紹介
彼に近づくために。
私は身分を偽り、家柄を捏造した。すべては、彼と結婚するためだけに。
慎重にさえしていれば、この関係は長く続くと思っていた。
でもある日。
彼の声が聞こえてしまった。
「嫂さんをちゃんと守るって約束したからな。じゃなければ、嘘だらけの噓つきなんかと結婚するものか。彼女がいればこそ、父さん母さんは義姉さんを責めずに、その矛先を彼女に向けてくれる」
チャプター 1
銀座、帝国ホテルの姿見の前で、私は二十万円のシャネルのイブニングドレスを整えていた。
黒のベルベットが身体のラインに吸い付き、首元のパールネックレスがシャンデリアの下で温かな光を放っている。
これこそが、青山家の「若奥様」としてあるべき姿だ。
「美波、支度はできたか?」
寛貴がドアを開けて入ってくる。その長い指は、袖口のカフスボタンを直していた。
今夜の彼は、トム・フォードのオーダーメイドスーツを纏っている。黒地に浮かぶ暗紋が、照明の下で見え隠れしていた。
「ええ」
私は振り返る。ドレスの裾が床を擦り、微かな衣擦れの音を立てた。
彼は私を一瞥したものの、その視線が私の顔に留まったのは三秒にも満たなかった。
「行くぞ。遅れるな」
まるで秘書に指示を出すような、淡々とした口調。
私は彼の後ろに従って部屋を出た。大理石の床を叩くヒールの音が、乾いた響きを奏でる。
エレベーターのドアが閉まる瞬間、鏡面に映る自分の姿が見えた——完璧なメイク、優雅な立ち振る舞い。まるで精巧なマネキンのようだった。
会場は三十二階にある。
ドアが開いた瞬間、華やかな喧騒が押し寄せてきた。
クリスタルのシャンデリアが無数の光を降らせ、グラスを交わす音の中に東京の財界人たちが集っている。
「青山君、奥様は今夜も光り輝くように美しいですね」
取引先の重役がシャンパンを片手に近づいてきた。
「恐縮です」
寛貴は礼儀正しく頷くと、私の腕から手を離した。
「向こうで挨拶してくる」
彼は行ってしまった。
グラスを持ったまま、私はその場に取り残される。
私の視線は、窓際に立つ水野雪乃へと向かう彼を追っていた。
今夜の彼女は淡い紫色の着物に身を包み、髪は伝統的な島田髷に結い上げられ、パールの簪が挿されている。
寛貴は彼女のそばで足を止め、身を屈めて何かを囁いた。雪乃が口元を隠してふふっと笑う。
私は化粧室のドアを押し開けた。冷たい水を顔に浴びせると、メイクが少し滲んだ。
鏡の中の女は、どこか虚ろな目をしている。
外へ出ようとした時、寛貴が誰かと話している声が聞こえてきた。
「寛貴、お前も残酷な奴だな。あの女が詐欺師だと知っていながら嫁にするなんて」
寛貴の大学時代の友人、山田だ。
私の足が止まる。
「医学部教授の娘だなんて大嘘だ。調べたさ。父親は失業中のアル中で、母親はずっと前に蒸発してる。高校すらまともに卒業しちゃいない。あるのは顔と、口先だけの嘘八百だ」
心臓を鷲掴みにされたような痛みが走る。
「それなのにお前は——」
「雪乃には避雷針が必要なんだ」
寛貴の声は静かで、まるで天気の話でもしているかのようだった。
「母さんは雪乃への要求が厳しすぎるし、拓也兄さんももういない。俺が身元の怪しい女を娶れば、あの人たちの注意はそちらへ逸れる」
「つまり、わざと家族に桐谷さんを苛めさせていると?」
「ああ。両親が美波を厳しくしつければしつけるほど、雪乃を監視する余裕はなくなるからな」
私は壁に背を預け、爪が掌に食い込むほど拳を握りしめた。
「でも、桐谷さんはお前に本気なんだろ? 見てりゃわかるよ」
「本気?」
寛貴は鼻で笑った。
「詐欺師の真心なんて、いくらの値がつくんだ?」
いくらの値がつく。
いくらの値がつく。
その言葉が脳内で炸裂し、耳鳴りが止まない。自分が叫び声を上げてしまわないよう、私は必死に口を押さえた。
「行くぞ、戻ろう」
寛貴が言う。
足音が遠ざかっていく。
