紹介
それを知った母・ヴィヴィアンの表情は、驚愕から狂喜へと変わった。
「デイモンをマヤに譲るですって?!キラ、後悔しても知らないわよ!彼は狼族最強のアルファなのよ!」
後悔なんてしない。絶対に。
前世の私は、まさにそのアルファに嫁ぎ、彼の押し付けるルールのせいで丸三年もの間、息の詰まるような日々を送ったのだ。
彼は『ルナ(※群れの長の妻)』として淑やかで優雅であることを求めたが、私はあえて短いドレスを着て満月の夜会(パーティー)へ出向いた。
案の定、貴族の夫人たちに囲まれ、「まるで発情した野良オメガね」と嘲笑された。
その時、デイモンが歩み寄り、自分のジャケットを脱いで私の肩に掛けた。
ついに私を庇ってくれるのだと、そう思った。
「キラ、少しは大人しくできないのか?これ以上、長老たちの前で俺に恥をかかせないでくれ」
彼の声は、氷のように冷酷だった。
その瞬間、私は悟った。彼が愛しているのは『完璧なルナ』であって、私ではないのだと。
それからは、露出を抑えた保守的なロングドレスに、煩わしいマナーレッスンの日々。私が反発しようとする度、彼は冷たく言い放った。
「これは一族の掟だ。お前は従わなければならない」
業火に飲み込まれるその瞬間、私は誓った。
もし人生をやり直せるなら、二度とこの男には嫁がない、と。
そして目を覚ますと、私は婚約の前夜に戻っていた。
「マヤに、彼の『完璧なルナ』になってもらえばいいわ」
私は婚約書を突き返した。
「私はただ、自由が欲しいの」
だが、私は思いもしなかった——
花嫁がすり替わったと知った時、あの冷酷で自制心の塊だったアルファが、完全に狂ってしまうだなんて。
チャプター 1
生き返った――私は、ずっと心に焦がれていたAlphaの婚約者を、義妹に譲った。
それを知った母ヴィヴィアンは、驚愕の顔から一転、狂喜した。
「デイモンをマヤに譲ったですって?! キラ、後悔しないでよ! あの方は狼族最強のAlphaなんだから!」
後悔なんてしない。絶対に。
前世の私は、そのAlphaに嫁いだ。そして彼の「決まり」の中で、まる三年、息ができないまま生きた。
彼が求めたのは、Lunaとしての品格と優雅さ。だから私は、わざと短いスカートで満月の晩餐会に出た。
貴族の奥方たちが輪になって、私を指さして笑った。「発情した野良Omegaみたい」と。
そのときデイモンが歩み寄り、黙って自分のジャケットを肩に掛けてくれた。
――ようやく守ってくれる。
そう信じた、次の瞬間。
「キラ、いい加減にしろ。年上連中の前で、これ以上俺の顔を潰すな」
氷みたいに冷たい声。
その一言で理解した。彼が愛しているのは「完璧なLuna」であって、私じゃない。
それからの日々は、保守的なロングドレスと、煩わしい礼法のレッスン。私が反抗しようとするたびに、彼は決まって同じ言葉を吐いた。
「家の規矩だ。お前は従え」
炎に呑まれるその瞬間まで、私は誓った。
次の人生があるなら――この男には、絶対に嫁がない。
目を開けたとき、私は婚約前夜に戻っていた。
「マヤに、あなたの完璧なLunaをやらせればいいわ」
私は婚約書を押し返した。
「私は自由が欲しいの」
……なのに、想像していなかった。
花嫁がすり替わったと知った瞬間、冷酷で自制の塊だったはずのAlphaは、完全に壊れた。
――
キラ視点
婚約書の上で、自分の名前を線で消す私を見て、母は半秒だけ固まった。それから、爆発したみたいに声を張り上げる。
「正気じゃない! 相手はクリムゾン・ムーン部族のAlphaよ! 狼族で最強の血筋なのよ!」
「正気よ」
空欄に、私は「マヤ・アシュフォード」と書き込んだ。
「これ、あなたが望んでたことでしょ?」
母は目を見開き、その名前を凝視した。驚愕が疑念に変わり、最後には抑えきれない歓喜が滲む。
「……ほ、本当にデイモンをマヤに譲るの?」
「何、嬉しくないの?」
私は顔を上げる。
「飛び上がって喜ぶかと思った」
「本気で言ってるの?」
急に母の目が鋭くなる。
「デイモンはあなたの命定の伴侶よ。まさか、何か企んで――」
「企み?」
私は鼻で笑った。
「その手の話なら、あなたの方が得意でしょ。父が死んで一か月で再婚して、七か月も経たないうちにマヤを産んだ……あ、ごめんなさい。『予定日より早かった』のよね?」
母の顔色が、すっと白くなった。
フロスト・ヘイヴン部族は、東海岸でも最古の部族のひとつだった。父マーカス・アシュフォードは純血のAlphaで、広大な領地を治めていた。
けれど父は病で倒れ、母はマヤの父ヴィクター――新しいAlphaに嫁いだ。だが彼は統治が下手で、部族はみるみる傾いていった。
そこへデイモンが、同盟の相手として私を選んだ。理由はただひとつ。
私は、彼の命定の伴侶だったから。
「小さい頃から、あなたがマヤに使ったお金は、小部族ひとつ買えるくらいよ」
私は淡々と言う。
「私はどう? 狼人の晩餐会のドレスでさえ、自分で貯めないと買えなかった。……これで婚約も譲った。満足したでしょ」
