夫が選んだのは義妹でした。だから私は家を出て、伝説のレーサーとして成り上がります

夫が選んだのは義妹でした。だから私は家を出て、伝説のレーサーとして成り上がります

相葉悠衣 · 連載中 · 320.8k 文字

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紹介

結婚して三年。植物状態から目覚めた夫が、最初に口にしたのは私への侮辱だった。最愛の義妹を庇うためだ。
三年間の献身的な介護は、ただの徒労だった。夫がずっと愛していたのは、私の人生も身分も、すべてを奪い取ったあの女だったのだ。
夫は義妹のために私を無一文で追い出し、街から徹底的に排除した。

だが、彼らは知らない。
かつて「家事をして尽くすだけ」だった捨てられた女が、今や世界中のレーサーを震え上がらせる伝説のドライバーであることを。

夫の宿敵から差し出された救いの手――。
全てを奪われた妻の、華麗なる復讐劇が今、幕を開ける。

勝つのは、果たして誰か?

チャプター 1

七海と風間悠希が結婚して三年目――風間悠希は浮気をした。

七海は書斎の椅子に座ったまま、パソコンの画面にたった今表示されたチャットの文面を、呆然と見つめていた。

——【悠希、最近ちょっと太った気がするの。ウェディングドレス、変に見えないかな?】

その下には写真が添えられている。

顔は映っていない。上から撮った、首から下だけの全身。

誇らしげな胸、細い腰、きめ細かく長い脚……。

若さが隠しきれないほど滲んでいて、目を離せない。見れば見るほど、もっと知りたくなる。そんな一枚だった。

頭から水を浴びせられたみたいに、背筋がひやりと冷える。

冷たさが、骨の隙間にまで染みていく。

結婚して三年。

彼の心に、ほんの少しでも自分の居場所があると――七海は思っていた。

だって、あのとき。

風間悠希が事故で植物状態になったあと、最初から最後まで彼のそばにいたのは七海だった。身体を拭き、マッサージし、治療に付き添い……。

三年かけて、医師に「目覚める可能性は薄い」と言われたところから、目を開け、リハビリを重ね、完全に回復するまで。

最近は風間婆さんの要望で、二人の結婚式を改めて挙げ直すことになった。

七海は、悠希が嫌がるんじゃないかと不安だった。

けれど意外にも、招待状の文面から会場決めまで、彼はやけに積極的だった。

――ようやく、願いが叶う。そう思った。

なのに、今は……。

七海は瞬きをする。鼻の奥がつんと痛んだ。

するとまたメッセージが届く。

【どこまで来た? 私、ドレスショップで待ってるね。最初にあなたに、ドレス姿を見てほしいの】

胸の奥が、鈍く痛んだ。

悠希がさっきあんなに慌てて出ていったのは、この愛人からの電話のせいだったのだ。

――見てやる。

いったい誰が、あの冷静な風間悠希を狂わせたのか。

午後三時。七海はウェディングドレスショップに到着した。

扉をくぐった瞬間、見覚えのある後ろ姿が鏡の前でドレスを眺めているのが目に入る。

その体つきは、写真の通り。

そして振り返った少女の顔を見た刹那、七海は滑稽さに笑いそうになった。

――水原美月。

血の繋がらない姉妹であり、陽城で「本物の水原家のお嬢様」として扱われている女。

「……姉ちゃん?」

水原美月はぱっと振り向き、驚いたように目を見開く。

「どうしてここに……」

怯えたふりをして二歩ほど下がり、逃げ場がないと悟ると、ドレスの裾をぎゅっと握って、おずおずとこちらを見た。

「来なかったら、あなたが私のドレスを着て浮かれてる姿、見られないでしょ」

七海は近づく。声は淡々としていて、逆に恐ろしいほどだった。

「ち、違うの……」

「何が違うの?」

水原美月が言いかけた言葉を、七海の冷えた視線が切り捨てる。

「私のウェディングドレスを着てない? それとも、自分の義兄を誘惑してない? そんなに人のものを奪うのが好きなら、病気だよ」

容赦のない嘲りに、水原美月の頬がかっと赤くなる。

怒りと悔しさが混ざり、とうとう仮面を捨てた。

「何が“あなたのドレス”よ?」

「そもそも、私が婚約を譲ってあげたから、あんたは悠希と結婚できたんでしょ。でなきゃ、こんなところで私に偉そうにできるわけないじゃない!」

七海はその堂々たる言い草を見て、ただ可笑しかった。

――最初にそれらを持っていたのは、自分なのに。

八年前。

七海は下校途中に誘拐され、売られた。

両親と風間悠希が必死に探しても見つからず、代わりに「七海に似ている」水原美月を養子に迎え、心の拠り所にした。

