紹介
家族の都合で、余命わずかと噂される名門の御曹司と結婚することになった彼女。
周囲は彼女を哀れんだ。
「病弱な後継者に嫁ぐなんて、かわいそうな花嫁ね」
けれど、誰も知らなかった。
彼女こそ、伝説の名医を師に持つ名医。
世界最高峰のハッカー。
国際大会を制したレーサー。
世界中で愛される美容ブランドの創業者。
すべてを隠していた彼女が、ただ一つ望んだもの。
それは、穏やかな人生だった。
しかし半年後……
奇跡的に回復した御曹司は、彼女を誰よりも大切にする。
次々と明らかになる彼女の本当の姿に、周囲は驚愕する。
「君は、一体何者なんだ?」
冷たい男と恐れられた彼は、彼女を抱きしめて囁いた。
「最後に残った君の正体は……俺の最愛の妻だ」
チャプター 1
「朝比奈澪! おまえ、どれだけ自分勝手なんだ!」
「神宮寺玲央に嫁げるんだぞ。光栄だと思え! 断る資格なんてどこにある!」
朝比奈邸。
朝比奈隆之は手元の茶碗と箸を乱暴に卓へ叩きつけ、向かいで俯いたまま一言も返さない少女を低い声で怒鳴りつけた。
朝比奈家はS市では三流の名門。かつてはそれなりに栄えた時期もあったが、いまや見る影もなく、破産寸前まで追い詰められている。
そんな折、神宮寺宗一郎が病重い孫――神宮寺玲央の縁談を進めているらしい、という話が耳に入った。
朝比奈隆之の胸に、瞬時に欲が灯る。
神宮寺家は全国一の財閥一門。
姻戚にさえなれれば、朝比奈家の再起など目前だ。
広いダイニングに、息をする音すらない。
朝比奈澪は箸を置き、澄んだ瞳で真っすぐ隆之を見た。
心の奥の貪欲と妄執を、まるで透かすように。
「どうして私なの。瑠璃じゃなくて?」
その一言で、食卓の空気が一瞬固まった。
朝比奈隆之の顔に、みっともない陰りが走る。
「お、おまえの妹は身体が弱いんだ。そんな子に病人の嫁なんて務まるか!」
横から朝比奈千代がすぐに口を挟む。
「瑠璃は神崎家と婚約してるの。いま家を助けられるのは、澪、あなただけよ」
「お姉ちゃん、ごめんなさい……全部わたしのせい。責めるならわたしを責めて。パパもママも、わたしのために……」
朝比奈瑠璃は瞳に涙を溜め、弱々しく俯いた。
その姿に隆之と千代はたちまち胸を痛める。
澪は苦く笑った。
長い睫毛が震え、瞼に影を落とす。白く精緻な頬は、作り物めいて美しい。
瑠璃はその顔を見つめながら、腹の底の嫉妬が煮え立つのを感じていた。
あんな汚い田舎で何年も暮らしていたくせに、どうして私より肌が白くて、綺麗なの。
遠目には、ショーウィンドウの完璧なドール。欠点なんて見当たらない。
けれど、ふと何かを思い出し、瑠璃の眉間がほどけた。
綺麗でも何になる。数日もすれば神宮寺家へ“沖喜”に行くのだ。
S市で知らない者はいない。
神宮寺玲央は重病で、命の灯が風前の灯だと。
しかも性格は陰険で冷淡、気性も荒い。
逆らった者にまともな末路はない――そんな噂まである。
澪が嫁いだら、どう死ぬかさえ分からない。
そう思うと、瑠璃の胸は妙に軽くなった。
「お姉ちゃん、うち……もうすぐ倒産なの。神宮寺家と縁組しないと助からないの」
澪の目に、薄い嘲りが宿る。
「だから私が犠牲になって、あなたたちを喜ばせろって?」
これが、十九年も夢見ていた“本当の親”なのか。
貪欲で、身勝手で。実の娘の一生を利益と引き換えにする。
澪は一歳のときに迷子になり、見つかったのはつい一か月前。
この十九年、何度も想像した。自分の親は、きっと愛してくれるのだろう、と。
だが現実は違った。
彼女がいなくなって間もなく、両親は施設から一人の少女を引き取っていた。朝比奈瑠璃――それが彼女だった。
十九年で、瑠璃は澪の居場所をすべて奪った。
両親も、兄も、婚約者も。例外はない。
千代が説得の言葉を探した、その時。
澪の澄んだ声が、静かに落ちた。
「分かった。結婚する」
「……本当か?」
隆之の瞳がぱっと明るくなり、怒気は霧散する。澪を見る目に、露骨な満足が混じった。
「そうこなくちゃな。神宮寺家はおまえを粗末にはしない」
千代も安堵の顔を浮かべる。
瑠璃は口元をわずかに吊り上げ、隠しもしない愉悦を見せた。
澪はその表情を見て、胸の奥で最後の幻想が粉々に崩れるのを感じた。
酸っぱく疼くような感情が込み上げる。こんなの、初めてだ。
息を深く吸い、無理やり押し殺す。
「でも、まだ終わってない。神宮寺家に嫁ぐのはいい。その代わり、条件がある」
隆之の笑みが薄れる。
「調子に乗るな。神宮寺家に入れるだけでも福だぞ」
田舎育ちの分際で――そんな蔑みが目に浮いている。
瑠璃とは天と地だ、とでも言いたげに。
澪は心の中で冷笑した。
重病で長くない男に嫁ぎ、すぐ未亡人になるかもしれない。それを“福”と言う父。どれほど滑稽だろう。
隆之が眉を寄せる。
「条件ってのは何だ」
千代と瑠璃も不快そうに睨む。
澪は見ないふりをして、淡々と言った。
「神宮寺家から融資が入ったら、私は朝比奈家と縁を切る。これから先、お互い一切関わらない」
「――っ!」
静まり返った邸宅に、突然、ガラスが砕ける甲高い音が響いた。
隆之が激昂し、澪の頬を平手で殴り飛ばす。
「もう一回言ってみろ! 恩知らずが! 産むんじゃなかった!」
縁を切る?
