格上婚?それどころか、とんでもない財産を受け継いじゃった!

格上婚?それどころか、とんでもない財産を受け継いじゃった!

大宮西幸 · 完結 · 21.3k 文字

701
トレンド
722
閲覧数
0
追加済み
本棚に追加
読み始める
共有:facebooktwitterpinterestwhatsappreddit

紹介

午前2時の緊急通報が、すべてを変えることになるなんて思いもしなかった。

救急車が青葉台三丁目の桐島家に到着したとき、胃がきゅっと縮んだ。義理の両親の家だったのだ。5年間、私は「ただの看護師」として扱われ、大切な息子には釣り合わないと見なされてきた。5年間、家族の食事会のたびに義母の辛辣な言葉を浴びせられてきた。

今、私はその夫の命を救うためにここにいる。

でも、何かがおかしかった。義母が私がドアから入ってくるのを見たとき、彼女の顔に浮かんだのは安堵ではなく――恐怖だった。

義父をストレッチャーに乗せているとき、彼の目がかすかに開いた。冷たい指が私の手を握りしめ、息を引き取る間際に四つの数字をささやいた。

「7...2...9...9...」

義父は私に何を伝えようとしていたのだろうか?

チャプター 1

「119番消防です。火事ですか、救急ですか?」

 無線から指令室の声がノイズ混じりに響く中、高木さんが救急車のハンドルを切って、また一つ角を曲がった。私は頭上の手すりを掴みながら、もう一方の手ですでに救急バッグへと手を伸ばしていた。

「通報者女性、夫意識呼吸なし、CPA疑い」高木さんの声は短く、事務的だった。プロの声だ。私たちはこれまで何百回とこれを繰り返してきた。

「場所は、青葉台三丁目」

 胃が冷たく沈んだ。

 その住所には覚えがあった。

 五回のお盆の集まり。四回のお正月。そして、義母から私の手作りコロッケを「スーパーの惣菜の味がする」と言われた、あの一回の記念日ディナー。

 青葉台三丁目。そこは、私の義理の実家だった。

「大丈夫か?」高木さんが私をちらりと見た。

「平気です」声は震えなかった。看護師としての訓練の賜物だ。「現着まで?」

「あと二分」

 二分。この先に何が待ち受けていようと、覚悟を決めるための時間はそれだけだ。

 宗一郎さん。私の義父。桐島家の中で唯一、私をただの「拓也の不運な結婚相手」としてではなく、一人の人間として見てくれた人。

 そして美津子さん。私の義母。私が彼女より下であり、彼女の友人たちよりも下であり、彼女の期待よりも遥かに下の存在であることを、五年間かけて徹底的に思い知らせてきた女性。

