紹介
私と黒豹族の領主ケィル・ナイトシェイドが、番(つがい)の契約を結んでは破棄した回数だ。
私たちの相性が悪かったからではない。
数ヶ月おきに、彼の「高嶺の花」であるセラフィーンが療養院から戻ってくるからだ。
「あいつは俺を庇って両翼を失い、精神を病んでいる。番の刻印(あかし)を見れば発作を起こしてしまうんだ」彼はそう言った。「俺はあいつに命の借りがある」
だから私は刻印を消し去り、契約書を燃やし、私たちが結ばれたことなど一度もないかのように振る舞わなければならなかった。
1回目。私は泣いて縋り、やめてほしいと懇願した。しかし彼は苛立たしげに私の頬を張り飛ばし、こう吐き捨てた。「いい加減にしろ。あいつが療養院に戻れば、また結び直してやるから」
13回目。二人を酒場まで尾行した私は、彼が彼女の失われた翼の痕にそっと口づけするのを見てしまった。堪えきれずに踏み込んで問い詰める私を、彼は容赦なく張り倒し、魔法の磔台(はりつけだい)に丸7日間も繋ぎ止めた。
契約、焼却、刻印の消去。それは決して覚めることのない悪夢のようだった。
そして、21回目。
領主の館で突如として大火災が発生した。私とセラフィーンは別々の部屋に取り残された。黒煙が立ち込め、猛火が荒れ狂う中、ケィルが救えるのはどちらか一人だけだった。
「ケィル……」私は窓辺に這いつくばり、掠れた声で叫んだ。「私、妊娠してるの……助けて……」
彼は黒豹の姿へと変化(へんげ)し、迷うことなくセラフィーンの部屋へと駆け出していった。
30分後、私は護衛の者たちによって瓦礫の中から引きずり出された。背中には広範囲の重度の火傷、気道は灰で塞がり、そして下腹部の下には、赤黒い血だまりが広がっていた。
お腹の赤ん坊は、失われた。
一方、ケィルは無傷のセラフィーンを抱きかかえ、安全な場所に立っていた。火の手が上がってから私が救出されるまでの間、彼はただの一度も、こちらを振り返りはしなかった。
21回目の契約破棄は、私から申し出た。
今回ばかりは、もう二度と結び直すことはない。
チャプター 1
ノラ視点
「契約を解きましょう」
退院して最初の日、血判を押した『契約解除書』をケィルの前へすっと差し出した。
ケィルは銀の刃を拭っていた――幾多の敵を斬ってきた、あの武器だ。手元がぴたりと止まり、彼は顔を上げる。金色の瞳に、戸惑いが走った。
「……何だと?」
「契約解除よ」私は淡々と繰り返す。
「セラフィーンが明後日戻ってくるんでしょう?」
彼の視線が、羊皮紙に残る私の血の印へ落ちる。喉仏がわずかに上下し、彼は銀刃を掴むと掌をすっと切った。血が契約書へ滴り、紙は一瞬で吸い込み、濃い紅の符文へと変わる。
セラフィーン。彼の、高嶺の花。
七年前、彼を救って窮地から逃がすため、敵に金鷲族が誇る双翼を潰された。医師は言った。精神が脆く、伴侶の印を見れば発作を起こす、と。
だから彼女が療養院から戻るたび、私は消える。契約を解く。印を消す。
――二十一回目。
ケィルは暖炉へ歩み寄り、契約書を放り込んだ。炎が一瞬でそれを呑み込む。
胸の奥が、きりりと痛む。
伴侶の契約が断たれる感覚――魂を繋いでいた細い糸を、刃物で生々しく断ち切られるみたいに。
私は目を閉じ、奥歯を噛み締めた。
「今日はずいぶん素直だな」ケィルは灰になっていく紙を見て、満足そうに頷く。
「やっと分かったか」
ふと、彼が動きを止めた。次の瞬間、私の左手首を掴む。
新しい傷痕が、くねくねと這っていた。死んだ蛇みたいに歪んだ線。まだ滲む血と、不自然に赤い縁。
「これは……」ケィルが眉を寄せる。
「伴侶の印」私は言う。
「セラフィーンのために、今回は先に消したの」
「正気か!」彼が低く怒鳴った。
「印の抹消は、契約解除から三日待つのが決まりだ! そんなことをしたら――」
「どうなるの?」私は静かに見返す。
「痛む? 命に関わる?」
そっと手を引き抜く。
「全部知ってる。でも、セラフィーンはこの前、印を見ただけで気を失ったでしょう?」
ケィルの顔色が変わった。
十五回目の解除のとき。セラフィーンが私の手首の印をちらりと見て、その場で崩れ落ちた。ケィルは激昂し、私がわざと刺激したと言い張った。そして私を火の檻へ投げ込んだ――魔法の炎で編まれた檻。殺しはしないが、皮膚の一寸一寸が裂かれるように痛む。
