私を誘拐した人が私の夫になった

私を誘拐した人が私の夫になった

大宮西幸 · 完結 · 18.6k 文字

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紹介

婚約者はソフィア・ローズという初恋の人のコンサートに駆けつけるため、私を一人で郊外のガソリンスタンドに置き去りにした。

その結果、私はチンピラの集団に廃倉庫へ引きずり込まれて輪姦され、致死性の薬物まで注射された。

婚約者は私の哀願を無視し、嫌悪感を露わにこう言った。「汚された中古品なんかいらない。俺の世界から消えろ」

彼は幸せそうな顔のソフィアを抱き寄せて立ち去り、ほどなく彼女と結婚した。

絶望の淵にいた私を救ってくれたのは、マフィアのドン、アレクサンダー・ケインだった。

彼は献身的に私を看病し、励まし続け、最高の医師を呼んで血液浄化手術を受けさせてくれた。

たとえ私の健康が完全には回復しなくても、一生守ると誓ってくれた。

彼の妻となって五年、まるでおとぎ話のような日々だった。

――この夜、書斎で部下と電話している彼の声を聞くまでは。

チャプター 1

エヴリン視点

 婚約者は初恋のソフィア・ローズのコンサートに間に合わせるため、私を郊外のガソリンスタンドに置き去りにした。

 そのせいで私は不良どもに廃倉庫へ引きずり込まれ、輪姦され、挙げ句の果てに致死性のドラッグまで打たれた。

 泣いて縋りつく私を、婚約者は冷えた目で見下ろして言った。

「壊れた女なんかいらない。俺の世界から消えろ」

 幸せそうな顔のソフィアを抱き寄せたまま背を向け、ほどなくして彼は彼女と結婚した。

 絶望の底で私を拾い上げたのが、マフィアのボス、アレクサンダー・ケインだった。

 彼は献身的に面倒を見てくれた。言葉で支え、腕のいい医者を揃え、血液浄化手術まで受けさせてくれた。

 たとえ私が健康を取り戻せなくても、彼は一生涯私を守ると誓ってくれた。

 彼の妻になって五年。暮らしはおとぎ話みたいに甘かった。

 ――あの夜、書斎から聞こえてくる声までは。

「……つまり、あのガソリンスタンドでエヴリンに手を出させたのは、ボスの指示だったんですか」

「そうだ。でなきゃ、ソフィアが憧れの男と結婚できるか」

「ボス、でも……もしエヴリンが、ボスがソフィアを救うために彼女と結婚したって知ったら……恨まれますよ」

「知るわけがない。ソフィアは希少な血液病を患っている。継続的な輸血が必要になる。ケイン家のコネを総動員して調べたが、シカゴで完全に適合して拒絶反応ゼロなのはエヴリンだけだ」

「……この借りは、俺が一生かけて返す。だがソフィアが回復するまで、エヴリンには伏せる」

 救いだと思っていたものは、彼が丹念に組んだ罠だった。

 なら――私の手で、全部壊してやる。

 書斎の扉は、少しだけ開いていた。

 私はコーヒーを載せたトレイを持って廊下に立っていた。港の銃撃沙汰を片づけて帰ってきた彼に、夜食を届けるつもりだったのに。

 アレクサンダーの低い声が、葉巻の匂いと一緒に流れてくる。

 足が止まった。

「エヴリンもついてねえよな。普通は血液浄化一回で半月は寝込む。ボス、あの女に五回も耐えさせたんだぜ」電話口の副官、マルコの声には、珍しく同情が混じっていた。

 手の中でコーヒーカップがガタガタと震える。

「ソフィアの両親は、昔、俺を逃がすために盾になって死んだ。モレッティ家に蜂の巣にされた」アレクサンダーの声は、怖いほど冷静だった。「ソフィアを生かすためなら五回だろうが五十回だろうがやる」

「でも……本気でボスを愛してる女を、そんなふうに騙して、良心が痛まないんですか」

「騙す?」鼻で笑う気配。「俺が手を出さなきゃ、エヴリンはあのボロ倉庫でとっくに死んでた。ケイン家の庇護、豪邸に車に宝石……十分だろ」

「それに、あいつは血液の凝固力が強い。毎月ちょっと抜くくらい、なんでもねえ」

 つるり、と。

 手からカップが滑り落ち、ペルシャ絨毯に鈍い音を立てた。

 熱い液体が足首に跳ねたのに、痛みは来なかった。

 痛いのは、そこじゃない。

 血液の凝固力が強いから、好きに血を抜いていい?

 五年ずっと、毎月の「検査の採血」。たった「ちょっと抜く」――その一言で片づけられてきた?

 私はただの、動く血液バンクだった。

 膝から力が抜け、壁に背を預けたままずるずると座り込む。

 涙が勝手に落ちた。しょっぱくて、苦い。

 アレクサンダーは言っていた。体質が特殊で毒が抜けにくい、だから定期的に採血してモニタリングしなきゃいけない、と。

 私は馬鹿みたいに信じた。言われるままに五回も血漿交換まで受けた。

 その血は全部、ソフィアの命を繋ぐために使われていた。

 もっと恐ろしいのは――

 あの夜の悪夢そのものが、彼の仕込みだったこと。

 通りすがりのマフィアのボスに偶然助けられたんじゃない。最初から最後まで、彼が回した脚本。

 私を壊して、救世主になる。

 感謝で縋りつかせ、愛させ、進んで血を差し出す袋にする。

 窓の外は真夏の夜なのに、私は震えが止まらなかった。

 書斎で革張りの椅子がきしむ。アレクサンダーが出てくる。

 私はよろめきながら立ち上がり、ふらふらと主寝室のバスルームへ逃げ込んだ。

 蛇口を最大までひねる。ざあざあと落ちる水音で、喉の奥に押し込めた嗚咽を消す。

「エヴリン?」扉の向こうで、アレクサンダーがノックした。「急にシャワーか? コーヒーは?」

 息を何度か整えてから答える。

「こぼしたの。体にかかったから……」

「そうか」声がふっと柔らかくなる。「火傷してないか? 手伝おうか」

「大丈夫。すぐ出る」

 冷たい水が肌を打つ。頭を無理やり冷やせ、と自分に言い聞かせる。

 腕の内側に視線を落とす。細かな針跡がびっしり並んでいる。何度も何度も、虫に刺されたみたいに。塞がったものもあれば、薄い青紫が残るものもある。

 五年。数え切れない採血。

 そのたび彼は私の手を握り、優しく囁いた。

「怖がらなくていい。俺がいる」

 あの言葉も、視線も、愛おしそうに見えた瞬間も。

 全部、演技。

 扉を開けて出ると、アレクサンダーは温かいミルクを手に、ドア枠にもたれていた。

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