親友の妻子を五年も世話した夫が帰宅。私は待ってましたとばかりに離婚届を突きつけました

親友の妻子を五年も世話した夫が帰宅。私は待ってましたとばかりに離婚届を突きつけました

渡り雨 · 完結 · 20.0k 文字

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紹介

山間部の医療支援に五年赴いていた夫が、一組の母娘を連れて帰ってきた。

「彼女たちは可哀想なんだ。亡くなった親友に顔向けできない」
そう言って、夫は二人を甲斐甲斐しく世話している。

その小さな女の子は夫の腕に抱かれながら「パパ」と呼び、私たちの娘は私の後ろに隠れて、こう言った。

「おじさん、だあれ?」

今回。
私は夫を詰ることも、怒りを感じることすらなかった。

ただ、離婚しようと思った。

チャプター 1

 エレベーターのドアが開いた瞬間、私は呆然と立ち尽くした。

 病院の職員寮の階下で、山間部の診療所の白衣を着た男が、一人の女性と子供の手を引いていた。

 女性はウェーブのかかった髪で、優しく少女の襟元を直している。六歳くらいの女の子は小さな顔を上げ、甘えるように男の袖を引っぱった。

「パパ、お腹すいた」

 その「パパ」という声は、澄んで甘ったるく、まるでこの世で最も自然な呼び方のようだった。

 私の指は、ブリーフケースのファスナーを強く握りしめ、関節が白くなる。

 五年。山口文人が、ついに帰ってきたのだ。

 そして彼が連れ帰ったのは、こんなにも温かい「家族」の光景だった。

「楓ちゃん、いい子ね。もうすぐパパがご飯に連れて行ってくれるから」

 と、女性が優しく言う。その声には、どこか依存の色が滲んでいた。

 彼女の手は自然に文人の腕に置かれている。かつて私がそうしていたように。

 文人は少女を見下ろし、私が見たこともないほど甘やかすような笑みを浮かべた。彼は少女の髪をそっと撫でる。

「何が食べたい? パパが連れて行ってやるよ」

「ほんと? じゃあラーメンがいい!」

「よし、ラーメンを食べに行こう」

 私はエレベーターの出入り口に立ち尽くし、まるで部外者だった。

 五年前の記憶が、荒れ狂う波のように押し寄せてくる。

 あれは深夜だった。救急科の赤いランプが絶え間なく点滅していた。ストレッチャーには転院してきた重症患者が横たわり、文人と同僚の中村雄介は六時間にも及ぶ必死の救命措置にあたっていた。

 最終的に、中村雄介は手術台の上で心停止を起こし、不慮の死を遂げた。

 文人は虚ろな目で、知らせを聞いて駆けつけ、雄介の亡骸のそばで泣き崩れる雪絵を見つめていた。

 雪絵は当時二歳だった楓ちゃんを抱きしめ、声を詰まらせていた。

 誰もが同情した。この事故は誰も望んでいなかった。だが……。

 誰も予想していなかったのは、文人が彼女たち母娘の面倒を見ると約束したことだった。

 妊娠検査の資料を準備していた私は、文人の決意を聞いた時、完全に目が覚めた。

「文人、私、妊娠してるのよ! こんなことして、私のことを考えたの?」

「智美、これは俺の責任なんだ。中村は俺と一緒に手術のパートナーをしていて過労死した。もしあの時、俺がもっとうまくやれていれば、もう少し早く終わらせられていれば、雄介は死なずに済んだんだ!」

