紹介
親友から贈られたのは、大胆に肌が透けるレースのネグリジェだった。
いつもの清楚な装いを捨て、鏡の前で慣れない自分と向き合う。薄い生地が身体の曲線にぴったりと張り付き、吐息が漏れるほどに艶やかな輪郭を浮き上がらせていた。
結婚して5年。
私たちが初めて身体を重ねたのは、ほんの1ヶ月前のことだ。
お酒に酔った夫・鷹司蓮矢は、どこまでも優しく私を抱いてくれた。
だから今夜、恥じらいながらも静かに彼の手を握り、ベッドへと誘った。……けれど、夫から返ってきたのは、凍りつくような拒絶だった。
彼は私を見ようともせず書斎に引きこもり、鍵を閉め、果てる。
――自分を慰めながら、私ではない「別の女」の名前を、熱く狂おしそうに呼びながら。
それが、彼の忘れられない初恋の人だと知った時、私の5年間は音を立てて崩れ去った。
チャプター 1
「男なんてみんな目で食う生き物よ。この格好でベッドに横になってみな? 我慢できるわけないって!」
日向雫は姿見の前に立ったまま、親友の言葉を思い出して頬がかっと熱くなる。
身にまとっているのは、シャンパン色のシルクのシースルードレス。いつもの清楚な装いを脱ぎ捨て、透ける肌の輪郭がかえって艶めかしい。
あの酔いに任せた、狂った夜から――きっかり一か月。
あの夜、鷹司蓮矢はいつもの冷たさを全部脱ぎ捨て、優しさが痛いほどの声で彼女の名を呼んだ。
「雫……頼む……助けて」
そこから先は、もう歯止めが利かなかった。
初めては痛かった。けれど、その痛みさえ受け入れられるほど、彼が欲しかった。
それでも――夜が明ける前に、日向雫は逃げた。
目が覚めた彼に「気持ち悪い」と思われるのが怖かったから。
ところが、鷹司蓮矢はあれ以来、雫への態度が妙に違った。
コーヒーは砂糖抜きだと覚えている。
雫が夜更けまで絵を描いていると、使用人に温かい燕の巣を持たせる。
古傷のせいで指がじくじく疼くと、わざわざ薬局へ行って軟膏を買ってくる。
そして一昨日の夕食の席で、彼はふいに言った。
「三日後に慈善パーティーがある。準備しておけ。連れていく」
五年。鷹司蓮矢が初めて、雫を正式な場へ連れ出すと言った。
日向雫は胸が浮き立った。報われたのだ、と。これまでの献身が、やっと彼を動かしたのだ、と。
今夜はチャンス。
契約みたいなこの結婚を、本物にする。
ドアが押し開けられた。
鷹司蓮矢が立っていた。仕立てのいいダークグレーのスーツが、広い肩と長い脚を際立たせる。灯りを受けた端正な顔立ちは一層冴え、視線が雫の露わな寝間着を掠めた瞬間、歩みが一拍止まった。
「まだ寝てないのか」
部屋に入ってくる瞳は深く、雫には読み取れない複雑さを湛えている。
雫は顔を上げ、恐る恐る彼の腕に触れた。
「蓮矢、話がしたいの」
言い終える前に、蓮矢はさりげなく手を抜いた。表情は冷えたまま。
「疲れてる。用件はまた今度だ」
雫は言葉を失う。
「わたし……」
何か言おうとした雫を、蓮矢は氷みたいな声音で遮った。
「着替えろ。お前には似合わない」
それだけ言い残し、彼は雫を追い越して浴室へ消えた。
日向雫は呆然と立ち尽くす。全身が冷え、言いようのない羞恥が喉元を締めつけた。
シャワーを終えた蓮矢は寝室へ戻らず、書斎へ向かった。
雫は夜更けまで待ったが、彼は一度も寝室に戻ってこない。
諦めきれず、上着を羽織って書斎へ向かった。廊下は暗い。書斎の扉の隙間からだけ、かすかな光が漏れている。
そっと近づき、ノックしようと手を上げた瞬間――中から、抑えた唸り声が聞こえた。
掠れた声。滲む欲。雫が一度も聞いたことのない音色。
「静佳……」
日向雫の全身が硬直し、息が止まる。
静佳。鷹司蓮矢の初恋の名前。
信じられなかった。性に淡いと思っていた夫が、ひとりで欲を煽りながら、別の女の名を求めるように呼んでいる。
「静佳……」
くぐもった吐息が重なり、荒い呼吸が乱れる。やがて――終わった。
雫は一歩退き、踵が壁際の飾り棚に当たった。コツ、と乾いた音。
書斎が沈黙し、間もなくドアが乱暴に開く。
鷹司蓮矢が立っていた。パジャマの襟元は開き、顔は紅潮し、胸がまだ上下している。
「ここで何をしてる」
声は氷のように冷たい。
雫は口を開いたが、言葉が出ない。
「わたし……」
ようやく絞り出した声は震えていた。
「水が飲みたくて」
蓮矢は眉を寄せ、身を引く。
「行け」
雫は機械みたいにキッチンへ向かい、冷蔵庫から瓶のミネラルウォーターを取り出した。ガラスが冷え切っていて、指先が痺れる。
