紹介
私は3年間の刑務所暮らしを終え、ひっそりと出所した。
すべては父を守るため、夫に強いられた「身代わりの罪」を償うためだった。
けれど、帰宅した私を待っていたのは地獄だった。
光の当たる場所で愛人と笑い合う夫。
その影で、私の最愛の息子は「野良犬」と罵られ、暗い部屋に幽閉されていたのだ。
愛人に嘲笑され、ボロボロの状態で路頭に迷う私に残されたのは、燃え上がるような復讐心だけ。
「あいつの人生を、焼き尽くしてやる」
そう誓った私の前に現れたのは、かつて私が救ったことのある一人の男性だった。
彼は傷ついた私と息子を、信じられないほどの愛で包み込んでくれて……
「残念だったわね、社長。私はあなたと復縁なんてしない」
今さら後悔しても、もう遅い。
私はこの手で、本当の幸せを掴み取る。
チャプター 1
秋の寒風が刃のように、綾瀬美月の華奢な体を容赦なく切りつけていた。
彼女が身に纏っているのは、三年前に投獄された時と同じ古びたセーターだ。袖口は擦り切れて毛玉だらけになり、色もすっかり褪せてしまっている。
見慣れた、それでいて威圧的なほど立派な彫花鉄門の前に立ち、彼女は全身の力を振り絞っていた。
三年。
自由を奪われ、身に覚えのない罪を背負い、他人の身代わりとして贖罪を続けた、長い長い三年だった。
冷え切った指先でインターホンを押す。中から微かに漏れ聞こえる賑やかな音楽と笑い声に、一瞬意識が遠のきそうになった。
今日は、何の日だっただろうか?
鉄門の脇にあるスピーカーから、執事の少し戸惑った声が響いた。
「どなたですか?」
「私です。綾瀬美月です」
久しぶりに発した声は、砂のように乾き、ひどく掠れていた。
数秒の沈黙の後、「カチッ」という音と共に鉄門がゆっくりとスライドして開く。
煌々と明かりが灯る邸宅に近づくにつれ、中の歓声はより鮮明になった。
巨大な掃き出し窓越しに、目が眩むほど璀璨と輝くシャンデリアが見える。
まるで華やかな舞踏会に迷い込んだシンデレラのようだが、彼女が纏っているのは魔法のドレスではなく、場違いな落魄と寒気だけだった。
重厚な玄関の扉を押し開けると、暖かく喧騒に満ちた空気が一瞬にして彼女を包み込んだ。同時に、ホールを満たしていた談笑と音楽が、ぴたりと止む。
全員の視線が、まるで探照灯のように一斉に彼女へと注がれた。
驚き、疑惑、侮蔑、野次馬根性……様々な視線が交錯し、彼女は居心地の悪さにその場で硬直した。
ホールは夢の城のように飾り付けられていた。鮮花、風船、リボン……そして中央には、巨大な多層ケーキが鎮座している。
そのケーキの傍らで、衆星に抱かれる月のように微笑んでいるのは、精緻な白いドレスを身に纏った白石麻里奈だった。
彼女はある男の腕に寄り添い、甘く幸せそうに笑っている。
それは、彼女の夫、桐島蓮だった。
完璧に仕立てられた黒のスーツを着こなし、背筋を伸ばしたその姿。端正な顔立ちには表情がないが、白石麻里奈を見る時だけは、瞳の奥に微かな、傍目には気づかないほどの優しさが掠める。
その彼が今、こちらを見た。
視線が綾瀬美月を捉えた瞬間、その僅かな優しさは跡形もなく消え失せ、残ったのは氷のような冷淡さと、汚らわしいものを見るような微かな嫌悪だけだった。
その視線に、綾瀬美月の心臓はきゅっと縮み上がり、鈍い痛みが走る。
白石麻里奈はようやく彼女に気づいたかのように、驚いて口元を手で覆った。
「美月さん? あ、あなた……どうして戻ってきたの? 今日はまだ……」
彼女は言葉を濁し、何かに怯えるように桐島蓮の背後へと身を縮めた。まるで綾瀬美月が猛獣か何かであるかのように。
桐島蓮は即座に、庇うように白石麻里奈の肩を抱き寄せた。その動作はあまりに自然で、親密だった。
彼は綾瀬美月を見据え、氷点下の声で言い放つ。それは無関係な他人、あるいは使用人に向けるような響きだった。
「誰が来ていいと言った? 出ていけ」
周囲の客たちがひそひそと囁き始める。
「あれが綾瀬美月? あの、不倫して桐島社長を裏切って、桐島グループを倒産させかけたっていう?」
「懲役五年じゃなかったか? どうしてこんなに早く出てきたんだ?」
「見てよあの恰好、縁起でもない。今日がどんな日かもわきまえずに水を差すなんて……」
その言葉の一つ一つが、細い針となって綾瀬美月の耳に突き刺さる。
巨大な屈辱と冤罪の記憶が、瞬く間に彼女を飲み込んだ。
三年前、まさにこの邸宅で、彼女は薬入りの酒を飲まされ、目覚めた時には全身痣だらけの無惨な姿で、桐島蓮に「不貞の現場」を目撃されたのだ。
