彼と付き合って五年、私がただの実験対象だったと知った

彼と付き合って五年、私がただの実験対象だったと知った

渡り雨 · 完結 · 16.8k 文字

254
トレンド
1.5k
閲覧数
0
追加済み
本棚に追加
読み始める
共有:facebooktwitterpinterestwhatsappreddit

紹介

貧しさから、幸広は結婚の話を決して口にしなかった。

あの日までは。彼が何気なく開けた一本のシャンパンが、私の全財産に相当することを知るまでは。

贅沢三昧の暮らし。それこそが、染宮幸広の真の姿だった。

彼の仲間が尋ねる。「五年も貧乏人のフリをして飽きないのか?いつ身を引くんだ?」

染宮幸広は気だるげに瞼を上げた。「婚約式の日かな」

私は取り乱さなかった。彼の婚約式の日、遠い異国の地へ飛び立つまでは。

後に聞いた話では、染宮グループの御曹司は婚約式の当日に婚約を破棄したらしい。

一人の庶民の女の子のため、後継者の座さえも捨てたのだと。

チャプター 1

 スマホの画面が暗闇の中で微かに光り、私の疲れた顔を映し出す。

 もう午前一時。プロジェクトの締め切りは目前に迫っているというのに、コードのデバッグ作業はまだ終わっていない。

 親指が機械的にインスタグラムの画面をスワイプしていく。やがて、一枚の写真が私の動きを止めた。

 それは東京湾のクルーザーの上に立つ男の写真だった。仕立ての良いスーツを身に纏い、横顔の輪郭とトレードマークの短髪だけが見える。

 彼はシャンパングラスを掲げ、背景には東京の灯りがきらめく夜景が広がっていた。

「まさか……」

 私はそう呟くと、すぐにアルバムを開き、幸広と私のツーショット写真を探し出して見比べる。

 写真の中の彼は、ユニクロのベーシックなTシャツ姿で、温かく素朴な笑みを浮かべていた。

 二枚の写真を何度も切り替えるうち、胸の内に一抹の不安が込み上げてくる。

 少し躊躇った後、私は山田美月にメッセージを送った。

【夜分にごめん。この人、誰か知ってる?】

 美月からの返信は、ほとんど即座に届いた。

【あんたが聞けるような人じゃないよ。何でそんなこと探ってんの】

【別に。ただ、私の彼氏にすごく似てる気がして】

【あんたのあの月給二十万のプログラマーの彼氏? 千絵子、あんた何の夢見てるの?】

 美月の返信には、明らかな嘲りが滲んでいた。

【うちの旦那ですら、あの人の前じゃ一言も口利けないんだから。あんたの、渋谷のボロアパートに住んでるプログラマーの彼氏が、あんな人たちと関われるわけないでしょ】

 「染宮グループ」という文字を目にして、私の心臓がどきりと跳ねた。

 美月は続けてメッセージを送ってくる。

【あんた、あんなに綺麗なのに、何であんな普通の男に青春を無駄にしてるわけ?】

 美月と私は同じ専門学校の卒業生だ。彼女は私のことをずっとライバル視していたが、卒業後、彼女があるグループの御曹司と結婚し、私が金のない貧乏プログラマーの染宮幸広と付き合い始めてから、その比較もようやく終わったのだった。

 私は深呼吸をしてLINEを開き、幸広にメッセージを送った。

【出張どう?】

 五分も経たないうちに、幸広から返信が来た。

【すごく忙しい。まだバグ直してる。今夜は遅くなるかも】

 メッセージを見て、私は無理やり自分を落ち着かせた。

 考えすぎだろう。そうよね、私のプログラマーの彼氏が染宮グループの御曹司なわけがない。

【お疲れ様。明日は幸広の好きなものお弁当に入れるね】

 これ以上探るのはやめて、私はコードのデバッグ作業に戻った。

 だが、思いがけずプロジェクトのインターフェースに深刻な問題が発生した。

 これは重大なインシデントだ。すぐに野村組長に連絡を取らなければ。

 野村組長が今夜、東京湾のクルーザークラブでクライアントと会っていると知り、私は書類をまとめ、東京湾クルーザークラブへと急いだ。

 そこは東京のハイソな人々が集う社交場で、一般人は足を踏み入れることすら難しい。私は会社で一番フォーマルなスーツを着ていたが、それでも豪華絢爛なロビーでは場違いな存在に思えた。

 受付で野村組長はVIPエリアにいると教えられる。

 小走りで向かうと、個室のドアの前で、半開きになった扉の隙間から、出張中のはずの染宮幸広の姿が見えた。

「……あの佐藤千絵子って子、自分の貯金全額の千二百万円を下ろして、さらに親から八百万円借りて幸広の『個人AIアシスタントプロジェクト』に投資したらしいぞ……」

「幸広に金がないから結婚の話を切り出せないとでも思ってんのかね?」

「染宮の若様の庶民体験ごっこも、そろそろ限度ってもんだろ。あの子、わざわざUIデザインまで勉強して、外注費を浮かせてやろうとしてるんだぜ……」

 私はその場で凍りついた。全身の血液が凝固していくようだ。

 彼らは何を言っているの? 染宮の若様?