蓋を回そうとしても力が入らない。少し力を込めただけで、針で貫かれるように痛んだ。
「貸せ」
蓮矢が近づき、雫の手から瓶を取る。軽く捻って蓋を開け、差し出した。
雫は受け取り、一口だけ喉に流し込む。
「……ありがとう」
カウンターに瓶を置き、背を向けた。
その背に、彼の声が落ちる。
「明日、上田先生を呼ぶ。手を診せろ」
また、手。
五年間、彼が示す「気遣い」はいつだってそれだけだった。
雫は振り返らない。
「いらない。明日、自分で病院へ行く」
そう言い切って寝室へ戻り、ドアを閉める。
その瞬間、やっと自分の指を見つめる勇気が湧いた。
震える十指。
指先は青白く、長いリハビリのせいで関節が少し歪んでいる。
――この手は、かつて師匠が息を呑む絵を描けた手だった。
キャンバスに世界を塗り込められた手だった。
そして五年前の地震で――死神の手から彼を奪い返した手でもある。
余震が続き、誰もがやめろと言った。雫は聞かなかった。
爪が剥がれ、血と肉がぐちゃぐちゃになっても、指の関節で瓦礫を掻いた。
痛みで気を失い、目が覚めればまた掻いた。二日二晩。
血まみれの鷹司蓮矢を瓦礫の下から引きずり出したとき、彼は目を開いて最初に言った。
「……お前の手……」
それきり気を失った。
目を覚ました彼がまずしたのは、医者に雫の手を診せることだった。
そのあと――鷹司蓮矢は雫を娶った。
式はない。指輪もない。
鷹司蓮矢は言った。
「日向雫、俺はお前に命を借りた。この結婚で、俺は一生お前の面倒を見る。だが、それ以上はやれない」
雫は言った。
「……うん」
彼女は彼を愛していた。
大学で初めて見た瞬間から。
彼が没落して、ゼロから這い上がり、冷たく鋭い男になっても――それでも愛した。
だから責任だけの結婚を受け入れた。いつか、彼が自分の良さに気づくと信じていた。
けれど五年かけて知った。
人の心には、石より硬く、どれだけ抱きしめても温まらないものがある。
翌朝、目を覚ますと隣は空だった。
前田がノックして入ってきて、湯気の立つ粥を運んでくる。
「若様が、昨夜奥様の具合が悪そうだったからって。胃が冷えるといけないから、温かいものをって」
海鮮の匂いが鼻を刺した瞬間、雫は堪えきれず、うっとえづいた。
前田の顔色が変わる。
「奥様……もしかして、ご懐妊では」
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「それは無理だね」
私の寝顔に優しくキスを落としながら、彼は勝ち誇ったように告げた。
「彼女はクタクタになって、さっき眠ってしまったから」
私が去った日
けれど最後に彼が選んだのは、私ではなく、彼の初恋の女性だった。
夫は、私の心を深く傷つけただけではない。あの女が私の大切なジュエリーデザインを盗むことを許し、さらには実の息子までも操って、私を「怪物」だと思わせた。
嘘で塗り固められた結婚生活の中で、私は少しずつ自分を失っていった。
息が詰まるような日々。愛されていると思い込んでいた時間。すべてが偽りだった。
けれど、彼らはひとつだけ間違えた。
私を、もう戻れないところまで追い詰めたこと。
私が去ると決めたあの日。
私は、最低な夫も、母親への感謝を忘れた息子も、そして彼らによって壊された過去の自分も、すべて置き去りにした。
親友の支え。そして、私の本当の価値を見抜き、才能を認めてくれたある若き実業家との出会い。
その温かな手によって、私はもう一度、自分自身を取り戻した。
失った誇りを取り戻し、眠っていた才能を開花させ、世界へ羽ばたくデザイナーとして新たな人生を歩み始めた。
今、私の作品は世界の舞台で輝いている。
一方で、かつて私を捨てた男は、跪いて許しを乞う。
「戻ってきてくれ」と。
けれど、もう遅い。
私が去ったあの日こそが、私が本当の自分を取り戻した日。
もう二度と、過去には戻らない。
彼女はもう、疲れた
十年ものあいだ、私は幽鬼のようにこの豪邸に閉じ込められ、身を削って家計を支え、彼の吐くその場しのぎの嘘を飲み込み、彼が一片の心も寄せたことのない結婚生活を守り続けてきた。彼は確信していたはずだ、私が逃げ出せるはずがないと。母の癌治療費は、すべて彼の施しで成り立っていたのだから。
それは間違いじゃない。たしかに、金は必要だった。
でも――私はもう、残りの人生すべてを、彼が誰かを愛するのを見て過ごすために生きたくはない。
離婚届は、もうテーブルの上にある。今度こそ、私は懇願しない。縋りついたりもしない。
私が選ぶのは、私自身だ。
全能令嬢の帰還、家族が倒産?