月日が流れるほど、美月は明るく愛想よく振る舞い、いつしか七海の居場所を奪っていった。

七海が地獄から這い上がって戻ってきた頃には、水原家にはもう“七海の席”がなかった。

だから――風間悠希が事故で植物状態になったとき。

七海は迷わず、身代わりの結婚を引き受けた。

何もないからこそ、過去と繋がるものを、どんな形でも掴みたかった。

風間悠希の妻になることが、たとえ一生、形だけの結婚になるとしても。

水原美月の甘ったるい声が、耳の奥で響く。

「姉ちゃん。どうせ悠希兄、あんたのこと好きじゃないんだし、私に譲ってくれたっていいでしょ?」

「結婚して何年? 一度も触れられてないんでしょ。でも悠希は私には、毎晩すごく優しいよ……」

挑発が刺さり、七海は反射的に手を上げた。

――だが。

振り下ろす前に手首を掴まれ、乱暴に弾き飛ばされる。

冷ややかな眉目の男が、水原美月の前に立っていた。

風間悠希。

「何をしてる」

氷のような声。

水原美月は彼を見るや、目尻を赤く染めた。

「悠希……姉ちゃんを責めないで。わざとじゃないの。私が悪いの、着ちゃいけないドレスを……」

風間悠希は七海を冷たい目で見下ろし、短く命じる。

「謝れ」

……謝れ?

その一言が、七海の神経を斧で叩き割った。指先が震える。

夫が。

自分に、浮気相手へ謝れと言った。

七海は皮肉に口角を上げた。

「風間悠希。私のドレスを他の女に着せておいて、今さら私に謝れって?」

「ドレス一着だろ。美月が試したいって言っただけだ。お前が後で着るのに支障はない。いちいち騒ぐな」

風間悠希は眉をひそめ、七海を“面倒な女”でも見るような目をした。

「それに、そもそも……お前が美月の婚約を奪ったんだ」

頭の中が、ぶうんと耳鳴りを立てた。

胸の奥が、きりきりと痛む。

――まだ、美月を。

悠希はずっと美月を想っていたのだ。

事故で彼が植物状態になったその日に、彼女は迷わず彼を捨てたというのに。

七海は目の奥が熱くなり、言葉を区切って告げた。

「謝れって言うなら……無理」

吐き捨てて踵を返す。

その背に、悠希の冷えた声が落ちた。

「謝らないなら、今後この店に入るな」

「ドレスがそこまで大事なら、自分で作れ」

脅しのような口調が、見えない手で心臓を掴んでくる。

七海は振り返り、かすれる声で問う。

「……どういう意味?」

風間悠希は淡々と答えた。

「陽城のドレスショップ全部、お前を断るようにする。予定通り式を挙げたいなら、自分の手で一着仕立てろ」

唇に、薄い嘲り。

「そうすれば、誰にも着られない」

世界が一瞬、遠のいた。

七海は彼の顔が、急に知らない男のように見えた。

「彼女のために……私を脅すの?」

「脅しじゃない」風間悠希は冷たく言う。「警告だ」

喉に綿が詰まったみたいに、声が出ない。

三年。一千日以上。

愛はなくても情くらいはあると、勝手に信じていた。

――最初から最後まで、自分だけが滑稽だった。

舌の奥が苦い。苦すぎて視界まで滲む。

それでも七海は歯を食いしばり、言い切った。

「それでも、私は絶対に謝らない!」

そう言って、店を出た。

帰宅してから、七海はソファに座り込んだまま動けなかった。

空が明るい色から暗へと沈み、外で車のエンジン音がした。

はっとして玄関を見る。

風間悠希が入ってくる。

仕立ての良いスーツ。整った眉目。気品。

七海と目が合った瞬間、悠希は眉を寄せた。

「電気をつけないのか」

七海は黙って見つめ返す。

風間悠希は眉間に皺を寄せた。

「お前は彼女に手を上げるべきじゃなかった。今夜、謝りに行け」

「無理。そう言った」

七海の声は揺れない。

風間悠希は額を押さえ、疲れたように吐息を落とす。

「七海、お前は大人だ。勝手を通せばどうなるか分かるだろ。風間家と水原家の提携は深い。お前の我儘で崩せるものじゃない」

「遅くとも明日の午後三時までに、必ず謝れ」

それだけ言って、階段を上がっていく。

――提携のため?

七海は静かに言った。

「行かない」

悠希の足が止まる。声に苛立ちが混じった。

「お前の意思じゃ決められない」

決められない?

七海は拳を握りしめる。

抑えつけていた感情が、一気に逆流した。

無数の針が心臓を刺すみたいで、視界が白く霞む。

……いい。

汚れた男なんて、いらない。

七海は顔を上げ、悠希の背に、一言一言叩きつけた。

「じゃあ、離婚しよう」

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