母の表情が、罪悪感から、露骨な欲に塗り替わる。
「……で、あなたは何が欲しいの?」
「ストームウォッチ・リッジ」
フロスト・ヘイヴン部族が海外に持つ領地だ。
母が息を呑む。
「それは、あなたのお父様が残した――」
「取引する? しない?」
迷ったのは、三秒だけだった。
「する!」
母は婚約書をひったくるように掴むと、逃げるみたいに部屋を飛び出した。
バタン、と扉が閉まる。
私はその場に立ち尽くし、廊下の先へ消えていく足音を聞いた。
フロスト・ヘイヴン部族では、何でも取引になる。娘でさえ。
私は姿見の前に立つ。
鏡の女は、足首までのドレス。首元は鎖骨まできっちり留められ、金髪はきれいにまとめられている。端正で、優雅で、Lunaの規範そのもの。
前世の私は、デイモンに合わせるために、こうやって自分を作り替えた。
「……くだらない」
鼻で笑い、私は結い紐を乱暴に引き抜いた。ぱさっ、と金髪が滝のように落ちる。
あの忌々しいロングドレスを放り投げ、クローゼットの奥から黒いレザースカートを引っ張り出す。裾は太ももの付け根ぎりぎり。血みたいに赤いキャミソールに、スタッズ付きのロングブーツ。
鏡の中の女は、別の魂を宿したみたいだった。野性、危うさ、そして息が止まるほどの色気。
完璧なLunaなんて、知るか。
私はストームウォッチ・リッジ行きの航空券を押さえ、バイクのキーを掴んで飛び出した。
部族の警備が呆然とする。未来のLunaが、バイクに跨る姿なんて見たことがないのだろう。
Lunaなんて、知るか。
スロットルを捻り切り、私は一直線にスカーレット・ファングへ向かった。ニューヨークで最も悪名高い、狼人のアンダーグラウンド・クラブ。
――
重低音が床を震わせ、血のような赤いライトが闇の中で跳ねる。
空気は酒と汗と、さまざまな匂いが混じり合っていた。Alphaのムスク、Betaのタバコ、甘ったるいOmegaの香水。
ステージでは上半身裸の狼人ダンサーが、リズムに合わせて腰を振る。ネオンの下で筋肉が艶めく。
扉を押し開けた瞬間、視線が一斉に刺さった。
フロスト・ヘイヴン部族の令嬢。クリムゾン・ムーン部族の未来のLuna。その私が、こんな場所にいる。
「一番きつい酒を!」
私は5,000円札の束をカウンターに叩きつける。
「今夜は貸し切り! 一番エロい狼を全部呼んで!」
バーテンダーの手が震え、ボトルを落としそうになる。
片目のオーナー、ブルーノがバックヤードから飛び出してきた。顔面蒼白だ。
「キラお嬢様! お願いです、やめてください! 北の狼人界隈は、あなたがクリムゾン・ムーンの未来のLunaだって知ってる! あのAlphaに――殺されます!」
私はテキーラを一杯、喉へ流し込む。灼けるような熱が、内側から駆け上がった。
「落ち着いて、ブルーノ。婚約は破談よ。今日から私は、金で遊ぶだけの普通の客」
「破談?!」
ブルーノが噛みつくように叫ぶ。
「冗談でしょう? 街中が噂してますよ、デイモンがあなたのためにムーンストーンの指輪を特注したって! 命定の伴侶だけが着けられる――」
「もう過去の話」
私の声が、すっと冷える。
「彼の欲しいLunaは、上品で、優雅で、部族の伝統に従って、永遠に彼の顔を潰さない女」
私はもう一口、酒を呷った。
「私はもう嫌。飾り人形なんて。朝起きるたびに『今日は何をしたらあの人が不機嫌になる?』って考えるのも。自分をあの息苦しい規矩に押し込めるのも」
ブルーノは口を開けたまま、結局、何も言えなかった。
筋骨隆々の狼人ダンサーが三人、寄ってくる。ネオンを浴びた筋肉が光り、飢えた目が私を舐めた。
私はそのうちの一人の胸板に手を当てる。熱い肌。強いフェロモン。
体内の狼が唸る――欲じゃない。復讐の快楽だ。
デイモンが一番嫌う「ふしだら」。
それでいい。
「ねえ、ベイビー」
若いダンサーが耳元へ寄せ、低く甘く囁く。
「上で――」
「誰がベイビーだ」
背後から、冷たく、致命的な声が落ちてきた。
全身の毛が逆立つ感覚。
……最悪。
クラブ中の狼人が、同時に凍りついた。Alphaの威圧が、津波みたいに押し寄せる。冷たいモミの香り、革の匂い、そして圧倒的な権威。
私はゆっくり振り返った。
入口に立っていたのは、デイモン・ブラックソーン。背後には完全武装の護衛が六人。
陰鬱な顔。琥珀色の眼が、私を射抜く――正確には、ダンサーの胸に置いたままの私の手を。
狼人たちが恐怖に頭を垂れる。
私以外は。
体内の狼が狂ったように吠えた。屈服したい、跪きたい。命定の伴侶の引力が、私を引き裂きそうになる。
それでも歯を食いしばり、必死に押し殺す。
私は顎を上げ、いちばん挑発的な声で言った。
「あなたに関係ある?」
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【申し訳ございません、実の子でした!】













