紹介
しかし、社交界では笑い者となり、家族の手によって地獄へ突き落とされた。
帰郷祝いの夜、養姉須藤 玲華(すどう れいか)は私の飲み物に薬を混ぜ、三人の男に引き渡した。彼女はその様子を撮影し、まるで私が自ら望んだかのように映像を編集した。
真実を訴えようとした私に、父須藤 隆一(すどう りゅういち)は平手打ちを浴びせ、母須藤 香織(すどう かおり)は「汚らわしい」と吐き捨てた。
それから三年間、私の身体は須藤家の商談の道具として使われ続けた。
心身ともに限界を迎え、青ヶ浜総合病院の集中治療室に横たわる私の心臓は「たった今、壊れゆく」病に侵されていた。
最後の望みとして呼ばれた心理医黒瀬 尚人(くろせ なおと)は、深層催眠による記憶再構築を提案した。家族は私の記憶を映像として目にし、初めて玲華の悪意と私が受けた地獄を知ることになる。
だが、それはあまりにも遅すぎた。
心臓が最後の鼓動を打つとき、私の脳は彼らに関する全ての記憶を消し去った。
今、彼らは病室のベッドの傍らで膝をつき、涙ながらに許しを乞う。
私はただ、空白の瞳で問いかける。
――「あなたは誰ですか?」
チャプター 1
いつ意識を失ったのか、自分でもわからなかった。
覚えているのは、見えない手に心臓を握り潰されるような、息もできないほどの激痛だけ。そして、すべてが暗転した。世界が消えた。
今、私はどこかに横たわっている。意識は暗闇の中を漂っていた。深い海の底へ沈んでいくような、それでいて完全に沈みきってはいない感覚。音は聞こえるのに、目は開けられない。痛みは感じるのに、指一本動かせない。
この状態は――まるで、自分の身体に閉じ込められた囚人のようだった。
寒かった。空気はツンと鼻を突く消毒液の匂いを運んでくる。腕には何かが刺さり、喉にはチューブが通されている。
機械の電子音が聞こえる。
そして、人の声。誰かが話している。
「……重度のうつ病、心的外傷後ストレス障害、そしてストレス性心筋症――いわゆる『たこつぼ心筋症』ですね」
医者の声。必死に耳を傾けようとするが、頭に綿でも詰められたように思考がまとまらない。
「それで、娘は一体どういう状態なんだ?」
父の声。
……怒っている?
「お嬢さんの身体は、機能を停止しかけています」と医者は言った。「須藤さん、お嬢さんの身体の状態は、長期間にわたる極度のストレス、そして……虐待に耐えてきた方のものと一致します。心臓が、文字通り『壊れかけている』のです」
虐待。
そう、医者の言う通りだ。でも、父さんは信じるだろうか?
「虐待?」父は鼻で笑った。その音に、私の心は沈んでいく。「先生、それは間違いだ。私たちはあの子に何不自由ない生活をさせてきた。素行が悪かったのはあの子の方だ。一体誰のせいだと言うんだ?」
素行が悪い。また、私が悪いと言っている。三年前のあのパーティーで、私を平手打ちした時と、同じように。
「あの子には贅沢させすぎたのよ。感謝の気持ちが足りなかったの……」母の声が、涙に詰まって聞こえてきた。「田舎育ちの娘には、都会の生活に馴染めなかったのよ……」
話したい。本当のことを伝えたい。でも、喉にはチューブが通っている。声が出せない。
身体が言うことを聞かない。私はこの壊れた身体に閉じ込められ、彼らが私を責めるのを聞いているしかない。この三年間と、まったく同じように。
床を打つハイヒールの音。彼女だとわかった。
「お父様、お母様、お姉様の容態は?」
玲華。義理の妹。私の悪夢。
「玲華、来てくれたのね……」母の声が、途端に和らいだ。「お医者様が言うには、美弥の容態はとても悪いらしくて……」
「もしかしたら……」玲華は完璧な間を置いて、さも今思いついたかのように言った。だが、その間はあまりに完璧すぎて、わざとらしかった。「お姉様には、何か深刻な思い込みを抱えているのかもしれません。東京大学のの黒瀬尚人教授のことを聞きました。こういうケースに特化した、新しい治療法があるそうです」
淀みなく言葉が出てくる。医者の名前まではっきりと覚えている。いつから、この台詞を準備していたのだろう?
