紹介
赤も緑も、ただ濁った灰茶色にしか見えない。美術学校では、それは永遠に「壊れた人間」の烙印を押されることを意味した。
高田真琴――十五年間、養兄として、守護者として寄り添ってくれた彼は、この世界のすべての色を見ている。
私が黒と白と灰色の牢に閉じ込められている間も。
……あの展示会の夜、彼が彼女といるのを見てしまうまでは。
絵美さん。Ⅼ市から来た建築家。
『コバルトブルーからウルトラマリンへの移ろい』について語る彼女に、真琴の瞳が輝いた。
あの光――私は一度も、彼の目にあんな輝きを灯したことがない。
その瞬間、悟ってしまった。
こんなふうに壊れてしまった自分が、どうして彼の隣に立てるだろう。
だから、誰にも言わずN市の仕事に応募した。
彼が選ばなければならない前に、消えてしまおうと。
……けれど、彼は私の隠し事を見つけてしまった。
「ずっと、出て行くつもりだったんだな」
その瞳の温もりが、失望に砕け散る。
そのとき、痛いほど思い知った――
失われたものは、もう二度と戻らないことを。
チャプター 1
藤沢茜視点
周囲のクリスタルグラスの中でシャンパンの泡が立ち上り、会場は上品な会話と控えめな笑い声でざわめいている。B市芸術大学、年に一度の展覧会、その特別招待内覧会――一年で最も苦手な夜の一つだ。
私は展示ホールの一角に身を潜め、シャンパングラスを固く握りしめながら、部屋の向こうにいる高田真琴を見つめている。
彼はある女性と一枚の油絵の前に立っている。息をのむほどの、美しい女性だ。
彼女は黒いシルクのドレスをまとい、黒髪は優雅なシニヨンにまとめられている。その身のこなしには、私には到底持ち得ない自信が満ちあふれていた。今、彼女は真琴に身を寄せ、その細い指でキャンバスを指さしている。
「この色の移り変わりを見て」彼女の声は、この距離からでもはっきりと鮮明に聞こえる。「コバルトブルーからウルトラマリンへ、そしてこの微かなセルリアン――この作家の色を操る技術は信じられないわ」
真琴が頷く。その瞳には、私が滅多に見ることのない何かが宿っていた。興奮。純粋で、何ひとつ削がれていない興奮が。
私は自分のシャンパンに視線を落とす。液体が照明を反射してきらめいている。少なくとも、これが金色であることはわかる――私が唯一、正確に識別できる数少ない色の一つ。
赤。緑。それらは私にとって、ただの濁った灰褐色の滲みにしか見えない。
色覚異常。美術学校において、その言葉は呪いも同然だ。
「茜くん!」誰かに名前を呼ばれ、私は顔を上げた。無理に笑みを浮かべて。
コレクターらしき人物が、私の指導教員である松本教授を伴ってこちらへ歩いてくるところだった。
「こちらは黒川さんだ」と松本教授が言った。「君の彫刻シリーズに大変興味をお持ちでね」
私はシャンパンを置き、コレクターの手を握った。彫刻の話――それなら安全領域だ。彫刻に色は必要ない。フォルムと、テクスチャーと、空間認識能力さえあればいい。
そもそも、私が彫刻に転向したのもそれが理由だ。
けれど、私の視線は何度も真琴の方へと引き寄せられてしまう。
あの女性は今や真琴の腕に自分の腕を絡め、二人は笑い合いながら次の作品へと移動している。
二人はお似合いに見えた。完璧な組み合わせだ。
シャンパンが舌の上で苦く感じられた。私は近くのテーブルにグラスを置く。手が微かに震えていた。
どうしてこうなってしまったんだろう。まだ思い出せる。彼が初めて私を庇ってくれた時のこと。まだ私たちが、あの遊び場にいたただの子供だった頃――