 救急車は無人の夜道をサイレンを鳴らして疾走した。午前二時。街は眠っている。

 私たちは違った。

 高木さんがブレーキを踏んだ。目の前にその家が威風堂々と構えている――重厚な瓦屋根、手入れの行き届いた庭園、そして「旧家の格式」を物語る佇まい。

 救急車が完全に停止する前に、私は飛び出していた。

 玄関のドアは開け放たれていた。玄関先の敷石に廊下の灯りがやわらかく映っている。中から誰かの叫び声が聞こえた。

 私は走った。

 磨き上げられた無垢材の床。格調高い照明器具。お香と畳の匂いがほのかに漂う。すべてが見覚えのあるもの。すべてが冷たいもの。

 廊下で美津子さんが膝をついていた。着物姿。午前二時だというのに髪は完璧にセットされている。その両手が震えていた。

 その横の床に、宗一郎さんが倒れていた。土気色。動かない。呼吸をしていない。

 その時、美津子さんが顔を上げた。

 私を見た。

 彼女の表情が変わった。ほんの一瞬だけ。それは安堵ではなかった。感謝でもなかった。

 恐怖だった。

「綾香……?」彼女の声が裏返った。「あなたが、どうして――」

 そんなことに構っている時間はなかった。

「下がってください!」

 私は宗一郎さんの横に滑り込み、脈を確認した。かろうじて触れる程度。微弱。今にも消えそうだ。

「倒れてからどのくらい経ってますか?」

「わ、わからないわ……たぶん五分くらい? すぐに電話したの――」

「高木さん! 除細動器!」

 私の両手はすでに宗一郎さんの胸の上にあった。三十回の胸骨圧迫。一分間に百回のテンポで、五センチの深さまで。掌の下で肋骨がしなる感触が伝わってくる。

「綾香、あの人は――」美津子さんの声は甲高く、張り詰めていた。

「処置中です。少し離れていただけますか」

 気道を確保する。人工呼吸を二回。

 反応なし。

「離れてください!」高木さんがAEDのパッドを装着し、「ショックボタンを押します。離れてください」と再度確認した。

 宗一郎さんの体が跳ねた。

 まだ反応はない。

 圧迫再開。腕が焼けつくように熱い。汗が目に入った。

「再度ショックします。離れてください」

 ショック実行。

 今度は――

 モニターから規則的な電子音が響いた。

 弱いが、確実な心拍のリズム。

「戻ったな」高木さんはすでにストレッチャーの準備を始めていた。

 私は宗一郎さんの胸に手を置いたまま、鼓動を監視し続けた。数を数える。その心拍が消えないように祈りながら。

 私たちは彼を持ち上げ、固定し、運び出した。

 美津子さんが裸足のまま玄関先を追いかけてきた。白粉が涙で崩れ、頬を伝っていた。彼女は小さく、今にも壊れそうに見えた。

 ストレッチャーを積み込む際、彼女は私の腕を掴んだ。

「ありがとう」彼女は目を見開いていた。「あなたがいてくれて、本当によかった……お陰様で」

 私は彼女の手を優しく離し、「病院でお待ちください」と告げて救急車に乗り込んだ。

「中央病院へ」私は高木さんに告げた。「急いで」

 ドアが閉まり、サイレンが鳴り始めた。美津子さんの顔が後方へと消えていく。

 車内で、宗一郎さんの目がうっすらと開いた。かろうじて意識がある。彼は焦点を私に合わせようとしていた。

「話さないで」私は酸素マスクの位置を直した。「もう心配いらないから」

 彼の手が動いた。力なく、私の手を求めていた。

 私はその手を握った。指先は冷たく、湿っていた。

 彼は私を引き寄せた。マスクの下で唇が動いている。

 私はマスクをわずかに持ち上げ、耳を寄せた。

「ナナ……」声はささやきにも満たない。「ニー……キュウ……キュウ……」

「え?」

「七。二。九。九」数字を一つ言うたびに力が削がれていく。「頼む……」

「お父さん、何を――」

「約束してくれ」彼の握る力が強くなった。ほんの少しだけ。「約束だ」

「わかりました。約束します」

 彼の手から力が抜け、目が閉じた。

 私はマスクを戻し、バイタルを確認した。安定している。今のところは。

 七、二、九、九。

 どういう意味だ?

 私は彼を見下ろした。実の息子よりもずっと優しく私に接してくれた男性。今日一日どうだったと聞いてくれた人。私の仕事の話に耳を傾けてくれた人。一度たりとも、私をちっぽけな存在だと感じさせなかった人。