「あなたの責任?」

 私は怒りに任せて立ち上がった。

「じゃあ、私たちの子は? これはあなたの責任じゃないっていうの?」

 文人は初めて私に声を荒らげた。

「智美、いい加減にしろ!」

 その怒声に私は一歩後ずさり、足を滑らせ、ローテーブルに向かって体ごと倒れ込んだ。下腹部から激しい痛みが走り、私はお腹を抱えて床にうずくまった。

「智美!」

 文人が駆け寄り、私を抱き起こした。

 救急科の同僚たちが緊急で診察にあたり、私は病室のベッドに横たわっていた。文人はベッドのそばに座り、目を真っ赤にしていた。

「ごめん、智美。怒鳴るべきじゃなかった」

 私は目を閉じ、涙が目尻から滑り落ちた。

 それから間もなく、文人は山間部への医療支援を申請した。期間は二年。

 しかし結局、二年は五年に延びた。

 妊娠六ヶ月の時、文人とは完全に連絡が途絶えた。

 山間部は電波が悪く、彼がたまに送ってくるメッセージも「多忙。自分のことは自分でしっかり」というだけだった。

 私は一人で妊婦健診をこなし、一人でつわりに耐え、一人で出産を経験した。

 まるで私の人生に、片割れの存在など初めからなかったかのように。

 看護師が生まれたばかりの葵を私の胸の上に置いてくれた時、私は文人に最後のメッセージを送った。

「娘が生まれました。とても元気です」

 返信はなかった。

 それ以来、私から彼に連絡することは二度となかった。

 五年間、私はICUの看護師から看護部長になり、一人で葵を育て上げた。

 新しく来た同僚たちは私のことをシングルマザーだと思っていたし、私もそれを訂正することはなかった。

 今日この日まで。彼がここに現れ、彼を「パパ」と呼ぶあの少女を連れてくるまでは。

「おじさん、こんにちは。すみません、通してください」

 澄んだ子供の声が、私の回想を断ち切った。五歳の葵が階上から駆け下りてきて、文人を見ると礼儀正しく尋ねた。

 文人ははっと息を呑み、複雑な眼差しで見知らぬ、それでいて見覚えのあるこの小さな少女を見つめた。

「私の娘です」

 私は歩み寄り、平然と紹介した。

「俺たちの、娘か?」

 文人の声は微かに震えていた。

 葵は小さな顔を上げ、少し恥ずかしそうに、しかし臆した様子で言った。

「おじさん、こんにちは。白石葵です」

「白石……」

 文人はその姓を繰り返し、悄然とした表情を浮かべた。

 雪絵はその時になってようやく私に気づき、どこか居心地悪そうに言った。

「あなたが智美看護部長ですね? 五年前に病院でお世話になりました。こちら、娘の楓ちゃんです」

 楓ちゃんはおずおずと文人の後ろに隠れたが、それでも甘い声で呼びかけた。

「パパ、この人が病院のおばさん?」

 同じ子供なのに、楓ちゃんが「パパ」と呼ぶのはあんなにも自然で、葵は礼儀正しく、どこかよそよそしく「おじさん」としか呼べない。

 なんとも皮肉なことだ。

「文人先生にはこの数年間、私たち母娘の面倒を見ていただいて。彼がいなかったら、本当にどうしていいか分かりませんでした」

 雪絵は感謝を口にし、その眼差しには依存の色が満ちていた。

 文人は私を一瞥し、低い声で言った。

「先に彼女たちを落ち着かせてから、戻る」

 三人が去っていく後ろ姿を見つめながら、私は骨の髄まで凍えるような寒気を感じた。

 深夜十一点、ドアのチャイムが鳴った。

 ドアスコープから文人が立っているのを確認し、少し躊躇してからドアを開けた。

「入って」

 私は身を引いて道を開けた。

 文人はリビングを見回し、壁の写真——私と葵のツーショット——に視線を留めた。

 彼の眼差しは、読み解けないほどに複雑だった。

「ここも、俺の家だ」

 と、彼が唐突に言った。

 まるで私が彼を客人のように扱ったことへの不満を漏らしているかのようだった。

 私は一瞬呆気に取られ、不動産の権利証に確かに彼の名前がまだあることを思い出した。

「お水、飲む?」

 と私は尋ねた。

「智美」

 文人が不意に私の名前を呼んだ。

「雪絵さんたちのことなんだが——」

「説明しなくていいわ」

 私は彼の言葉を遮った。

「この数年、大変だったわね」

「放っておけないのは、分かってるだろ」

 私は頷いた。

「ええ、分かってる。安心して。とっくに全部、理解してるから。それで、いつ発つの?」

 文人は私を見つめ、その目に一瞬、傷ついたような色がよぎった。

「もう、どこにも行かない」

 私は長い間沈黙し、最後に言った。

「とりあえず、空いてる部屋を使って。明日、改めてちゃんと話しましょう」

 彼は突然私の手を掴んだ。

「お前は? 俺たちは夫婦じゃないのか?」

 私はふわりと手を引き抜いた。

「やめて。もう遅いし、眠たいの。ご自由にどうぞ」

 翌朝、葵が不安そうに尋ねてきた。

「ママ、どうしてあのおじさん、うちの家にいるの?」

 文人がキッチンから顔を出した。

「葵、俺はおじさんじゃない。お前のパパだ」

 葵はすぐに私の後ろに隠れ、私の脚にぎゅっとしがみついた。

 葵は小さな顔で私を見上げ、それから文人を見て、最後に小さな声で呼びかけた。

「パ……パパ」

「……おう!」

 文人の目尻が瞬く間に赤くなった。

「いい子だ!」

 だが葵は明らかにその呼び方に慣れておらず、すぐに自分の部屋に戻っておもちゃで遊び始めてしまった。

 それからの日々、私は意図的に文人の生活リズムを避けた。

 朝は彼が起きる前に病院へ行き、夜は彼が寝てから帰宅する。私たちはまるでルームシェアをする同居人のように、それぞれが表面上の平穏を保っていた。

 あの朝までは。書類を忘れて家に取りに戻った私は、エレベーターのドアが開いた時、文人がダイニングテーブルのそばでしゃがみ込み、根気よく葵に朝食を食べさせているのを目にした。

「葵はえらいな。もう一口」

「パパ、お腹いっぱい」

 葵の声にはまだぎこちなさが残っていたが、その呼び方に慣れようと努力しているのが分かった。

「一緒に朝ごはん、食べるか?」

 文人は私を見ると、期待の色を瞳に浮かべた。

「いい。病院で食べるから」

 私はほとんど逃げるようにエレベーターに飛び込んだ。

 ドアが閉まるその瞬間、私は冷たい金属の壁にもたれかかり、脳裏に二つの全く異なる声が響き渡るのを感じていた。

 一つは、楓ちゃんの甘ったるく自然な「パパ、お腹すいた」。

 もう一つは、葵の恐る恐るの「パパ、お腹いっぱい」。

 同じ「パパ」なのに、どうしてこんなにも違うのだろう?

 どうして、他人の娘は当たり前のように呼べるのに、私の娘は自分の父親をどう呼ぶか、おそるおそる学ばなければならないのだろう?

 そして、もう一つ。

 この五年という時間を、彼は一体どう向き合うつもりなのだろうか。

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私の寝顔に優しくキスを落としながら、彼は勝ち誇ったように告げた。
「彼女はクタクタになって、さっき眠ってしまったから」