私は壁伝いにその場へ崩れ落ちた。ドレスの裾が床に広がる。廊下の冷房は効きすぎているはずなのに、寒さは感じない。ただ、胸の奥の場所がごっそりと抉り取られたようだった。
彼は知っていた。
ずっと、知っていたのだ。
私が父を海外の医学教授だと言った瞬間から、偽造した卒業証明書を出した瞬間から、区役所で婚姻届を出したその瞬間から——彼はすべてを知っていた。
それでも、彼は私を娶った。
愛ゆえではない。私が完璧な生贄だったからだ。
この一年間の日々が走馬灯のように蘇る。
青山家の本邸で、義母が私に向ける視線は常に値踏みと軽蔑に満ちていた。仏間で正座しての読経、真冬の庭での草むしり、氷水での洗濯。
名門のしきたりだと思っていた。
そうではなかった。彼らは最初から、私が詐欺師だと知っていたのだ。
そして寛貴は、書斎に座り、階下から響く母親の罵声を聞きながら何もしなかった。それこそが彼の望みだったからだ——すべての怒りの炎が私を焼き尽くすことで、水野雪乃が青山家で心安らかに過ごせるように。
私は壁に手をついて立ち上がった。足が震えている。
鏡の中の女は化粧が崩れ、アイラインが滲んで、まるで黒い涙の痕のようになっていた。
蛇口を捻り、冷たい水でファンデーションとチークを洗い流す。蒼白な素顔が露わになる。
私は再び、化粧を施し始めた。
ファンデーション、コンシーラー、チーク、口紅。
一つ一つの動作を、ゆっくりと、丁寧に行う。
鏡の中には再び、完璧な青山家の「若奥様」が現れた。
化粧室のドアを開ける。廊下には誰もいない。
ドア一枚隔てた向こうからは、別世界のような宴の喧騒が聞こえてくる。私は深く息を吸い込み、扉を押し開けて中へと歩き出した。
寛貴は窓際に立ち、ウイスキーのグラスを傾けながら数人の実業家と談笑していた。私の視線に気づくと、彼は振り返り、微かに眉を寄せた。
「ずいぶん長かったな」
「少し、気分が悪くて」
私は彼のそばへ歩み寄り、その腕に手を添えた。
彼が一瞬だけ身を強張らせたが、私を振り払うことはなかった。
「青山夫人、顔色が優れませんね。早めにお帰りになっては?」
そばにいた男性が気遣わしげに尋ねる。
「いいえ、大丈夫ですわ」
私は微笑んで答え、指先に力を込めた。寛貴の腕の筋肉が緊張するのが伝わってくる。
彼は私を見下ろした。その瞳に一瞬、疑念がよぎる。
私は顔を上げ、澄み切った瞳で彼を見つめ返した。
「まだ、いられます」
「そうか」
彼は視線を外し、再び談笑に戻った。
私は彼の隣に立ち、品の良い微笑みを保ち続けた。視界の端で、水野雪乃が数人の婦人たちと話しているのが見えた。着物姿で優雅に振る舞い、慎ましやかな笑みを浮かべる彼女は、誰の目にも完璧な青山家の長男の嫁に映るだろう。
彼女が私の視線に気づき、こちらを向いた。
視線が空中で絡み合う。
彼女の口角が上がり、瞳の奥に勝ち誇ったような色が走った。そして何事もなかったかのように視線を逸らし、隣の人との会話に戻っていった。
その瞬間、私は悟った。
彼女は、私が聞いてしまったことを知っている。
宴が終わったのは、夜の十一時を回っていた。寛貴の運転手が車を玄関に回し、私が後部座席に乗り込むと、彼も反対側から乗り込んできた。
車は東京の夜闇へと滑り出す。
ネオンサインが車窓を流れ、彼の横顔を明滅させていく。
「今夜はいい振る舞いだった」
唐突に寛貴が言った。
私は振り向く。
「え?」
「宴席での君のことだ」
彼は前を見据えたまま言った。
「とても、ふさわしかった」
ふさわしかった。
まるで、合格点の出た「道具」のように。
「ありがとうございます」
私は静かに答えた。
車内は沈黙に包まれた。
運転手がオーディオを入れると、緩やかなジャズが流れ出した。私はシートに身を預け、目を閉じる。
脳裏には、先ほどの会話がこびりついて離れない。
『詐欺師の真心なんて、いくらの値がつくんだ?』
いくらだろう。
寛貴と初めて出会った時のことを思い出す。あれはあるチャリティーオークションの会場だった。彼の方から声をかけてきて、その物腰は柔らかく、紳士的だった。
