無能令嬢として嫁いだ私を、大富豪の夫が誰よりも溺愛しています

無能令嬢として嫁いだ私を、大富豪の夫が誰よりも溺愛しています

鈴 · 連載中 · 618.2k 文字

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紹介

大富豪・天野家の絶対的権力者、天野真司が妻に迎えたのは、家族からも疎まれる「役立たずの令嬢」だった。

「天野様に守られているだけの女」

世間はそう嘲笑した。

だが、誰も知らない。
彼女こそ、世界を裏で動かす伝説級の天才だということを。

神医、天才ハッカー、科学者、レーサー……。
次々と明かされていく彼女の正体に、天野家の人々は態度を一変させる。

「三久に手を出すなら、天野家を敵に回す覚悟をしろ」

気づけば、かつて彼女を見下していた家族は全員、彼女の虜。

そして、そんな彼女を一番手放したくない男がいた。

夫である天野真司は、逃げ場を塞ぐように彼女を壁際へ追い詰め、低く囁く。

「忘れたのか? 君は俺の妻だろう」

チャプター 1

午後3時、T市市役所。

正面入口から少し離れた駐車場に、黒いマイバッハが停まっていた。

夏のいちばん暑い時間帯。婚姻届を出しに来る人影はまばらだ。

後部座席にはスーツ姿の長身の男がいた。腕時計に目を落とし、銀縁眼鏡の奥の冷えた眉目に、わずかな苛立ちが滲む。

「時間だ。……人は?」

淡々とした声が前方へ流れた。なのに、どこか刺すような冷気を帯びている。

車内はしんと静まり返り、エアコンの風だけがごうごうと渦を巻く。

運転席のアシスタントが、思わず身を震わせた。

「か、彼女は……」

男は肘をつき、片手で窓枠に体重を預けたまま眉骨をつまむ。瞼すら上げない。

「調べろ」

「はい」

五分もしないうちにアシスタントは情報を掴んだ。だがスマホの画面を見つめたまま、バックミラー越しに男の顔色を窺い――言葉が出ない。

「どこだ」

男がわずかに目を上げ、ミラーの視線とぶつかった。

運転席がびくりと跳ねる。

「わ、若奥様は……け、警察署に。……け、喧嘩で、拘束されたそうです」

「……」

後部座席の男は目を細めただけで、何も言わない。

――やってくれる。

昨日契約書にサインしたばかりで、今日さっそく警察沙汰とは。

アシスタントはミラー越しに盗み見た。陽光を反射する銀縁眼鏡の下には、見慣れたほど冷静すぎる眼。

「今回、若奥様は少し厄介かもしれません」

アシスタントは息を吸い込む。

「相手は内田浩司。内田グループの御曹司で、親の権力を盾に学校で好き放題やってます」

男の指先が窓を規則的に叩く。斜めにアシスタントを一瞥した。

「何が原因だ」

「内田浩司と若奥様は同じ大学で、内田が一目惚れ。何度も告白して振られ続けたので逆恨みし、学内で若奥様の噂を流しました」

アシスタントはタブレットをめくりながら報告する。

「噂……」

男が鼻で笑い、瞳の奥に侮蔑が走る。

アシスタントは頷いた。

「それで内田が『もう若奥様と……』と――」

続きを言う前に、男の顔色が沈んだ。アシスタントは即座に口を閉ざす。

「彼女は損をしたか?」

男が再び目を上げる。眼鏡が冷たい光を弾いた。

「え、ええと……」

アシスタントは慌てて操作し、数ページ送る。すると少女の写真が表示された。

絵に描いたように整った顔立ち。頬には乾ききらない涙の跡が残り、涙で潤んだ瞳は赤くなっている。頬には引っ掻き傷もあった。

か弱く、ひどく痛々しいその姿に、見た瞬間、胸が痛んだ。

「若奥様は……」

アシスタントは言葉に詰まり、タブレットを後部座席へ向けた。

男の表情が一気に底まで沈む。

「警察署へ」

「はい」

アシスタントはタブレットを助手席へ放り、エンジンをかけた。

だが、さっき勢い余って次のページへ触れてしまっていたことに気づかない。

そこには――内田浩司が、殴られて立てなくなった写真が映っていた。

……

水島三久は警察署の調停室で、部屋の中央に掛かった時計を見つめていた。

――終わった。遅刻だ。

事情聴取で二時間も座らされ、警官は延々と仲裁しているが、どうにもまとまらない。

「信じてくださいよ!! 被害者はこっちです!!」

腕を吊った内田浩司が憤怒で吠えた。

「俺はあの女にやられたんだ! あいつ、マジで狂ってて! 入ってきた瞬間こう――」

叫びながら、吊っていない腕で大げさに身振りする。

調書を取る警官は頭を抱え、机の書類と、隣の小柄な少女を見比べた。

「確認だが……彼女が入ってきて君を二メートル以上蹴り飛ばした。その後、君ら数人がかかって、こうなった……と?」

「そうだ! 個室に監視カメラがある! 証拠は――」

「……そのカメラは故障で二、三日動いていなかった。何も映ってない」

警官はペン先で机を軽く叩き、また考え込む。

話が荒唐無稽すぎる。目の前の少女は身長も一六〇に届かず、細い腕に細い脚。どう見ても屈強な男たちをこの有様にできるとは思えない。

警官はため息をついた。

「双方に怪我がある以上、相互暴行扱いだ。こういう場合、和解が一番だと思うが」

「……わ、和解します」

ずっと黙っていた水島三久が、ふいに立ち上がった。

声は小さく、柔らかい。

なのに、向かいの大男たちが一斉に震えた。

反射的に後ろへずれた拍子に、端に座っていた内田浩司が押し出され、仰向けに転がる。

「くそっ!」

内田浩司は机の下から這い出し、水島三久に怒鳴りつけた。

「なんで俺がてめぇと和解しなきゃなんねぇんだ!」

「警察の手を無駄にしてるからだ」

冷えた声が入口から差し込んだ。

背の高い男が調停室の扉口に立っている。

その背後からアシスタントがすぐに入り、警官へ丁寧に頭を下げた。

「こんにちは。池田守と申します。こちらは上司の天野真司です。揉め事の処理に参りました。今回の件は誤解で、彼らは大学の同級生です。少し言い争っただけで……こちらで私的に調整いたしますので、ご安心ください」

当事者が反論しないのを見て、警官は頷いた。

「分かった。じゃあ、よく話し合え」

内田浩司は天野真司を上から下まで見て、じわりと冷や汗をかいた。

T市で天野真司の名を知らない者はいない。

二十歳で天野家の事業を継ぎ、この十年で天野真司に潰された会社は八十どころか百は下らない。

決断は速く、容赦もない。商界の鬼――。

内田浩司の家も商売をしている。だからこそ分かる。

恋愛沙汰の噂一つない天野真司が、なぜ水島三久と?

内田浩司は口を開きかけた。

「天野さん……」

天野真司は内田浩司を無視し、ベンチに座って妙におとなしい水島三久へ視線を向けた。

「怪我はひどいか。立てるか?」

水島三久は首を振り、銀縁眼鏡の奥の黒い瞳を見上げる。声は綿のように柔らかい。

「分かりません。すごく痛いです……」

天野真司の瞼が上がり、眼底に殺気が滲んだ。

「待ってろ」

それだけ投げ、天野真司は警官の席へ腰を下ろした――。

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