「催眠療法による記憶回復治療」彼女は専門用語を一つ一つ完璧に発音しながら続けた。「患者がトラウマの原因となった記憶を追体験し、家族もその記憶の映像を見ることができるんです。そうすれば、お姉様が何を考えているのか理解して、回復の手助けができます」
これは、衝動的な提案じゃない。
計画されたものだ。
「そうすれば、お姉様の考えていることを理解できるになります」玲華はそっと言った。「……お姉様がどうしていつもこうなのか。どうしていつも私たちを、この家族を責めるのか」
彼女の言いたいことはわかった。
私の記憶を見せるのは、私を助けるためじゃない。私がどれだけ「異常」で、この家に「不向き」で、「恩知らず」かを証明するためだ。
彼らは私の「妄想」を、私の「嘘」を、彼女への「嫉妬」を目の当たりにすると思っている。
でも……でももし、本当に私の記憶を見たら……もし、真実を見てしまったら……
「でも……」母はためらった。
「お母様」玲華の声が震えた。「お姉様には私たちの助けが必要です。これが最後のチャンスかもしれません。見捨てるわけにはいきません」
最後のチャンス。
そうだ。これは本当に、私にとって最後のチャンスかもしれない。
だって、わかるのだ。私の身体が、もう諦めかけているのが。
心臓の鼓動が、どんどん遅く、弱くなっていく。一打ち一打ちが、最後の抵抗のように感じられる。もう、私には時間がないのかもしれない。
「黒瀬博士に連絡を」父は言った。「今すぐ」
どれくらいの時間が経ったのか――数時間か、あるいは一日か――わからなかったが、ベッドが動き始めた。廊下の照明が瞼越しにぼんやりとした光輪となって滲む。車輪の転がる音と、看護師たちの囁き声が聞こえた。
「軽い……」と一人の看護師が言った。「三十八キロしかないなんて、骨と皮だけじゃない……」
三十八キロ?
以前は五十キロあったはずだ。三年間で十二キロも減ったことになる。
いや……失ったのは、体重だけじゃなかった。
「うつ病らしいわよ」と別の声が言った。「あんなに若いのに……」
彼女たちは知らない。誰も知らないのだ。
玲華を除いては。
ベッドが止まった。私は慎重に持ち上げられ、別の何かに乗せられた――ベッドではなく、椅子。各種モニターに囲まれた治療用チェアだ。
誰かが私の頭に何かを被せた。小さなセンサーが頭皮に押し付けられる。
「須藤家の皆様、そして羽田さん」知らない男の声がした。「これを装着してください。この治療法には重大なリスクが伴うことを、事前にご説明しなければなりません」
この人が、黒瀬博士に違いない。
「催眠療法による記憶回復治療は、患者の記憶を映像として投影します」と彼は続けた。「この装置を通して、ご家族の皆様は彼女の記憶を映像として共有することができます。しかし、もしトラウマとなる記憶があまりに強烈な場合、強いショックを受ける可能性があります。心拍数の上昇、血圧の急変、最悪の場合は死に至ることも」
死。
モニターの電子音が、急に速くなった。
私の心拍数だ。
私は怖がっているのだろうか?
死を?
いや。私がそれ以上に恐れていたのは、この真実を誰にも知られることなく、抱えたまま死んでいくことだった。
「どんな書類にもサインしますよ」父の焦れた声。「あの子は自分の問題と向き合う必要がある」
私の問題?
私の問題とは、何?
私が薬を盛られ、暴行され、虐待され、所有物のように扱われて見知らぬ男たちに与えられたこと?
私が真実を語っても、誰にも信じてもらえなかったこと?
あなたたちのような両親と、玲華のような妹がいたこと?