「なにその色! キモっ!」
八歳の私は、小学校の運動場の隅でうずくまり、顔を涙で濡らしていた。足元には、破られた画用紙の切れ端が散らばっている――昼休みを丸々使って描いた、秋の木々の絵。
でも、色は全部めちゃくちゃ。赤と緑を混同してしまって、出来上がったのは醜い泥のような茶色だった。
「おまえ、美術の授業なんか出んなよ!」ガキ大将が笑いながら叫ぶ。「色もわかんねーくせに!」
「もうやめろよ」
声がした。冷たくて、怒りに満ちた声が。
顔を上げると、そこに真琴が立っていた。九歳にしては、もう同年代の子供たちより背が高く、今の彼は危険な雰囲気をまとっていた。
「なんだと?」少年が振り返る。でも、それが真琴だとわかると、彼の顔色が変わった。
真琴は一歩前に出ると、その子の襟首を掴んで、ぐいと持ち上げた。
「もうやめろって言ったんだ」彼の声は静かだったが、その一言一言は氷のように鋭かった。「もう一回でも彼女の悪口言ったり、持ち物に触れたりしたら……後悔させるぞ。わかったな?」
少年は必死に頷き、真琴は彼を解放した。少年はよろめきながら、逃げるように去っていく。
真琴はしゃがみ込むと、破られた私の絵の切れ端を、一枚一枚拾い始めた。
「泣くなよ、茜」彼は静かに言った。「この絵は、うまいよ」
「でも、色が――」
「色なんて関係ない」彼は遮った。「世界で最も偉大な芸術の中には、白黒のものもあるって知ってるだろ? 茜は他の人とは違う見方で世界を見てる。それは欠陥じゃない。茜を特別にしてるんだ」
その夜、真琴の両親――高田夫妻が、私のいる児童養護施設まで迎えに来てくれた。
私の両親は二ヶ月前の自動車事故で亡くなった。私には他に誰もいなかった。
「茜ちゃん」奥さんが膝をつき、私の顔から優しく涙を拭ってくれた。「私たちは、あなたを養子に迎えたいの。私たちの家族の一員に。そうしてくれないかしら?」
私は真琴を見た。彼は私に手を差し伸べていた。
「茜の部屋もあるぞ」と彼は言った。「俺の部屋のすぐ隣だ。俺が守ってやる」
私は彼の手を取った。
その日から、真琴はいつもそばにいてくれた。学校で、誰かが私の「奇妙な」作品を馬鹿にすれば、彼は私の前に立ちはだかった。家では、宿題を手伝ってくれ、グレースケールの世界を理解する方法を教えてくれた。
彼は私の保護者だった。私の家族だった。
私の親友だった。
そして、私の最も深い秘密――私は彼を愛している。ずっと、彼を愛してきた。
「藤沢茜さん?」
その女性の声が、私を現実に引き戻した。振り返ると、彼女が私の前に立っていた。唇には親しげな笑みを浮かべて。
「はい」私はなんとか答え、普通に聞こえるよう努めた。
「絵美です」彼女は手を差し伸べた。「藤沢さんの彫刻シリーズ、拝見しました。『触覚の記憶』でしたっけ? 信じられないほど素晴らしいです。テクスチャーの使い方、空間認識力――本当に心を動かされました」
「ありがとうございます」私は彼女の手を握り返しながら言った。彼女の握力はしっかりしていた。
「特に、異なる素材を使って感情を伝える手法が大好きです」と彼女は続ける。「大理石の冷たさ、木の温もり、粘土の脆さ。色を使わなくても、完璧な物語を語ることができるんですね」
私の心臓が締め付けられる。彼女は私の色覚異常について知っているのだろうか?
「真琴からお聞きしました」私の混乱を読み取ったかのように、彼女は言った。「彼は、あなたが今まで会った中で最も才能のあるアーティストだと」
真琴が、私のことを?
