紹介
しかし彼は、義理の妹が飼う猫の避妊手術に付き添うという理由で、私の19回ものSOSの電話を無視し続けた。
祖母の葬儀が終わった日、私はゴミを捨て、そして、彼も捨てた。
再会した時、私は業界で名を馳せるトップデザイナーとなり、隣には彼より百倍も優しい名家の御曹司がいた。
一方彼は、あの義理の妹に裏切られ、医学界から追放され、その名声を地に堕としていた。
チャプター 1
東京中央病院の廊下を照らす寒々しい白色LEDの光は、まるで血液さえも凍らせてしまいそうなほど冷徹だった。
私はスマートフォンを死に物狂いで握りしめていた。力が入りすぎて、指の関節が白く浮き上がっている。
画面に表示されているのは、十九回目の発信履歴――北野直道。
ICUの自動ドアは固く閉ざされている。その奥には、私の唯一の肉親である祖母が横たわっていた。
先ほど、医師から最後通告を突きつけられたばかりだ。祖母は極めて危険な状態の急性大動脈解離であり、この街で最高レベルの心臓外科専門医が今すぐ執刀しなければ、成功率は五分にも満たないと。
そして、この街で最高の心臓外科医とは、私の婚約者である北野直道、その人だった。
「花村さん、北野先生とはまだ連絡がつかないのですか?」
看護師長が焦燥しきった様子で駆け寄ってくる。
「患者さんの血圧が急速に低下しています。これ以上遅れると……」
「かけてます、ずっとかけ続けてるんです」
私の声は情けないほど震えていて、頭を下げる力さえ残っていなかった。
私はもう一度、発信ボタンを押した。
今回、ようやく電話がつながった。
「花村莉緒、いい加減にしてくれないか?」
受話器の向こうから、北野直道の苛立ちを隠そうともしない声が響く。背後がやけに騒がしく、猫の鳴き声のようなものが聞こえた。
「直道、お願い、すぐに中央病院に来て。おばあちゃんが……」
「またその手か?」
北野直道は冷ややかに私の言葉を遮った。
「この前も、記念日に俺を付き合わせるために熱があるって嘘をついただろ。今度は俺を呼び戻すために、自分の祖母まで呪うのか? 莉緒、お前いつからそんな性格の悪い女になったんだ」
私は呆然とした。涙が眼窩でぐるぐると渦巻くばかりで、頬を伝うことさえできない。
「違うの、本当なの! おばあちゃんが大動脈解離で、佐藤教授があなたの技術じゃないと無理だって……」
「あ! 直道お兄ちゃん、由紀ちゃんが血を吐いてるみたい!」
突然、電話の向こうから甘ったるい女の声が聞こえた。泣き混じりの悲鳴だ。
「怖いよぉ!」
直後、北野直道の声が瞬時に優しく、焦ったものへと変わる。
「怖くないよ、優々子。すぐに処置室へ連れて行くから、大丈夫だ」
そして彼は、私にとって一生忘れられない言葉を言い放った。
「花村莉緒、優々子の猫の避妊手術でトラブルがあったんだ。あの子は怖がりだから、俺がついててやらないといけない。自分のわがままで無理を言うのはやめろ。切るぞ」
「北野直道! こっちは人の命がかかってるのよ!」
私はスマートフォンに向かって絶叫した。
プツッ、ツーツーツー……
電話は切れた。
私は全身が氷のように冷え切ったまま、救急救命室の前に立ち尽くした。
私の婚約者は、この国で最も名高い「命を救う医師」は、私の祖母が生死の境をさまよっている瞬間に、彼の「義理の妹」に付き添って猫の手術を優先することを選んだのだ。
三十分後、手術中のランプが消えた。
佐藤教授が出てきて、無念そうに首を横に振り、深く一礼した。
「本当に申し訳ありません。我々は全力を尽くしました。あと三十分、手術が早ければ……」
その後の言葉は、もう耳に入らなかった。天と地がひっくり返ったかのようなめまいに襲われ、世界が一瞬にして崩れ去った。
抜け殻のように手続きを進めていると、不意にスマートフォンが震えた。
インスタグラムの「親しい友達」限定の通知音だ。
島田優々子がストーリーズを更新していた。
写真は、北野直道の横顔だった。彼は一匹のラグドールを真剣な眼差しで抱きかかえており、その瞳は水のように優しかった。
そこには、こんな文章が添えられていた。
【あなたがいてくれてよかった。そうでなきゃ、私と由紀ちゃん、ショックで死んじゃうところだったよ。これが「愛されてる」って感じ? PS:誰かさん、嫉妬しないでね】
その写真を見つめた瞬間、心臓のある場所で何かが完全に砕け散った気がした。粉々になって、欠片さえ残らないほどに。
私は病院の長椅子に座り、一晩を明かした。
その夜、北野直道から電話がかかってくることは二度となかった。
私は七年前のことを思い出していた。両親の反対を押し切り、当時まだ研修医で何も持っていなかった北野直道との結婚を強行しようとした日のことを。
練馬区のすきま風が吹く古い木造アパートで彼と暮らし、コンビニの半額弁当を分け合った。私はパリで服飾デザインを学ぶチャンスを捨て、彼が研究や手術に専念できるよう、家庭に入って毎日手料理を作り続けた。
それが愛だと信じていた。
けれど、それは私一人が演じる独り芝居に過ぎなかったのだ。
夜が明ける頃、私は立ち上がった。膝が強張って、もう少しで崩れ落ちそうになる。私は窓の外に広がる灰色の空と、遠くにかすむ東京タワーを見つめ、自分自身に言い聞かせた。
「花村莉緒。この七年間は、ドブに捨てたも同然ね」
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