 さらに私を驚かせたのは、野村組長が幸広の隣で恭しく立ち、彼を「染宮の若様」と呼んでいることだった。

 普段、オフィスで彼に見せている厳しい上司の顔とはまるで違う。

 私は柱の陰に隠れ、幸広の友人である高橋誠の声を聞いた。

「五年の庶民体験は、社会学の論文でも書くには十分だろ? そろそろこの『社会実験』も終わりにしたらどうだ」

 幸広は何も言わず、手の中のシャンパンを揺らしている。

 高橋誠は続けた。

「来週には財務省次官のお嬢さんとの婚約式なんだ。あの子とのこと、そろそろケリをつけないと」

「手切れ金として渋谷のマンションでもくれてやれば? 彼女、おまえに結構尽くしてたみたいだし」

 その場に立ち尽くしたまま、私は世界がぐるぐると回るのを感じた。

 この五年間の出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 表参道のラーメン屋での初デート。彼のために徹夜でインターフェースをデザインしたこと。毎日五時に起きてお弁当を作ったこと。

「社会実験」。

 そう、ただの『社会実験』だったのだ。

 骨の髄から冷気が染み渡り、東京湾の夜風さえも身を切るように冷たい。

 冬の桜の木は、嘘の重みに耐えきれず、もう次の花季を期待することはないだろう。

 私は黙ってクルーザークラブを後にした。東京湾のほとりに立ち、煌々と灯りのともるクルーザーを見つめながら、涙が音もなく頬を伝った。

最新チャプター

おすすめ 😍

溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

113.3k 閲覧数 · 連載中 · 朝霧祈
原口家に取り違えられた本物のお嬢様・原田麻友は、ようやく本家の原田家に戻された。
──が、彼女は社交界に背を向け、「配信者」として自由気ままに活動を始める。
江城市の上流社会はこぞって彼女の失敗を待ち構えていた。
だが、待てど暮らせど笑い話は聞こえてこない。
代わりに、次々と大物たちが彼女の配信に押しかけてくるのだった。
「マスター、俺の命を救ってくれ!」──某財閥の若社長
「マスター、厄介な女運を断ち切って!」──人気俳優
「マスター、研究所の風水を見てほしい!」──天才科学者
そして、ひときわ怪しい声が囁く。
「……まゆ、俺の嫁だろ? ギュってさせろ。」
視聴者たち:「なんであの人だけ扱いが違うの!?」
原田麻友:「……私も知りたいわ。」
離婚後、奥さんのマスクが外れた

離婚後、奥さんのマスクが外れた

208.4k 閲覧数 · 連載中 · 来世こそは猫
結婚して2年後、佐藤悟は突然離婚を申し立てた。
彼は言った。「彼女が戻ってきた。離婚しよう。君が欲しいものは何でもあげる。」
結婚して2年後、彼女はもはや彼が自分を愛していない現実を無視できなくなり、過去の関係が感情的な苦痛を引き起こすと、現在の関係に影響を与えることが明らかになった。

山本希は口論を避け、このカップルを祝福することを選び、自分の条件を提示した。
「あなたの最も高価な限定版スポーツカーが欲しい。」
「いいよ。」
「郊外の別荘も。」
「わかった。」
「結婚してからの2年間に得た数十億ドルを分け合うこと。」
「?」
家族の縁を切った日、兄たちはすべてを失った

家族の縁を切った日、兄たちはすべてを失った

77.3k 閲覧数 · 連載中 · 風見リン
前の人生で両親が交通事故で亡くなった後、長兄は世間体を気にして、事故を起こした運転手の娘を家に引き取った。
公平を期すという名目のもと、兄たちは彼女からリソースを根こそぎ奪い、その尊厳を踏みにじってまで、運転手の娘を支えた。
彼女は兄たちのためにすべてを捧げたというのに、家を追い出され、無残に死んだ。