運命の出会いだと思った。
今思えば、あの瞬間から既に、彼は私の素性を調べ上げていたのかもしれない。私に近づき、口説き、プロポーズし、家族に会わせる——そのすべてが、周到に仕組まれた罠だったのだ。
そして私は、馬鹿みたいにその罠へと飛び込んだ。
車が青山家の本邸の前に停まる。
黒い瓦と白い壁の伝統的な日本家屋。庭には松や楓が植えられている。月光が石畳を照らし、辺りは静寂に包まれていた。
「先に休んでいてくれ」
寛貴はそう言い捨て、先に車を降りた。
私は彼の後ろについて庭を抜け、玄関の扉を開ける。
屋敷の中は暗く、廊下の常夜灯だけが点いていた。寛貴は靴を脱ぐと、迷わず書斎の方へと歩き出した。
「片付ける書類がある。君は寝ていい」
「はい」
私は玄関に立ち尽くし、廊下の闇に消えていく彼の背中を見送った。
そして踵を返し、自室へと向かう。
二階にある部屋の窓からは、庭が見下ろせる。窓を開けると、初秋の涼気を帯びた夜風が吹き込んできた。
東京の夜空に星は見えない。あるのは遠くの灯りだけだ。
窓辺に座り、ハイヒールを脱いで痛む足首をさする。ドレスの背中のファスナーが引っかかり、しばらく苦戦したが、ようやく下ろすことができた。
鏡の中の女は華やかな殻を脱ぎ捨て、疲れ切った本当の姿を晒している。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。
続けるべきだろうか?
何も知らないふりをして、彼の盾となり続け、この家で嘲笑され、苛められ、辱められる日々を?
けれど、ここを出て行ってどうなる?
私に行ける場所なんてあるの?
祖母はもう亡くなった。この世界に、私と血の繋がった人間は一人もいない。学歴もなければ、スキルもない。高校さえ中退した身だ。青山家を出れば、私はただの何者でもない女に戻る。
少なくとも今は、私は青山家の若奥様だ。
少なくとも今は、こんな立派な屋敷に住み、高価な服を着て、上流階級の場所に出入りできる。
少なくとも今は、毎日彼に会える。
たとえ彼が、私を愛していなくても。
たとえ彼が、私を利用しているだけであっても。
私は目を閉じ、枕に涙を吸わせた。
「もう少しだけ、我慢しよう」
自分自身に言い聞かせる。
「もしかしたら、彼が振り向いてくれるかもしれない」
「もしかしたら、彼が私を愛してくれるかもしれない」
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彼を闇へ堕としたかつての私は、もういない。
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離婚後、奥さんのマスクが外れた
彼は言った。「彼女が戻ってきた。離婚しよう。君が欲しいものは何でもあげる。」
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「いいよ。」
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「わかった。」
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「?」
偽物令嬢の逆転劇
実の娘が戻ってきたその日、私はゴミのように家を追われた。
病弱な「お嬢様」の生きる輸血パックとして虐げられ、血を搾り取られ続けてきた日々。用済みになった途端、身に覚えのない盗みの罪を着せられ、婚約者からも冷酷に捨てられた。
元家族たちは、私が「貧しい田舎で野垂れ死ぬ」と信じて疑わなかった。
だが、彼らは何も知らなかったのだ。
私が、世界中のVIPが縋る伝説の名医であることも。
私を迎えに来たオンボロトラックが、実は国家機密級の超高級カスタムマシンであることも。
そして、私の本当の実家が、国さえも動かす世界屈指の超巨大財閥だということも!