「須藤さん」医者の声が真剣になった。「本当に、お嬢さんの『真の記憶』をご覧になりたいのですか?記憶というものは、時として私たちの想像を超えるものです」
「自分の娘のこともわからないとでも?」父は鼻で笑った。
その嘲笑が、ナイフのように私の心を突き刺した。
あなたは本当に、何も知らなかった。
でも、もうすぐ知ることになる。
さらに足音が近づく。安定した、自信に満ちた足音。
その足音も、よく知っていた。
羽田晃司。
かつて、十七歳で初めてこの家に来た時、その足音は私の胸を高鳴らせた。彼が私の支えに、私の騎士になってくれるのだと、そう思っていた。
今では、苦い皮肉しか感じない。
「美弥、大丈夫かい?」彼の声は、吐き気がするほど優しかった。
「お姉様が良くなることだけを願っています……」玲華のすすり泣き――あまりに嘘くさいのに、皆がそれを信じている。「いつも誤解されてばかりだったけれど……」
誤解?笑い出したかった。
「玲華ちゃん、美弥についていてくれてありがとう」母の声が感動に震えている。「あなたがいてくれれば、あの子もそんなに取り乱さないでしょう」
誰もが彼女を慰めている。
そして私は、心は壊れ、肺は機能を失い、ここに横たわっている。
ベッドが再び動いた。
液体が血管に入ってくるのを感じる。温かい感覚が腕を上っていく。意識がさらに朦朧とすると同時に、なぜか研ぎ澄まされていく。
「須藤美弥さん」黒瀬博士の声が、遠くから聞こえた。「聞こえますか?」
答えたい。唇がわずかに動いた。
「よろしい」と彼は言った。「あなたは安全です。リラックスして、私の声に従ってください」
彼の声は、子守唄のように穏やかだった。
「さあ、遡ってください。すべてが変わり始めたと感じる、その瞬間へ。人生が二度と同じではなくなったと信じる、その瞬間へ」
すべてが変わった瞬間。
私の意識は、暗闇の中を探った。
いつだっただろう?
この家に帰ってきた、最初の日?
いや……あの頃はまだ、希望があった。
玲華に初めて殴られた時?
いや……それよりも、もっと前だ。
あれは――あのパーティーだ。
あの誕生日パーティー。十七歳の。
「教えてください、美弥さん」黒瀬博士は優しく言った。「何が見えますか?あなたはどこにいますか?」
私…いや…戻りたくない……
だが、私の意識はもう私のコントロール下にはなかった。催眠薬が、見えない手のように、私を記憶の深淵へと引きずり込んでいく。
私は、落ち始めた。
暗闇の中、あの夜の光景が、古いフィルムのように蘇ってくる――
クラブの豪華なホール。クリスタルのシャンデリア。シャンパンの香り。玲華の笑顔。
そして私は、戻っていた。
あの夜に。
私の悪夢が始まった、あの夜に。
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しかし、そんな彼女を指さして嘲る者がいる。
「夏川紅蓮は地味で野暮ったい田舎者だ」と。
何を隠そう、彼女は無数の隠された顔を持つ存在。
神医の令嬢も彼女なら、国画の大家も彼女。
伝説のハッカーも彼女なら、正体不明の謎の女優も彼女。
そして、暗部を統べる首領さえも——彼女なのだ。
そんな折、頂点に君臨する名門の若様が、彼女をそっと腕のなかに抱き寄せた。
「誰が彼女を田舎くさい地味女だと言った? 彼女こそ、俺・諏訪淳行の婚約者だ」
紅蓮が流し目をひとつ送る。
「婚約、破棄しなくていいの?」
「しない」
彼が長いあいだ追い求めてきた決して手の届かない高嶺の花こそが、いま腕のなかにいる婚約者なのだ。
解消などありえない——この婚約は、死んでも解消しない。
社長の可愛い若妻
愛に絶望した私は、お互いの利益のための「契約結婚」に同意する。てっきり、悪名高いプレイボーイの蒼井翼と結婚するものだと思っていた。ところが、書類にサインする瞬間、婚姻届に書かれていた名前は――蒼井沢言。誰もがその名を聞くだけで震え上がり、「地獄の帝王」と恐れられる冷酷な巨大財閥のトップだった。
彼は私に数々の価値連根のジュエリーを贈り、私の敵をすべて排除し、世のあらゆる嵐から守ってくれた。けれど、「愛している」という言葉だけは、一度も口にしなかった。
しかしある夜、彼は私を壁に押し付け、熱い吐息を肌に吹きかけながら、低く掠れた声で囁いた。
「音羽、俺をいつまで待たせるつもりだ?」
――この結婚は、決して偶然などではなかった。最初からすべて、彼が仕組んだ「執念の計画」だったのだ。
今さら跪く元夫を置き去りに、大富豪の甘い執着愛が始まりました
あの男にとって、私は自分の出世や欲望のために利用する「モノ」でしかなかったのだ。
だが、あの男は夢にも思っていなかった。
自分がゴミのように投げ捨てた贈り物が、この国で最も恐れられ、最も力を持つ男の「かけがえのない愛する人」になるなんて。
やがて絶望を知り、私の前に跪いて許しを乞う元夫。
その惨めな姿を見下ろす私を、最高峰の男が背後から抱き寄せ、耳元で低く甘く唸った。
「俺の子供を身ごもっておきながら、一体どこへ行こうというんだ?」
――捨てられた妻の反撃と、逃げられない絶対的な愛が、ここから始まる。