それを娘が口にするなど、許せるはずがない。
千代も怒鳴る。
「澪! お父さんに謝りなさい!」
澪は小柄だ。力いっぱいの一撃で床へ転がった。
頬が焼けるように痛み、喉奥から血が込み上げ、唇の端に滲む。
手で拭えば、掌が赤く染まった。
澪は嗤った。
「神宮寺家へ行くのは、産んだ恩の返しだと思う」
「それで終わり。これから先、私は朝比奈家と無関係」
「馬鹿な真似を!」
隆之は目を剥き、憎悪を燃やして睨みつける。
「おまえは朝比奈家の人間だ! 家を救うのがおまえの責任だろう! 食わせてもらって、着せてもらって、その全部が朝比奈家の金だ!」
澪は立ち上がり、皮肉たっぷりに返した。
「私の服は師匠が買ってくれた。使ってる物も山から持ってきた。与えられた部屋は瑠璃の物置みたいな雑物室……産んだのはあなたたちでも、育てたのはあなたたちじゃない」
「私は最初から、何も借りてない」
豪奢なシャンデリア、高価なコレクション。
ここは“家”のはずなのに、どこにも温度がない。
隆之はその強情さに、怒りが逆流する。
「いいだろう! 望み通りにしてやる! 後悔するなよ!」
神宮寺家のような名門は家柄を重んじる。
後ろ盾のない嫁が生き残れるはずがない――そう言外に嘲るように。
隆之はスマホを取り出し、弁護士へ電話をかけた。
ほどなく、絶縁の書面が持ち込まれた。
そこには、澪が自ら朝比奈家との一切の関係を断ち、朝比奈家財産の相続権を放棄する旨が明記されていた。
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しかし、夫がついに自力で立ち上がれるほど回復したその日、彼は初恋の女性を腕に抱き、こう言い放った。
「これからの人生、俺は彼女と、彼女のお腹の子を守っていく」
打ちのめされた彼女が離婚を切り出すと、夫は冷徹に彼女の口座をすべて凍結し、無一文のまま家から追い出し、嘲笑うように吐き捨てた。
「俺がいなければ、お前には何の価値もない」
彼女が妊娠検査薬をそっと隠し持ち、すべてに別れを告げて永遠に立ち去るまで、夫が慌てふためくことはなかった——。
全能令嬢の帰還、家族が倒産?
父は冤罪で獄中にあり、母は病に伏せっている。
六人の兄たちも、ある者は身体に障がいを負い、ある者は無気力に沈んでいた。
そんな折、家に潜り込んでいた偽令嬢は状況を見るや否や一家を見捨てて姿を消し、さらに屋敷までも奪い取ろうとしていた。
世間は夏川家を「落ち目の負け犬」と嘲笑い、皆がこぞって踏みにじる。
紅蓮が静かに一声を発すれば、暗部より無数の異能の士たちが姿を現し、形勢は一瞬にして逆転する。
父は無実のまま出所し、母は健康を取り戻し、廃人同然だった長兄は再び己の足で歩き出し、残る五人の兄たちもまた紅蓮の導きによって各々の才覚を花開かせ、やがて各界を牽引する大物へと成り上がっていく。
しかし、そんな彼女を指さして嘲る者がいる。
「夏川紅蓮は地味で野暮ったい田舎者だ」と。
何を隠そう、彼女は無数の隠された顔を持つ存在。
神医の令嬢も彼女なら、国画の大家も彼女。
伝説のハッカーも彼女なら、正体不明の謎の女優も彼女。
そして、暗部を統べる首領さえも——彼女なのだ。
そんな折、頂点に君臨する名門の若様が、彼女をそっと腕のなかに抱き寄せた。
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紅蓮が流し目をひとつ送る。
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そして、かつて高みから見下ろしていた偽物のお嬢様は、盗作しかできない道化に過ぎなかった。
全ての仮面が剥がれ落ちた時、全世界が彼女の足元で震撼する――。