「今まで苦労をかけたね、私たちの可愛いお姫様」
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一方、大切な「命の恩人」を自ら捨てた元家族たちには、破滅へと向かう絶望の後悔タイムが待ち受けていて!?
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ベンジャミンは驚愕し、私たちを引き留めようとする。
しかし、息子たちは冷酷な父親を敵視し、断固として拒絶するのだった。
「僕たちを捨てた男なんて、父親じゃない!」
やがて明らかになる、あの日の「火事」の真相と、悪女オリビアの卑劣な罠。
すべての誤解が解けた時、彼が差し出す愛を、私は受け入れることができるのか?
憎しみと、消え残る愛の間で揺れる、会と許しの物語。
弁護士とゴッドファーザー
ウイスキーが喉を灼く。その時、彼が目に入った。
仕立ての良いスーツが広い肩幅を引き立て、その瞳の奥には人を威圧するほどの冷静さが宿っている。
気品を纏ったその肉体は、骨の髄まで溶かすような誘惑に満ちていた。
私は千鳥足で歩み寄り、身体の火照りを感じながら問いかけた。「……あなた、お相手してくれる?」
彼は口元をわずかに吊り上げた。「君のことは知っているよ」
私は彼の膝の上に腰掛けた。シガーの煙と濃厚なコロンの香りが私を幾重にも包み込む。
指先で彼の顎に触れ、そのまま腰元の冷たい金属のアクセサリーへと滑らせた。
その瞬間、彼は私を強く抱き寄せた。その身体は重厚で力強く、逃げることなど許さない。
重ねられた彼の唇は重く、熱く、深く、拒絶を許さないほどの独占欲を孕んでいた。
口づけを交わすたびに呼吸を奪われ、触れられるたびに、私はどうしようもなく彼に寄り添ってしまう。
彼に横抱きにされてバーを後にする頃には、私の頭はすっかり朦朧としていて、心の奥でさらなる温もりを求めていた。
彼のベッドの上で、彼は熱烈でありながらも理性を保ち、何度も私を絶頂へと導き、すべての理性を狂わせていく。
翌朝、目が覚めると、私は彼のベッドのシーツにくるまれていた。肌には彼が残した痕跡がいくつも刻まれている。
夜が明ける前に、私は逃げるようにその場を去った。この一夜は、元カレへのあてつけの、ただの荒唐無稽な過ちだと言い聞かせて。
けれど、彼と過ごしたあの夜の時点で、私の運命はすでに決まっていたのだ――。
私を芯から熱くさせたあの男は、私の想像を遥かに超えるほど、危険な存在だった。
婚約破棄後、私はヤクザの組長と結婚した
救いの手を差し伸べたのは謎めいた男・葉夜(かなや)だったが、彼の真意は読めない。
一方、妃那の宿敵であり自信家の祈葉(いのか)は、自らの美貌と魅力を武器に黒社会の頂点を目指すが、
思いもよらぬ残酷な試練に追い込まれていく。
誤解と嫉妬、愛と憎しみが絡み合い、
それぞれの思惑がやがて一つの危険な運命へと収束していく――。