生まれ変わった今、彼女は人助けの精神などかなぐり捨てた。許さない、和解しない。あなたたちはあなたたちで固まっていればいい。私は一人、輝くだけ。

兄たちは皆、彼女がただ意地を張っているだけだと思っていた。三日もすれば泣きついて戻ってくるだろうと高を括っていたのだ。
だが三日経ち、また三日経っても彼女は戻らない。兄たちは次第に焦り始めた。

長兄:「なぜ最近、こんなに体調が悪いんだ?」――彼女がもう滋養強壮剤を届けてくれないからだ。
次兄:「会社のファイアウォールは、なぜこうも問題ばかり起こす?」――彼女がメンテナンスに来なくなったからだ。
三兄:「新薬の開発が遅々として進まないのはなぜだ?」――彼女が治験をしなくなったからだ。
四兄:「どうしてこんなにつまらない脚本しか上がってこない?」――彼女がもう執筆しないからだ。
五兄:「この義肢は、なぜこんなに出来が悪いんだ?」――彼女が製作をやめたからだ。
六兄:「なぜチームが負けた?」――彼女が脱退したからだ。

兄たちは地に膝をついて許しを請うた。「戻ってきてくれ。俺たちこそが、血を分けた本当の家族じゃないか」

彼女は絶縁状を兄たちの顔に叩きつけ、冷ややかに笑った。
「車が壁にぶつかってから、ようやくハンドルを切ることを覚えたのね。株が上がってから、ようやく買うことを覚え、罪を犯して判決が下ってから、ようやく悔い改めることを覚えた。残念だけど、私は――許さない!」
出所したら、植物状態の大富豪と電撃結婚しました。

出所したら、植物状態の大富豪と電撃結婚しました。

91.4k 閲覧数 · 連載中 · 青凪
5年前、私は誰かの身代わりとなり、無実の罪で投獄された。
出所すると、母親は彼女が獄中で産んだ二人の子供を盾に、植物状態にある億万長者との結婚を強いる。
時を同じくして、その悲劇の大富豪もまた、家族内での権力闘争の渦中にいた。

街では植物状態の男が若い花嫁とどう初夜を過ごすのかと噂される中、この元囚人が並外れた医療技術を秘めていることなど、誰も予想だにしなかった。
夜が更け、無数の銀鍼(ぎんしん)が打たれた男の腕が、静かに震え始める…

こうして、元囚人の彼女と植物状態の夫との、予期せぬ愛の物語が幕を開ける。
さようなら、愛してくれない家族たち。地味な専業主婦は研究界の女王へと覚醒する

さようなら、愛してくれない家族たち。地味な専業主婦は研究界の女王へと覚醒する

70.4k 閲覧数 · 連載中 · 86拓海
「君よりも、彼女のほうが母親にふさわしい」
愛する夫と子供たちにそう言われ、私は家庭内での居場所を失った。
六年間、身を粉にして尽くしてきた日々は、何の意味もなかったのだ。

絶望の中で目にしたのは、かつて母が手にした科学界の最高栄誉であるトロフィー。
その輝きが、私に本来の自分を思い出させた。

私はエプロンを脱ぎ捨て、白衣を纏う。
もう誰かの妻でも、母でもない。一人の科学者として、世界を驚かせるために。

数々の賞を総なめにし、頂点に立った私を見て、元夫は顔面蒼白で崩れ落ちた。
震える声で私の名前を呼び、足元に縋り付く彼。

「行かないでくれ……君がいないと、俺は……」

かつて私を見下していたその瞳が、今は絶望と後悔に染まっていた。
二度目の人生、復讐の私

二度目の人生、復讐の私

64.4k 閲覧数 · 連載中 · 彩月遥
家族は私を虐待し、全く気にかけてくれなかった。その一方で、養女には愛情と世話を惜しみなく注いでいた。家での私の地位は、使用人以下だった!

誘拐されて殺されても、誰一人として私を気にかける者はいなかった……彼らが憎くて憎くてたまらない!

幸い、運命のいたずらで、私は生まれ変わることができた!

二度目の人生を手に入れた今、私は自分のために生きる。そして芸能界の女王になってみせる!

そして復讐を果たす!

