来たのか?」

知夏は一瞬呆け、すぐに理解した。誤解されている。

可笑しかった。夫の目に映る自分は、疑ってばかりで夫を追い回す狂った女――そういう存在なのだ。

ビザの話をする気にもならず、淡々と答える。

「通りかかっただけ」

「通りかかった?」九条司は冷笑する。「家から何十キロも離れてるのに?」

杏奈も頬を膨らませて言う。

「ママひどい! パパに自由がない!」

「司、そんなふうに言わないで」清水環奈が一歩前に出て、思いやりの笑みを浮かべる。「知夏だって、あなたのことが心配なのよ。そんなに怒らないで」

若く美しく、上品で、声まで甘い。夫も娘も惹かれるのが分かる気がした。

杏奈は清水環奈の手を握り、目を輝かせる。

「やっぱ環奈ちゃんがいちばん! 優しくて分かってくれる!」

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彼女は兄たちのためにすべてを捧げたというのに、家を追い出され、無残に死んだ。

生まれ変わった今、彼女は人助けの精神などかなぐり捨てた。許さない、和解しない。あなたたちはあなたたちで固まっていればいい。私は一人、輝くだけ。

兄たちは皆、彼女がただ意地を張っているだけだと思っていた。三日もすれば泣きついて戻ってくるだろうと高を括っていたのだ。
だが三日経ち、また三日経っても彼女は戻らない。兄たちは次第に焦り始めた。

長兄:「なぜ最近、こんなに体調が悪いんだ?」――彼女がもう滋養強壮剤を届けてくれないからだ。
次兄:「会社のファイアウォールは、なぜこうも問題ばかり起こす?」――彼女がメンテナンスに来なくなったからだ。
三兄:「新薬の開発が遅々として進まないのはなぜだ?」――彼女が治験をしなくなったからだ。
四兄:「どうしてこんなにつまらない脚本しか上がってこない?」――彼女がもう執筆しないからだ。
五兄:「この義肢は、なぜこんなに出来が悪いんだ?」――彼女が製作をやめたからだ。
六兄:「なぜチームが負けた?」――彼女が脱退したからだ。

兄たちは地に膝をついて許しを請うた。「戻ってきてくれ。俺たちこそが、血を分けた本当の家族じゃないか」

彼女は絶縁状を兄たちの顔に叩きつけ、冷ややかに笑った。
「車が壁にぶつかってから、ようやくハンドルを切ることを覚えたのね。株が上がってから、ようやく買うことを覚え、罪を犯して判決が下ってから、ようやく悔い改めることを覚えた。残念だけど、私は――許さない!」