私はそこで丸一日閉じ込められた。全身が熱で真っ赤に染まり、高熱で声も出なかった。
通りかかった一族は、誰一人として私を見ない。水一口だってくれない。
嫌われているからだ。私は人間で、獣の姿も力もない。領主の伴侶になる資格がない。
「好きに痛い目を見るがいい」彼は鼻で笑う。
「俺は止めん」
私は背を向けて荷造りを始めた。五年の間に、この家を出入りしたのは二十回。毎回これが最後だと思って、毎回どこかで期待してしまった。
でも今は、ただ逃げたい。
「ノラ」ケィルが苛立った声で呼ぶ。
「聞いているのか?」
「うん」私は服を畳み続け、顔すら上げない。
「三週間後にセラフィーンが療養院へ戻る。そのときまた契約を結ぶ」彼はドア枠にもたれ、腕を組む。
「それまでどこにいる?」
「ライラのところ」
「お前のエルフの友人か?」彼の目がすぐに鋭くなる。
「いつまで?」
「三週間」スーツケースのファスナーを閉め、私は彼を見た。
「あなたはセラフィーンに付いているんでしょう?」
彼は目を細め、首筋の筋肉が張り詰めた。
「大人しくしろ」冷えた声で釘を刺す。
「昔みたいに騒ぐな」
私は彼を見つめる。
五年前の氏族祭典。彼は私を抱き寄せて高台に立ち、皆の前で宣言した――
「こいつは俺の伴侶だ」。そのときの瞳には、狂おしいほどの独占欲が燃えていて、私は自分が必要とされているのだと錯覚した。
今、彼の目にあるのは苛立ちだけ。
「しないよ」私は淡々と言った。
「邪魔にはならない」
ケィルは数秒私を見てから、わずかに表情を緩める。
「ならいい。セラフィーンが戻ったら埋め合わせを――お前、ずっと星月舞踏会に行きたがっていただろ。礼服を用意させる――」
「いらない」
ケィルの眉が跳ね上がり、眼差しが一瞬で刃になる。
「どういう意味だ?」
「言葉どおり」胸の中が穴みたいに空っぽで、私はただ見返した。
「埋め合わせなんて要らない」
「ノラ」彼の声がぐっと低くなる。顎が硬く引き締まった。
「また拗ねて何をするつもりだ?」
「してない」
「ならその態度は何だ」彼が一歩詰める。圧が、肌にぶつかった。
「あの日の火事のことを、まだ根に持っているのか?」
私は彼を見つめ、喉がきゅっと縮む。
流産してから、彼は一度も私に痛かったかと聞かなかった。
ただ、どうしてセラフィーンを選ばなければならないのかを何度も説明した。理由さえ正しければ、子どもを失うことも当然だと言うみたいに。
「それに、あの子どものことだが――」彼は言葉を切り、氷みたいな声になった。
「わざと孕んだんだろ。子で俺を縛るつもりか? ノラ、そんな小細工は最初から見えている」
心臓が、握り潰された。
「……たぶん、あなたの言うとおり」私はかすかに言い、スーツケースの取っ手を掴んだ。
「身の程知らずだった」
彼が反応する前に、私はそのまま出ていった。
車がナイトシェイド領を抜ける。
バックミラーの中で、あの建物群が遠ざかっていく――黒い尖塔が黄昏の空を突き刺し、入口には石彫の黒豹がうずくまり、金の獣眼が冷たく去る車を見送っていた。
かつて、そこが帰る場所だと思っていた。
今なら分かる。ただの豪奢な檻だった。五年も私を閉じ込めた檻。
胸の空洞が、じわじわと広がっていく。少しずつ、内側を削り取られるみたいに。
でも、もう痛くない。
痛みに浸かりすぎて、とっくに麻痺してしまった。
私は通信用の水晶を取り出し、わずかな魔力を流し込む。水晶がほのかに灯った。
三拍ほどで、繋がる。
向こうから聞こえたのは、低く落ち着いた女の声。古く、揺るがない力を帯びている。
私は目を閉じ、震える声で呼んだ。
「お母さん……」
沈黙。
水晶のかすかな唸りだけが続く。
「私だよ。ごめんなさい」五年前の、失望した顔がよぎる。目の奥が熱くなった。
「……帰りたい。家に」
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雅人は冷たく笑う。
「俺から離れられるなんて夢にも思うな、絢香。お前は俺だけのものだ」
——
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