紹介
あの日、私は真新しいポルシェの後部座席で、全裸で絡み合う従妹(いとこ)と婚約者の姿を突き止めた。その車は、つい先日亡くなった祖母が遺してくれた遺産を盗んで買ったものだった。
私に見つかり、二人はパニックに陥った。私が警察に通報するのを阻止しようと、卓上(タクジョウ)は思い切りアクセルを踏み込んだ。
後頭部から血が広がっていく中、駆けつけた警察官に対し、卓上がこう嘘をつくのが聞こえた。
「彼女、精神的に不安定だったんです。自分から車の前に飛び出してきて……!」
私はこうして、狂人扱いされた挙句(あげく)、自殺という汚名を着せられたまま、無念の死を遂げた。
すべてはこれで終わった――そう思った瞬間、私は目を開けた。
先ほどまで視界を覆っていた生温かい血も、全身が砕け散るような激痛も、すべて嘘のように消え去っていた。
チャプター 1
「両親が交通事故で死んだとき、あんたはまだ十歳だったんだよ!うちで引き取って育ててやったっていうのに!これがその恩返しかい」
リビングの床に正座させられている私の鼓膜を、叔母である麻由奈の金切り声が突き刺し、その飛沫が容赦なく顔に降りかかってくる。
「高い金を出して高校まで出してやって!着の身着のままだったあんたに服まで買ってやったのに!お祖母ちゃんが遺した信託基金を盗んで高級車を買うなんて」
「うちの小由美は車を運転することすら怖がるような良い子なんだぞ。その子に濡れ衣を着せようってのか、この性悪が」
叔父の源彦が私の胸ぐらを掴み、思いきり平手打ちを見舞う。
当の小由美といえば、ソファに丸まり、ティッシュを握りしめながらヒックヒックと泣きじゃくっている。
打たれた頬が火のように熱く、ヒリヒリと痛む。
前の人生の私なら、身に覚えのないことでも必死に謝っていただろう。家を追い出され、路頭に迷うのが怖かったから。
しかし今、私はもう一度人生をやり直している。
私は彼らを冷ややかな目で見つめた。私を小間使いのように扱いながら、裏で両親の遺産を食いつぶしてきた親戚たち。そして、金を盗んで私の婚約者とドライブ旅行に行こうとしている従妹。
「私は盗んでいません」
私は立ち上がり、口角から流れる血を拭い取った。
「ポルシェなんて、絶対に買っていませんから」
麻由奈が再び手を振り上げる。
「嘘をおつき!小由美があんたのバッグの中に領収書が入っているのを見たんだよ!この恩知らずの――」
「宮村さん、少しお待ちください」
卓上が前に歩み出で、麻由奈の手首を掴んだ。そして彼はこちらを振り向く。
「クルミ、なあ」
その声には、白々しい同情が滲み出ている。
「大事にする必要はないんだ。君が借金を返すためにバイトを掛け持ちして、相当なストレスを抱えていたことは分かってる。きっと……ほんの出来心だったんだろう」
彼は手を伸ばし、私の手を取った。
「この金は俺が返すから。一時的に借りただけだって説明すればいい。でも、自分がやったってことだけは認めなきゃ駄目だ、クルミ。小由美を怖がらせたんだから、彼女に謝るべきだよ」
胸の奥から激しい怒りが込み上げてくる。
またこれだ。持ち合わせてもいない金で小由美を庇い立てし、裏でその従妹と関係を持っていながら、この『寛大さ』のツケを後で私に払わせようという魂胆だ。
「あなたが返す?」
私は手を振り払った。
「卓上、あなたもう半年も働いていないじゃない。それとも、また私の貯金に手をつけるつもり?」
卓上の顔が引きつる。
「金なら親から借りる。だが、こんなことは二度とするなよ。間違ってるぞ」
「親から借りるって、どんな理由で?」
私は一歩後ずさりし、彼と小由美を交互に睨みつけた。
「あなたたちの安っぽいメロドラマの悪役を演じさせられるのは、もううんざり。私たちはこれで終わりよ、卓上。婚約は破棄させてもらうわ」
「クルミ!」
彼は怒鳴り声を上げた。私が反抗するとは微塵も思っていなかったのだろう。