街中の誰もが彼女を尻軽女だと断じ、彼もまた、失望の果ての怒りを彼女に向けた。
直後に、白石麻里奈が担当していたプロジェクトで巨額の損失が発生した。
あらゆる証拠が、綾瀬美月が裏で糸を引いていたことを指し示していた。
弁解しようとしたが、誰も信じてはくれず、彼女は法廷に引きずり出された。
開廷前、彼女は必死に弁護士を探した。
だが桐島蓮は、彼女の父親の治療費を盾に取り、冷酷に告げたのだ。
『お前のせいで麻里奈のキャリアに傷がついた。これ以上、好き勝手はさせない。罪を認めろ。職務上の地位を利用して会社資金を横領したと認めれば、父親には最高の治療を受けさせてやる』
父のために、彼女は認めた。
不貞の汚名も、経済犯罪の重罪も、すべて一人で背負った。
そして今日、刑期を終え、心身ともに疲弊しきってこの名ばかりの「家」に戻ってきた彼女が見たのは、最愛の夫が、彼女を陥れた女のために盛大な誕生日パーティーを開いている光景だった。
彼は……彼女が今日出所することさえ、忘れていたのかもしれない。
桐島蓮が白石麻里奈を庇う姿、満堂の客たちの侮蔑の眼差し。綾瀬美月は全身の血液が凍りつくのを感じた。
口を開くと、喉が紙やすりで削られたように痛み、微弱な声が漏れた。
「ここは、私の家よ」
その声は小さかったが、静まり返った水面に投じられた小石のように響いた。
桐島蓮の眉が微かに動く。彼女が今日出所することを思い出したようだった。
だが、眼差しの冷たさは変わるどころか、一層濃くなった。
「だからどうした? 酒でも恵んでもらいに来たのか、それとも麻里奈の晴れの日をまたぶち壊しに来たのか?」
彼は白石麻里奈を抱く腕に力を込め、苛立ちと拒絶を露わにする。
「ここにお前の居場所はない。今すぐ、出ていけ」
綾瀬美月はその場に立ち尽くし、手足が冷たくなっていくのを感じた。
かつて深く愛した男、彼女を陥れておきながら花のように笑う女、そしてこの部屋に満ちる繁栄と嘲笑。
僅かに残っていた期待の欠片は、その「出ていけ」という言葉で粉々に砕け散り、灰となった。
彼女は冷たい空気を深く吸い込み、喉の詰まりと目頭の熱さを押し殺した。ナイフのような視線を無視し、冷酷な男を真っ直ぐに見つめ返す。
「桐島蓮」
先ほどよりはっきりとした、しかし隠しきれない震えを帯びた声で彼女は言った。
「出て行ってもいいわ。私の息子を返して」
その言葉が出た瞬間、ホールは先ほど以上に静まり返った。
事情を知らない客たちが驚きの表情を浮かべ、耳打ちし合う。
桐島蓮の顔色が、一瞬にして曇った。
彼は傍らに控えていた、複雑な表情の執事・田中に手を振った。
田中は躊躇いがちに口を開く。
「旦那様、それは……」
「連れて行け」
桐島蓮の口調は有無を言わせぬものだった。冷たい視線が再び綾瀬美月の顔に戻る。
「会ったら、すぐに消えろ。二度と俺の前に現れるな」
彼の言葉に含まれる悪意に心臓が縮む思いだったが、子供に会いたいという切実な渇望がすべてを凌駕した。
彼女はよろめきながら、背を向けた田中の後を追った。桐島蓮と白石麻里奈を振り返る余裕さえなかった。
田中は無言で彼女を先導した。だが、向かう先は明るい本館エリアではなく、薄暗い廊下を抜けた先にある別館、あるいは使用人部屋のある裏手だった。
進むにつれ人気はなくなり、光は薄れ、空気には微かなカビの臭いと冷気が漂い始める。
綾瀬美月の心は、次第に沈んでいった。
やがて田中は、低く古びたドアの前で足を止めた。それはまるで物置か、廃棄された小部屋のようだった。
彼はため息をつき、腰から鍵束を取り出して錠を開けた。
「若様は……この中に」
田中の声には、隠しきれない同情が滲んでいた。
最新チャプター
#356 第356章 新生を抱きしめる
最終更新: 10/22/2026#355 第355章 公証
最終更新: 10/21/2026#354 第354章 妊娠、優勝
最終更新: 10/20/2026#353 第353章 変わった
最終更新: 10/19/2026#352 第352章 脅威
最終更新: 10/18/2026#351 第351章 ハネムーン
最終更新: 10/17/2026#350 第350章 くたくたになった
最終更新: 10/16/2026#349 第349章 女上位
最終更新: 10/15/2026#348 第348章 涙はしょっぱい
最終更新: 10/14/2026#347 第347章 彼の妻を奪うかもしれない男
最終更新: 10/13/2026
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