紹介
千栄美がクリスタルのシャンデリアの下、ドレスを纏い、三百人もの招待客から祝福を受けていた頃、私は街外れの廃倉庫に縛り付けられ、腹の傷口からはまだ血が滲み出ていた。
私は、家族に電話をかけた。出てくれたのは兄の直人(なおと)だけ。その声は、苛立ちと嫌悪に満ちていた。「郁美(いくみ)、また何を企んでる? 今日は千栄美の大事な日なんだ。邪魔するんじゃないぞ」
説明しようとした。でも、電話は切られた。
これが、彼らが私の電話を切った、九十九回目。
そして、最後の一回。
彼らは私が拗ねて、わざと妹の大切な日を欠席したのだと思った。身の程知らずだと罵り、二年前に私をあの片田舎から引き取ったことを後悔している、と。
でも、もう大丈夫。
彼らが後悔する必要は、もうなくなったのだから。
チャプター 1
「これで最後だ。チャンスをやる」
入れ墨の男が目の前でしゃがみ込み、威圧的に告げる。
「家族に迎えに来させろ。電話しろ」
彼は私の足元に携帯電話を放り投げた。
恐怖と寒さで、指先が凍りついたように動かない。それでも私は、震える手でアドレス帳の最上部に固定されたその名前――『兄・直人』を押した。
プルル……プルル……
カビと鉄錆、そして血の臭いが充満する倉庫に、無機質な呼び出し音が虚しく反響する。
繋がった。
受話器の向こうからは、優雅なヴァイオリンの旋律と、クリスタルグラスが触れ合う軽やかな音が漏れ聞こえてくる。私は口を開いたが、喉からはヒューヒューと壊れたような息の音しか出ない。
「もしもし?」
直人の声は、明らかに酒気を帯びていた。
「郁美か?」
「直人、お兄ちゃん……助けて……私、今……郊外の……」
「助けて、だ?」
彼は鼻で笑った。冷え冷えとした嘲笑だった。
「随分とまあ、いいタイミングを選んでくれたな。今は千栄美の成人祝いの真っ最中だぞ。父さんと母さんのスピーチが終わった直後に電話を寄越して、存在感のアピールか?」
「違うの……本当に、人が……」
「いい加減にしろ!」
直人が声を荒らげる。
「お前が育った田舎ならそのヒステリーも通じたかもしれないが、ここでは通用しない。誘拐された? 次はなんだ、もう死にそうだとでも言うつもりか? 郁美、少しは教養というものを身につけろ」
一呼吸置いて、彼の声は絶対零度まで冷え込んだ。
「いいか、もし会場に乗り込んで式を台無しにするような真似をしたら、二度と妹とは思わない。今夜は外で頭でも冷やしてろ。これ以上、恥をさらすな」
プツッ。
通話が切れた。
携帯電話が手から滑り落ち、コンクリートの床に叩きつけられる。画面は完全に暗転した。
これで九十九回目。彼らが私の電話を切ったのは。
そしてどうやら、これが最後になるらしい。
バンッ!
ドアが乱暴に蹴り開けられた。
「使えねえな。家族に愛されてもいねえのか」
入れ墨の男が入ってきて、汚いものでも見るように床に唾を吐き捨てた。
「だから言ったんだよ、あの女は信用できねえって」
もう一人の男が不満を漏らす。
「ただ脅して、写真を数枚撮るだけだって話だったじゃねえか。報酬も少ねえし、そもそもあっちの家はコイツのことなんざ鼻にもかけてねえ」
「もういい」
入れ墨の男が、部屋の隅から鉄パイプを拾い上げた。
「どうせ生かしちゃおけねえんだ」
振り下ろされた鉄塊が頭に当たったとき、想像していたほどの痛みはなかった。
たぶん、心の方がとっくに痛みで麻痺していたからだろう。
意識が急速に拡散していく。身体が羽根のように軽くなる。
視界の端に、リサイクルショップで買った古着を着て、血まみれになった少女が藁の山に転がっているのが見えた。目は見開かれたまま、あの黒くなった携帯電話の画面を凝視している。
彼女は死んだ。
村田郁美は、死んだ。
私はふわりと浮かび上がり、徐々に冷たくなっていく自分の抜け殻を見下ろした。
その瞬間、不思議と安堵感が胸を満たした。
ああ、やっと楽になれた。
もう、顔色を窺いながら言葉を選ぶ必要もない。何か言い間違えて彼らを失望させる恐怖もない。自分が村田の姓に相応しい人間だと、必死に証明する必要も、もうないのだ。
さようなら、私の家族。
私の魂は、華やかなホテルの宴会場へと漂い着いた。
そこでは、特注のドレスに身を包んだ千栄美が、招待客たちと笑顔で写真に収まっていた。
直人は落地窓のそばに立ち、携帯電話を握りしめ、眉間に深い皺を寄せていた。
彼は画面を睨み、一瞬の躊躇いのあと、再び私の番号をリダイヤルした。
応答はない。
「クソッ」
彼は忌々しげに携帯をポケットにねじ込んだ。
「どうしたの、直人?」
母が歩み寄ってくる。首元の真珠のネックレスが、シャンデリアの光を受けて温かみのある輝きを放っていた。
「郁美?」
「あいつ、また癇癪を起こしてやがる。さっき電話してきて、助けてくれだの何だのと泣き喚いてたんだ。芝居はやめろと言ったら、今度は電話に出やしない」
父がウィスキーのグラスを片手に近づき、不快そうに顔をしかめた。
「全く、分からず屋だな。今日は千栄美の晴れ舞台だというのに、一日くらい大人しくしていられないのか」
「やっぱり、あの子を引き取るべきじゃなかったのよ」
母がふう、と溜息をつく。
「二年経っても、あの田舎出しの粗野な振る舞いは抜けないわね」
そこへ千栄美が近寄ってきた。その顔には、完璧に計算された心配そうな表情が張り付いている。
「お姉ちゃん、まだ来ないの? もしかして、本当に何かあったんじゃ……警察に連絡した方がいいかな?」
彼女は伏し目がちに呟く。長い睫毛が頬に小さな影を落とす。
その口元に一瞬だけ浮かんだ、嗜虐的な笑みに気づいた者は誰もいなかった。
「放っておけ」
直人は手を振って妹を制した。
「あいつは全員の関心を自分に向けたいだけだ。典型的な『かまってちゃん』だよ」
彼は再び携帯を取り出すと、親指で素早くフリック入力を始めた。
『千栄美が頼むから呼んでやっただけだ。いいか、これが最後の警告だぞ、郁美。一時間以内に顔を出せ。そうでなければ、俺はお前を妹とは認めない。ただし、千栄美のパーティーをぶち壊すような真似をしてみろ、村田家から勘当されると思え』
空中に漂いながら、私は彼らが談笑に戻るのを眺めていた。
もう待たなくていいよ、お兄ちゃん。
もう二度とイライラする必要もないし、誰かが千栄美のパーティーを台無しにする心配もしなくていい。あの『恥ずかしい田舎育ちの妹』の存在に、肩身の狭い思いをすることもこれでないわ。
あなたたちの愛は、これからは全部、千栄美にあげて。
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