「お二人は……知り合って長いんですか?」私は慎重に尋ねた。
「ああ、私たちは最近再会したばかりなんです」絵美さんは微笑んだ。「私はL市で働いていて、B市に戻ってきたばかりで。今、真琴とあるプロジェクトで協力しているんですよ」
「プロジェクト?」
「夢のプロジェクトですよ」彼女の目が輝いた。「正直、真琴があんなに何かに打ち込んでいるのを見たことがありません。彼はこのプロジェクトに本当にワクワクしていて。その話をするたびに、顔がぱっと明るくなるんです」
胃がねじれるような感覚がした。
「そのプロジェクトは、どんな内容なんですか?」
「まだあまり多くは言えませんが」絵美さんはミステリアスな笑みを浮かべて言った。「でも信じて。完成したら、きっと素晴らしいものになりますわ」
その時、真琴がこちらへ歩いてきた。
「茜」彼は私の名前を呼んだ。その声は柔らかい。「探したよ」
彼は絵美さんに目を向けた。「二人は会ったのか?」
「もちろん」絵美さんはまだ微笑んでいた。「藤沢さんは信じられないほど才能豊かだわ」
真琴は私を見つめる。その瞳は温かい。でも、私の頭の中は、絵美さんとの「夢のプロジェクト」のことだけでいっぱいだった。
彼を「顔がぱっと明るくなる」ほど夢中にさせるプロジェクト。
そして私はここにいる。色の見分けさえつかない私が。
どうすれば、私が彼をそんな風に輝かせることができるというのだろうか?
最新チャプター
おすすめ 😍
最強ベビーと難攻不落のママ
しかし、思いもよらない策略による一夜の過ちで、田中春奈は家を追い出され、故郷を離れて海外で学業を続けることになった。
その間、彼女はあの正体不明の男性の子を妊娠していることに気づく。
迷った末、彼女は子どもを産むことを決意した。
5年後、故郷に戻った彼女は江口匠海と出会い、次第に彼に惹かれていく。
しかし、ある事故をきっかけに、あのときの男性が彼であったことを知るのだった。
社長、突然の三つ子ができました!
あの忌まわしい夜から逃げるように去った私だったが、ほどなくして三つ子を妊娠していることに気付く。
五年後、医療界の新星として戻ってきた私は、継母、継姉、実の父へ全ての仕返しを誓う。
その時、彼が現れた。三人の小さな自分そっくりの顔をじっと見つめながら、優しく「パパ」と呼ぶよう子供たちを誘う彼。
ふとシャツのボタンを外し、悪戯っぽく笑って言った――
「どうだい、あの夜の熱をもう一度味わってみないか?」
仮面を脱いだ本物の令嬢に、実の兄たちは頭を垂れた
そんな時、実の両親が私を見つけて、地獄から救い出してくれた。私は彼らがすごく貧しいと思ってたけど、現実は完全にびっくりするものだった!
実の両親は億万長者で、私をすごく可愛がってくれた。私は数十億の財産を持つお姫様になった。それだけでなく、ハンサムでお金持ちのCEOが私に猛烈にアプローチしてきた。
(この小説を軽い気持ちで開くなよ。三日三晩も読み続けちゃうから…)
追放された偽物の娘、その正体は最強でした
あの子が現れたその日、私は『偽物の娘』として家を追い出された。
渡されたのは、わずかな小銭と地方行きの片道切符だけ。
さらに婚約者は私をゴミのように捨て、その日のうちに『本物』であるあの子にプロポーズした。
……上等じゃない。せいぜい勝った気でいればいいわ。
だって彼らは、私の【本当の顔】を何一つ知らないのだから。
名門病院が見放した命を救う『天才外科医』。
オークションで数億円の値を叩き出す『伝説の画家』。
裏社会の闘技場で無敗を誇る『影の女王』。
そして――彼らの全財産すら小銭に思えるほどの『真の巨大財閥の後継者』であることを。
今さら元婚約者が土下座で許しを請おうと、本物の娘が嫉妬で狂いそうになろうと、もう遅い。
かつて私に婚約破棄の書類を叩きつけた冷酷で傲慢なCEOでさえ、今や何かに取り憑かれたように私を追い回し、「もう一度だけチャンスをくれ」とすがりついてくる始末。
私を捨てて、自分たちの人生を『アップグレード』したつもり?
