結婚式の開始前、婚約者は幼馴染の引っ越しを手伝いに行った

結婚式の開始前、婚約者は幼馴染の引っ越しを手伝いに行った

渡り雨 · 完結 · 18.7k 文字

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紹介

私は古崎言舟のため、絶頂期に引退することを選んだ。

それなのに、結婚式の開始20分前、彼は幼馴染の引っ越しを手伝いに行き、私を一人、式場に置き去りにした。

彼は言った。「宇原雫(うばら しずく)、君は強すぎる。誰かに守ってもらう必要なんてない」と。

だから私は、参列者の目の前でベールを投げ捨て、婚約破棄を選んだ。

古崎言舟は、私が泣きついて戻ってくるとでも思ったのだろう。私を業界から追放するとまで言い放った。

でも、彼は知らない。
私が式場を去ろうとしたその時、前のコーチが突然、私を呼び止めたことを。

そして、もう一度チャンピオンの座を掴みたくはないかと、私に問いかけたことを。

チャプター 1

 古崎言舟との結婚式まであと一時間という時、彼の幼馴染である林原夢子から電話がかかってきた。

「もうお邪魔できないわ。今日中に引っ越すことにしたの……言舟さん、結婚おめでとう」

 古崎言舟は切迫した口調で叫んだ。

「夢子、早まるな! 鬱の症状が落ち着いたばかりだろう、一人で引越しなんて何かあったらどうするんだ!」

「大丈夫、ただの引越しよ。一人でも平気……」

 古崎言舟はチラリと私を見ると、苛立たしげに歩き回った。

「待ってろ、引越し業者を手配するから」

 電話を切った彼に、私は静かに尋ねた。

「林原夢子が引っ越すの?」

「ああ」

 古崎言舟は眉間を揉んだ。

「アシスタントに行かせる」

 彼は私に向き直り、何度も保証した。

「雫、安心してくれ。今日は僕たちの結婚式だ。何があっても君より大事なものなんてない」

 私は何も言わず、鏡越しに彼を見つめた。

 その電話を受けて以来、彼は明らかに焦燥しきっている。

 もし林原夢子からもう一度電話がかかってきたら、彼がここを飛び出していかないという保証はどこにもない。

 かつて彼は林原夢子のために、何度も私を置き去りにしてきたのだから。

 私は彼の理性に賭けるしかなかった。これが自分たちの結婚式だという自覚があることを信じて。

 しかし三十分後、予想通り林原夢子から二度目の電話がかかってきた。

 古崎言舟は五秒間ためらった末、通話ボタンを押した。

 電話の向こうから、激しい口論が聞こえてくる。

『その箱に触らないで! 母の形見なの! 持っていかないで!』

『うるせえ! 男に金払わせろ! 敷金十万円も滞納しといて被害者ぶってんじゃねえぞ!』

 古崎言舟の顔色が瞬時に青ざめた。

「やめろ! お前ら何者だ?!」

 林原夢子の悲痛な泣き声が受話器を突き抜けて響く。

『言舟さん、手配してくれた人は二時間かかるって言うから、式に遅れないように自分で探したの……でも、この人たち、お母さんの形見を持っていこうとして……』

「今どこだ?! すぐに行く!」

 古崎言舟は猛然と振り返り、なりふり構わず非常口へと走り出した。

「古崎言舟!」

 私は二段飛ばしで追いかけ、彼がドアを開ける寸前で立ちはだかった。

「どこへ行くつもり?」

「夢子が悪質な業者に絡まれてるんだ!」

 古崎言舟は目を血走らせ、額に脂汗を浮かべていた。

「相手はチンピラだぞ、女の子一人で太刀打ちできるわけがない!」

「警察を呼べばいい。管理会社でもいい。警察に任せれば済む話でしょう」

 私は冷ややかに彼を見据えた。

「式の開始まであと二十分しかないのよ」

「分かってる! でも宇原雫、人命に関わることなんだぞ! 夢子は今怯えてるんだ。親を亡くしたばかりでこんな目に遭って、彼女が壊れてしまったらどうする!」

 私は彼の目を真っ直ぐに見つめた。

「それで?」

 古崎言舟は一瞬呆気にとられ、次いで信じられないものを見るような表情を浮かべた。

「宇原雫、いつからそんな冷血な女になったんだ?」

「君は世界チャンピオンだ。メンタルも強いし、試合であらゆる修羅場をくぐり抜けてきただろう? でも夢子は違う。彼女は脆いんだ、彼女には僕しかいない!」

 心臓を鋭利な刃物で抉られたような痛みが走った。

 私は昨年、フェンシング世界選手権で金メダルを取ったばかりだ。選手として最も脂の乗った時期に、古崎言舟のために引退を決めた。

 それなのに今、私が誇りとしてきた金メダルと栄光が、私を捨てるための口実になっている。

「今日が私たちの結婚式だって分かってるの?」

 彼は目を閉じ、顔に苦渋と決意を滲ませた。

「約束する。一時間以内に必ず戻る。司会者に時間を遅らせるよう伝えてくれ」

 やはり、行くつもりなのだ。

 私は震える声で告げた。

「古崎言舟、今このドアを出て行くなら、もう結婚式は必要ないわ」

 古崎言舟の足が止まった。だが、彼はただこう言っただけだった。

「戻ったら話そう」

 彼は私を突き飛ばし、ドアを開け、一度も振り返ることなく駆け去っていった。

 私は深く息を吸い込んだ。あまりの馬鹿馬鹿しさに、乾いた笑いが出そうになる。

 踵を返し、一人で披露宴会場へと向かうと、ステージ上のマイクを握った。

「ご親族、並びにご友人の皆様」

 私の声はスピーカーを通じ、会場の隅々まで明瞭に響き渡った。

「大変申し訳ございませんが、本日の結婚式は中止とさせていただきます」

「たった今、新郎である古崎言舟氏は、一人では何もできないか弱い幼馴染の看病をするために、この会場を後にしました」

 会場は瞬く間に騒然となった。古崎言舟の父親が顔を真っ青にして立ち上がり、私を止めようとステージへ向かってくるのが見える。

 私は彼にその隙を与えず、平穏かつ断固とした口調で続けた。

「よって、私は今ここで宣言します——」

「結婚式を取りやめ、古崎言舟氏との婚約を破棄いたします。今後、私たちはお互いに一切関わり合いません」

 言い終えると、私は頭上のベールを外し、ステージの上に投げ捨てた。

 混乱する人波をかき分け、会場を出ようとしたその時。

 低く落ち着いた声が、私を呼び止めた。

「宇原雫」

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