父は冤罪で獄中にあり、母は病に伏せっている。
六人の兄たちも、ある者は身体に障がいを負い、ある者は無気力に沈んでいた。
そんな折、家に潜り込んでいた偽令嬢は状況を見るや否や一家を見捨てて姿を消し、さらに屋敷までも奪い取ろうとしていた。
世間は夏川家を「落ち目の負け犬」と嘲笑い、皆がこぞって踏みにじる。
紅蓮が静かに一声を発すれば、暗部より無数の異能の士たちが姿を現し、形勢は一瞬にして逆転する。
父は無実のまま出所し、母は健康を取り戻し、廃人同然だった長兄は再び己の足で歩き出し、残る五人の兄たちもまた紅蓮の導きによって各々の才覚を花開かせ、やがて各界を牽引する大物へと成り上がっていく。
しかし、そんな彼女を指さして嘲る者がいる。
「夏川紅蓮は地味で野暮ったい田舎者だ」と。
何を隠そう、彼女は無数の隠された顔を持つ存在。
神医の令嬢も彼女なら、国画の大家も彼女。
伝説のハッカーも彼女なら、正体不明の謎の女優も彼女。
そして、暗部を統べる首領さえも——彼女なのだ。
そんな折、頂点に君臨する名門の若様が、彼女をそっと腕のなかに抱き寄せた。
「誰が彼女を田舎くさい地味女だと言った? 彼女こそ、俺・諏訪淳行の婚約者だ」
紅蓮が流し目をひとつ送る。
「婚約、破棄しなくていいの?」
「しない」
彼が長いあいだ追い求めてきた決して手の届かない高嶺の花こそが、いま腕のなかにいる婚約者なのだ。
解消などありえない——この婚約は、死んでも解消しない。
地獄から帰った私を、頂点の男が甘やかすなんて聞いてない
十八年間、空気のように扱われ、誘拐事件の際にも迷わず切り捨てられた私。
「強さ」という名の言い訳で死の淵に追いやられた私は、地獄の果てで生き延びた。
そして今、全国民が見守る超人気リアリティショーの舞台に、私は「かつての復讐者」として舞い戻る。
家族が偽りの善人面を振りまく中、彼らの仮面を一枚ずつ剥ぎ取っていく最高のショウタイム。
そんな私を面白がり、盤面をひっくり返す男がいた。冷徹なるF1チャンピオン。彼だけは、私の冷酷な正義を肯定し、その権力で私を囲い込む。
さあ、復讐劇の始まりよ。私を「可哀想な犠牲者」だと思っていた報い、その身に刻ませてあげる。
偽りの仮面
彼は、私との間に子供を授かることさえ望んではいない。
そればかりか、外では他の女性と戯れ、私の心を深く傷つける。
逃げ出したい。強く、自立した女性になりたい。
そう願う私を、しかし、彼が手放すつもりは毛頭ないようだった……。
妊娠を隠して離婚します
九条雅人は彼女の顎を荒々しく掴み、低く唸った。
絢香の頬は屈辱と興奮で真紅に染まったが、その声にはまだ意地が残っていた。「あなたこそ、私に執着しているだけじゃないの?」
雅人は冷酷に鼻で笑った。
「離婚してからどれほど経った? それでもう俺の『ルール』を忘れたか。お前の身体は、今でも俺をこんなによく覚えているくせに。……ほら、咥えろ」
熱を帯び、恐ろしいほどに猛り狂った彼の太いものが、絢香の顔を容赦なく叩いた。
雅人は冷たく笑う。
「俺から離れられるなんて夢にも思うな、絢香。お前は俺だけのものだ」
——
3年間の契約結婚の間、霧島絢香は「雅人が冷徹な人間だから、その心を溶かすことができないのだ」と思い込んでいた。
しかし、彼が桜井陽菜の妊婦健診に付き添い、彼女が少しでも不快な思いをしないよう、見たこともないほどの優しさと甘やかし方で接している姿を目撃したとき、絢香はついに悟った。彼は人を愛せないのではない。ただ、自分を愛していなかっただけなのだと。
絢香は静かに離婚届にサインし、自身の「妊娠診断書」を胸に抱いて彼の元を去った。
だが、絢香が完全に姿を消した瞬間、雅人は狂わんばかりになり、街中を血眼になって彼女を捜し回った。
ついに再会を果たしたとき、雅人の瞳は血走り、その声は掠れていた。
「絢香、俺が悪かった……頼む、俺の元に戻ってきてくれ」