笑わせないで。最初から、圧倒的に上の存在だったのは私のほうよ。
初恋よ、引き下がれ!
私は、彼を無性愛者なのだと思い込んでいた。……あの日、彼の裏切りを知るまでは。
夫の浮気が発覚したのは、相手の女が病院に運ばれたからだった。二人の行為があまりに激しかったせいだという。
そして、何よりも私を打ちのめしたのは、その相手が――私の実の妹だったという事実だ。
その瞬間、心臓を煮えたぎる油に放り込まれたような、耐え難い激痛が全身を貫いた。
転生して、家族全員に跪いて懺悔させる
婚約者にも妹にも裏切られた私。
さらに悲惨なことに、二人は私の手足を切り落とし、舌を抜き、目の前で体を重ね、そして私を残酷に殺したのです!
骨の髄まで憎い...
しかし幸いなことに、運命の糸が絡み合い、私は蘇ったのです!
二度目の人生、今度は自分のために生き、芸能界の女王になってみせる!
復讐を果たす!
かつて私をいじめ、傷つけた者たちには、十倍の報いを受けさせてやる...
妻が去り、妊娠を知った俺は、ただ泣き崩れるしかなかった
しかし、結婚して5年後、彼は離婚を切り出した。その時初めて、彼の想い人が私の父の隠し子(私の異母兄弟)だと知った。
離婚を決意した七海だったが、その時にまさかの妊娠が判明した。
クズ男の叔父さんと結婚したら、溺愛されすぎ
偽物令嬢の逆転劇
実の娘が戻ってきたその日、私はゴミのように家を追われた。
病弱な「お嬢様」の生きる輸血パックとして虐げられ、血を搾り取られ続けてきた日々。用済みになった途端、身に覚えのない盗みの罪を着せられ、婚約者からも冷酷に捨てられた。
元家族たちは、私が「貧しい田舎で野垂れ死ぬ」と信じて疑わなかった。
だが、彼らは何も知らなかったのだ。
私が、世界中のVIPが縋る伝説の名医であることも。
私を迎えに来たオンボロトラックが、実は国家機密級の超高級カスタムマシンであることも。
そして、私の本当の実家が、国さえも動かす世界屈指の超巨大財閥だということも!
「今まで苦労をかけたね、私たちの可愛いお姫様」
生き別れていた超過保護な両親と、各界の頂点に君臨する最強の兄たちに狂おしいほど溺愛されるシンデレラライフが幕を開ける!
一方、大切な「命の恩人」を自ら捨てた元家族たちには、破滅へと向かう絶望の後悔タイムが待ち受けていて!?
虐げられた天才少女が本当の愛と富を掴み取る、逆転ファンタジー、ここに開幕!
離婚カウントダウン ~クズ夫の世話なんて、誰がするか!
奇跡的に視力を取り戻した私が最初に目にしたもの。それは、愛人と絡み合う『献身的な夫』の姿だった。彼の『揺るぎない愛』など真っ赤な嘘。すべては私の莫大な財産を奪うための策略に過ぎなかったのだ。
今度は私が騙す番だ。証拠を徹底的に集め、彼からすべてを奪い取ってやる。
だが、私の復讐劇は予期せぬ展開を迎える。街で最も強大な権力を持ち、冷徹と噂される大富豪が現れたのだ。彼は私の秘密――目が見えていること――を知っていた。そして、悪魔のような取引を持ちかける。
『俺の個人秘書になって借金を返せ。あの夫への制裁……俺も手を貸してやろう』
愚かな夫は、盲目の私を弱者だと信じ込んでいる。だが彼は間もなく思い知ることになるだろう。
視力を取り戻した資産家の妻ほど、危険な存在はないということを。
家族を離れ、自由を望んでる私は既にある者の虜になった
最初はただの衝動的な一夜限りの関係だと思っていたが、まさかこのCEOが長い間私に想いを寄せていたとは思いもよりなかった。
彼が私の元彼に近づいたのも、すべて私のためだった。