「もう私のことに干渉しないで!私たち、終わったのよ!」
私は勢いよく身を翻し、怒りに任せて彼を突き飛ばすと、大股で玄関を飛び出した。
「お戻り!」
麻由奈が金切り声を上げる。
「警察を呼んで捕まえてもらうからね!」
「金を盗んだのは小由美よ!警察に捕まるべきなのはあの子の方だわ!」
私は振り返りもせずに叫んだ。
玄関門を抜けようとした瞬間、卓上に腕を強く引かれた。
彼は私をポーチの柱に押し付け、退路を塞いだ。その顔を見るだけで吐き気がする。
「クルミ、いい加減にしろ!自分が何を言ってるのか分かってるのか」
彼は声を押し殺して凄んだ。
「俺が無条件に庇ってやらなかったからって、そこまで言うか?君には失望したよ」
私の手首に食い込む彼の指先を、私は冷たく見下ろした。
「離して」
彼は離すどころかさらに強く握りしめ、ふいに声のトーンを落として、彼が最も得意とするマインドコントロールを始めた。
「なあ、そんなに意地を張るなよ。俺がどれだけ君を愛してるか分かってるだろ。金は代わりに返してやるって言ってるのに、これ以上何が不満なんだ」
「代わりにする?結局、私が盗んだと思ってるわけね」
私は彼の目を真っ直ぐに見据えた。
「それに、小由美みたいなクズが涙を数滴こぼすだけで、あなたはいつも無条件にあの子を信じる。私はあなたの婚約者なのに、一度でも私を信じてくれたことがあった?あなたは私と結婚したいの、それともあの子と一緒になりたいの」
卓上の顔が強張り、視線が泳ぐ。
「結婚するからって、良心を曲げてまで君が従妹をいじめるのを見過ごせるわけないだろ。あの子はあんなに繊細で……」
繊細?ああ、そうね。亡くなったお年寄りの遺産をくすねて高級車を買えるくらいには繊細だわ。
思いきり蹴り飛ばしてやろうかと思った矢先、家の中から小由美の甘ったるい声が響いた。
「卓上……頭がくらくらするの……どこにいるの?」
卓上の反応は、まるで感電でもしたかのようだった。ほとんど反射的に私の手首を放し、振り返りもせずに家の中へと駆け出していく。
これが彼の選択。いつだって、選ばれるのは小由美なのだ。
赤く腫れた手首をさすりながら、私の心の中にわずかに残っていた情も、吹き抜ける夜風と共に綺麗さっぱり消え去った。
私は裏庭にある、使われなくなった独立ガレージへと一直線に向かった。
小由美はそれを隅の方の防水シートの下に隠し、ほとぼりが冷めるのを待って、卓上と『ドライブ旅行』に出かけるつもりなのだ。
私は防水シートを勢いよく引き剥がした。真新しいポルシェが、ガレージの薄暗い電球の光を浴びて鈍く光っている。
運転席の窓には、ちょうど腕が入るほどの隙間が開いていた――さっきの二人はよほど焦っていたのか、それとも興奮しすぎていて、そんな基本的なカモフラージュすら忘れてしまったのだろう。
私はスマートフォンを取り出し、ライトを点けた。証拠が必要だ。彼らが隠滅を図る前に、この車と二人を結びつける物を見つけ出さなければならない。
本革のシートからダッシュボードまで、じっくりと見回す。パッと見はどこも綺麗だった。
それでも私は諦めない。今度はその隙間に手を突っ込み、できる限り近づけて、スマホの画面上でズームにした。
そして見つけた。ステアリングカバーのステッチに引っかかっている、短く縮れた一本の毛が光を反射しているのを。
強烈な吐き気が込み上げてくる。間違いなく、あの二人がこの車の中で行為に及んだ際に残した痕跡だ。
私は吐き気を必死に堪えながら、その写真を撮った。そして、高校を卒業して以来一度も掛けていなかった番号へ発信した。
「浅原?」
電話が繋がると同時に、私は口を開いた。
「ちょっと、力を貸してほしいんだけど」
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