 瞼の裏に、美津子さんの顔が浮かんだ。私を見た時の、あの表情。

 安堵ではない。

 恐怖。

 まるで、私が一番会いたくない相手であるかのように。

 まるで、私が何かを台無しにしてしまったかのように。

 救急車のドアが開いた。中央病院だ。眩しいライト。飛び交う声。ストレッチャーへと伸びる無数の手。

「CPA、ダウンタイムはおよそ十分――」

 宗一郎さんが運ばれていくにつれ、言葉が混ざり合って遠のいていく。廊下の奥へ。二重扉の向こうへ。そして見えなくなった。

 私はそこに立ち尽くしていた。救急搬入口で、手はまだ震え、背中のスクラブは汗で張り付いていた。

「いい処置だった」高木さんが私の肩を叩いた。「大丈夫か?」

「ええ」それが本心かどうかはわからなかった。

「身支度を整えてこい。書類仕事は俺がやっておく」

 午前三時の病院は静かだった。職員用トイレに入り、手を洗い、顔に水を浴びせた。

 鏡の中の私は疲れ切っていた。五年分の夜勤の疲れ。そして桐島家の「看護師さん」扱いに耐えてきた五年分の疲れだ。

 スマホが振動した。

 拓也からのメッセージ。「親父のこと聞いた。手伝ってくれてありがとう」

 私はそのメッセージを見つめた。

「大丈夫か?」ではない。

「大変だったな」でもない。

「今どこにいる?」ですらない。

 ただ、「手伝ってくれてありがとう」

 まるで私が家具の移動を手伝ったかのような。彼の洗濯物でも取りに行ってきたかのような言い草。

 自分の父親が、私の目の前で死にかけたというのに。

 私は返信しなかった。

 再びスマホが振動した。

 知らない番号から。「桐島綾香様。弁護士の小林誠司です。宗一郎様より、もしあなたが彼の命を救ったなら、このコードを伝えるようにと承っておりました。7-2-9-9。あなたなら使い道がわかるとのことです」

 私はもう一度読み返した。

 七、二、九、九。

 宗一郎さんがささやいたのと同じ数字。

 もし、あなたが彼の命を救ったなら。

 宗一郎さんは知っていたのだ。どういうわけか、駆けつけるのが私であることを。そして、私が彼を救うことを知っていた。

 そして、そのための準備をしていた。

 私は拓也のメッセージをもう一度見て、それから小林誠司のメッセージを見た。

 何かがおかしい。

 ここしばらく、ずっと何かがおかしかったのだ。

 そして宗一郎さんは、私にその正体を突き止めてほしいと願っている。

最新チャプター

おすすめ 😍

身代わり生活は3年で終了。お嬢様の本性を現します

身代わり生活は3年で終了。お嬢様の本性を現します

52.6k 閲覧数 · 連載中 · 月島 ことね
婚約記念日のその日、私は偶然聞いてしまった。婚約者の古谷晏一が、今でも初恋の人が忘れられないと本音を漏らすのを。
その瞬間、私は目が覚めた。
私はもう身代わりのフリをするのをやめ、瀬尾グループの令嬢という本当の身分を明かして、億万長者の陸川純平と契約結婚を交わした。

彼が私にくれる尊重は、これまでの人生で一度も感じたことのないものだった。
最初はただの取引だと思っていた。けれど、一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、私は知ることになる。
彼の冷徹で理性的な仮面の下には、私だけのために今日まで抑え込んできた、執着と狂気にも似た愛が隠されていることを――。
妻が去り、妊娠を知った俺は、ただ泣き崩れるしかなかった

妻が去り、妊娠を知った俺は、ただ泣き崩れるしかなかった

610.4k 閲覧数 · 連載中 · 蛙坂下道
鈴木七海は、中村健に好きな人がいることをずっと知っていた。それでも、彼との結婚を選んだ。
しかし、結婚して5年後、彼は離婚を切り出した。その時初めて、彼の想い人が私の父の隠し子(私の異母兄弟)だと知った。
離婚を決意した七海だったが、その時にまさかの妊娠が判明した。
今さら帰ってこいと言われても遅い!

今さら帰ってこいと言われても遅い!

16.8k 閲覧数 · 連載中 · ひかり
「泥棒女め、今すぐこの家から出て行きなさい!」

本物の娘が戻ってきたその日、私はゴミのように家を追われた。
十五年もの間、家族のために尽くしてきた日々はすべて否定され、身に覚えのない罪を着せられ、幼馴染だった婚約者さえも私を裏切り、本物の令嬢へと乗り換えた。

元家族たちは、私が「貧困街で野垂れ死ぬ哀れな女」だと見下し、勝ち誇っていた。
だが、彼らは致命的な勘違いをしていたのだ。

泥だらけの私を迎えに来た不気味なバイクの男が、実は国家トップクラスの超巨大財閥の御曹司であることも。
私の本当の実家が、誰もがひれ伏す歴史ある名门一族だということも。

そして何より、彼らが無能だと見くびっていた私自身が、各界の重鎮たちが縋る名医であり、世界のファッション界を裏から牛耳る「伝説の天才デザイナー」であるということを!

「今まで苦労をかけたね、私たちの愛しいお姫様」
待ち受けていたのは、超過保護な両親と、不器用ながらも妹を全力で守る身内たちによる、規格外の溺爱ラグジュアリーライフ。

一方、本物の天才を自らドブに捨てた元家族や元婚約者には、取り返しのつかない破滅と、血を吐くような「絶望の後悔タイム」が幕を開ける!