かつて私をいじめ、傷つけた者たちには、十倍にして償わせてやる……
離婚後つわり、社長の元夫が大変慌てた

離婚後つわり、社長の元夫が大変慌てた

158.1k 閲覧数 · 連載中 · 来世こそは猫
三年間の隠れ婚。彼が突きつけた離婚届の理由は、初恋の人が戻ってきたから。彼女への けじめ をつけたいと。

彼女は心を殺して、署名した。

彼が初恋の相手と入籍した日、彼女は交通事故に遭い、お腹の双子の心臓は止まってしまった。

それから彼女は全ての連絡先を変え、彼の世界から完全に姿を消した。

後に噂で聞いた。彼は新婚の妻を置き去りにし、たった一人の女性を世界中で探し続けているという。

再会の日、彼は彼女を車に押し込み、跪いてこう言った。
「もう一度だけ、チャンスをください」
離婚当日、元夫の叔父に市役所に連れて行かれた

離婚当日、元夫の叔父に市役所に連れて行かれた

98.8k 閲覧数 · 連載中 · van08
夫渕上晏仁の浮気を知った柊木玲文は、酔った勢いで晏仁の叔父渕上迅と一夜を共にしそうになった。彼女は離婚を決意するが、晏仁は深く後悔し、必死に関係を修復しようとする。その時、迅が高価なダイヤモンドリングを差し出し、「結婚してくれ」とプロポーズする。元夫の叔父からの熱烈な求婚に直面し、玲文は板挟みの状態に。彼女はどのような選択をするのか?
すみませんおじさん、間違えた

すみませんおじさん、間違えた

58.5k 閲覧数 · 連載中 · yoake
「まさか...伝説の人物に誤って言い寄ってしまうなんて...」

クズ元カレと意地悪な姉に裏切られ、復讐を誓った彼女。
その手段として、元カレのイケメンで金持ちの叔父に標的を定めた。

完璧な妻を演じ、男心を射止めようと奮闘する日々。
彼は毎日無視を続けるが、彼女は諦めなかった。

しかしある日、とんでもない事実が発覚!
標的を間違えていたのだ!

「もういい!離婚する!」
「こんな無責任な女がいるか。離婚?寝言は寝て言え」
偽物令嬢のはずが、実家はまさかの兆円財閥!

偽物令嬢のはずが、実家はまさかの兆円財閥!

49.1k 閲覧数 · 連載中 · 蛙坂下道
中島夏美は中島家で十八年間お嬢様として過ごしてきた。聡明で向学心に富み、W市の令嬢の鑑として、中島家の名声を大いに高めた。
しかし、成人を迎える矢先に、自分が両親の実の娘ではないと告げられた。
生まれた時に、取り違えられていたのだ!
中島家はすぐに実の娘、中島結子を探し出した。
中島結子は表向きはか弱く善良だが、裏ではことあるごとに彼女を陥れた。
 例えば今回、中島夏美が水に落ちたのも中島結子が仕組んだことだった。
前の人生では、彼女は本当に中島結子が過失でやったのだと信じ、あっさりと許してしまった。
まさか、中島結子がその後、ますますエスカレートしていくとは。
中島夏美が持っていたすべて――家族、友人、仕事、チャンス。
彼女はそれを破壊し、奪い取ろうとした!
裏切られた後に億万長者に甘やかされて

裏切られた後に億万長者に甘やかされて

681.7k 閲覧数 · 連載中 · FancyZ
結婚四年目、エミリーには子供がいなかった。病院での診断が彼女の人生を地獄に突き落とした。妊娠できないだって?でも、この四年間夫はほとんど家にいなかったのに、どうやって妊娠できるというの?

エミリーと億万長者の夫との結婚は契約結婚だった。彼女は努力して夫の愛を勝ち取りたいと願っていた。しかし、夫が妊婦を連れて現れた時、彼女は絶望した。家を追い出された後、路頭に迷うエミリーを謎の億万長者が拾い上げた。彼は一体誰なのか?なぜエミリーのことを知っていたのか?そしてさらに重要なことに、エミリーは妊娠していた。
社長、奥様が亡くなりました。ご愁傷様です

社長、奥様が亡くなりました。ご愁傷様です

51.3k 閲覧数 · 連載中 · 青凪
お金と特権に囲まれて育った私。完璧な人生に疑問を持つことすらなかった。

そんな私の前に彼が現れた―
聡明で、私を守ってくれる、献身的な男性として。

しかし、私は知らなかった。
私たちの出会いは決して偶然ではなかったことを。
彼の笑顔も、仕草も、共に過ごした一瞬一瞬が、
全て父への復讐のために緻密に計画されていたことを。

「こんな結末になるはずじゃなかった。お前が諦めたんだ。
離婚は法的な別れに過ぎない。この先、他の男と生きることは許さない」

あの夜のことを思い出す。
冷水を浴びせられた後、彼は私に去りたいかと尋ねた。
「覚えているか?お前は言ったんだ―『死以外に、私たちを引き離せるものはない』とね」

薄暗い光の中、影を落とした彼の顔を見つめながら、
私は現実感を失いかけていた。
「もし...私が本当に死んでしまったら?」