どん底から世界の頂点へ駆け上がる、爽快感100%の現代逆転シンデレラストーリー!
偽りの仮面

偽りの仮面

12.2k 閲覧数 · 連載中 · 彩月遥
夫が私に抱くのは、愛の伴わない性的な欲望だけ。
彼は、私との間に子供を授かることさえ望んではいない。

そればかりか、外では他の女性と戯れ、私の心を深く傷つける。

逃げ出したい。強く、自立した女性になりたい。
そう願う私を、しかし、彼が手放すつもりは毛頭ないようだった……。
冷酷非道な大物との政略結婚を強いられ、私は開き直った

冷酷非道な大物との政略結婚を強いられ、私は開き直った

40k 閲覧数 · 連載中 · 桜井 ゆい​
【前世】

ヤクザの家に生まれた宿命を恐れるあまり、私は幼馴染の周防文哉のもとへ逃げるように嫁いだ。

けれど結婚から五年――私は家畜のように囚われ、夫とその愛人に蹂躙され続けた。息絶えようとするその瞬間、最後に目に映ったのは、私の目の前で絡み合う二人の姿だった。


【転生】

再び目を開けると、婚約が公の場で発表されたあの瞬間に戻っていた。

周防文哉が愛おしそうに私を見つめ、優しく囁く。

「俺と結婚してくれ。」

次の瞬間――若きヤクザの組長が私の腕を掴み、力強く抱き寄せた。銃口は真っ直ぐ周防文哉に向けられている。

彼が、私の代わりに答えた。

「――断る」
追放された私が真の継承者だった件。今さら戻れと言われても、もう手遅れです

追放された私が真の継承者だった件。今さら戻れと言われても、もう手遅れです

141.6k 閲覧数 · 連載中 · 星埜雪奈
家族に捨てられ、私はようやく偽りの温もりを切り捨てた。
けれど、私の本質を隠し通すことは誰にもできない。
隠された私の正体は、この国で最も裕福な一族の継承者。
かつての家族が私を見失っている間に、私は全ての支配者となり、この街の頂点に君臨する男の視線を独占する。
彼が私に捧げる愛は、ただの寵愛ではない――世界を敵に回してでも守り抜く、狂おしいまでの執着だ。
元恋人の叔父に拾われた夜、私は彼という名の「毒」に溺れる

元恋人の叔父に拾われた夜、私は彼という名の「毒」に溺れる

11.5k 閲覧数 · 連載中 · 南宮
元恋人に裏切られ、冷たい玄関先で殺意を向けられたあの日。
私を見捨てた男ではなく、彼が一番恐れていた「危険な叔父」が、暗闇から現れた。
その腕の中だけが、この二年で初めて私を孤独から救い出した。
「次、誰かが君を傷つけたら、こうするんだ」 渡された銃の重みが、私の心に深く刻まれる。
私は逃げ出したかったはずなのに、いま、彼の甘い視線から離れられずにいる。 救いなどいらない。
ただ、この危険な男の「所有物」になりたい。
離婚後、奥さんのマスクが外れた

離婚後、奥さんのマスクが外れた

347k 閲覧数 · 連載中 · 来世こそは猫
結婚して2年後、佐藤悟は突然離婚を申し立てた。
彼は言った。「彼女が戻ってきた。離婚しよう。君が欲しいものは何でもあげる。」
結婚して2年後、彼女はもはや彼が自分を愛していない現実を無視できなくなり、過去の関係が感情的な苦痛を引き起こすと、現在の関係に影響を与えることが明らかになった。

山本希は口論を避け、このカップルを祝福することを選び、自分の条件を提示した。
「あなたの最も高価な限定版スポーツカーが欲しい。」
「いいよ。」
「郊外の別荘も。」
「わかった。」
「結婚してからの2年間に得た数十億ドルを分け合うこと。」
「?」
不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる

不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる

5.1m 閲覧数 · 完結 · 七海
初恋から結婚まで、片時も離れなかった私たち。
しかし結婚7年目、夫は秘書との不倫に溺れた。

私の誕生日に愛人と旅行に行き、結婚記念日にはあろうことか、私たちの寝室で彼女を抱いた夫。
心が壊れた私は、彼を騙して離婚届にサインをさせた。

「どうせ俺から離れられないだろう」
そう高をくくっていた夫の顔に、受理された離婚届を叩きつける。

「今この瞬間から、私の人生から消え失せて!」

初めて焦燥に駆られ、すがりついてくる夫。
その夜、鳴り止まない私のスマホに出たのは、新しい恋人の彼だった。

「知らないのか?」
受話器の向こうで、彼は低く笑った。
「良き元カレというのは、死人のように静かなものだよ?」

「彼女を出せ!」と激昂する元夫に、彼は冷たく言い放つ。

「それは無理だね」
私の寝顔に優しくキスを落としながら、彼は勝ち誇ったように告げた。
「彼女はクタクタになって、さっき眠ってしまったから」
竜王の花嫁

竜王の花嫁

5.5k 閲覧数 · 完結 · AT_Imagination
竜王の花嫁になるって、いったいどういう意味なのだろう?


偉大なるイグナス王国を形づくる七つの村では、毎年欠かさず「選定の儀」が執り行われていた。その儀で村の娘のひとりが選ばれ、恐るべき竜王の花嫁となるのだ。

なぜそんな儀を年ごとに続けるのか、誰にもわからない。これまで選ばれていった花嫁たちが、その後どうなったのかも――。

奴隷にされているのか?

竜の餌にされているのか?

それとも……竜王自身が、彼女たちを喰らっているのか?

それだって否定はできない。王は自分たちとは違う、人ではないのだという噂があるのだから。

それでも、その疑問は執念深く人々の胸を苛んだ。

いったい、花嫁を何に使っているのか――!?

だが、誰も王に問いただそうとはしなかった。逆らうなどという無謀が、どんな運命を呼び込むかが怖かったのだ。

もっとも、そんなことはベラドンナの知ったことではない。今年は彼女の村が花嫁を差し出す番だったが、自分が選ばれるはずがないと彼女は確信していた。

なぜかって?

もちろん、計画があるからだ。そして彼女は、その計画が自分を裏切るはずがないと信じ切っていた……いや、本当にそうだろうか。
私が囲っている億万長者

私が囲っている億万長者

20.7k 閲覧数 · 連載中 · ほしの ちなつ
私はただ、心の痛みを紛らわせたかっただけ。

彼は息を呑むほど美しく、落ちぶれていた。夫の裏切りがもたらした傷が完全に癒えるまで、彼をそばに置いておくつもりだった。

お金で彼の付き添いを買い、すべてのルールを私が決め、すべてを完全に掌握しているつもりだった。

けれど、私の隣で横たわるこの男の正体は、彼が語ったものとはまるで違っていた。

魅惑的な笑顔と抗いがたい容姿の下に隠されていたのは、仇敵から身を隠す億万長者の素顔だった。

今や彼は、私の生活に、私のベッドに、そして私の心に――完全に絡みついている。

身を引くことは、彼のそばにいることよりも、もっと危険かもしれない。
私が去った日

私が去った日

13.7k 閲覧数 · 連載中 · バラへの愛
七年間、私は完璧な妻を演じ続けてきた。

けれど最後に彼が選んだのは、私ではなく、彼の初恋の女性だった。

夫は、私の心を深く傷つけただけではない。あの女が私の大切なジュエリーデザインを盗むことを許し、さらには実の息子までも操って、私を「怪物」だと思わせた。

嘘で塗り固められた結婚生活の中で、私は少しずつ自分を失っていった。

息が詰まるような日々。愛されていると思い込んでいた時間。すべてが偽りだった。

けれど、彼らはひとつだけ間違えた。

私を、もう戻れないところまで追い詰めたこと。

私が去ると決めたあの日。

私は、最低な夫も、母親への感謝を忘れた息子も、そして彼らによって壊された過去の自分も、すべて置き去りにした。

親友の支え。そして、私の本当の価値を見抜き、才能を認めてくれたある若き実業家との出会い。

その温かな手によって、私はもう一度、自分自身を取り戻した。

失った誇りを取り戻し、眠っていた才能を開花させ、世界へ羽ばたくデザイナーとして新たな人生を歩み始めた。

今、私の作品は世界の舞台で輝いている。

一方で、かつて私を捨てた男は、跪いて許しを乞う。

「戻ってきてくれ」と。

けれど、もう遅い。

私が去ったあの日こそが、私が本当の自分を取り戻した日。

もう二度と、過去には戻らない。