紹介
小野寺礼臣は私を壁際へと追い詰め、整形を経て完璧な美貌へと生まれ変わった私の輪郭を、その長い指先でなぞる。耳元に吹きかけられる熱い吐息と、私を射抜くような色気のある視線。
私は心臓が激しく脈打つのを感じながら、慌てて彼の胸を押し返した。
「忘れないで、私たちは偽りの婚約者同士。小野寺允樹がまだ下にいるのよ!」
しかし、彼は低く冷ややかな笑みを漏らし、私の唇を容赦なく奪う。
「――なら、その方がスリルがあっていい。あいつはあの偽物の令嬢のために、お前の顔を焼き、東南アジアの闇市へ売り飛ばした。今、お前が別の顔を手に入れて生還した目的は、あいつを跪かせ、お前に『おば様』と呼ばせるためだろう?」
鏡の中に映る、完全に別人となった絶世の美女を見つめ、私は冷酷に微笑んだ。
その通りよ、小野寺允樹。そして夏川清美。
あの日、お前たちが私を突き落とした地獄。今度は、私がこの手でお前たちのために幕を開けてあげる――。
チャプター 1
赤い木の扉の向こうで、私は汐見奈緒が手ずからデザインしてくれたウェディングドレスをまとい、心を込めて選んだブーケを抱えていた。胸の奥が、落ち着かない。
夢の中みたいで、まだ信じきれない。私が小野寺允樹と――本当に結婚するんだ。
十年。出会った頃の彼は、まだ十代の陰のある少年だった。自信がなくて、臆病で、口数も少ない。どこか自分に重なって見えて、私は少しずつ距離を詰めた。冷え切った者同士が、互いの体温で温まろうとするみたいに。
いま目の前にあるのは、百合で飾られた彫り込みのある大扉。私は口元にいちばん綺麗な弧を浮かべ、扉が開くのを待つ。これから一歩ずつ、幸せへ歩いていく。そうすれば、ようやく「家」ができる。
結婚行進曲が鳴り始めた。深呼吸して、心の中でカウントダウンを刻む。
その瞬間、扉が乱暴に開いた。
現れたのは、焦りで顔を歪めた小野寺允樹。手にはスマホ。私の脇をすり抜けるように、急ぎ足で走り去ろうとする。
「允樹、どこ行くの?」
考えるより先に、私は彼の裾をつかんでいた。
胸の奥で、不吉なものがうごめく。彼はこれまでも何度も私を置いて行った。けれど今日は、私たちの結婚式だ。だから今回は――駄目だ。
「葉月、清美の容体がよくない。あの子はお前の妹でもあるだろ。もし何かあったら、俺たちは一生悔いる」
焦りを隠しきれないまま、眉を寄せ、声を落として続ける。
「だから……頼む。これが最後だ。ちゃんと話をつけてくる」
スマホの向こうから、聞き慣れた声がした。夏川清美。甘えるように、けれどどこか芝居がかった声。
『允樹兄さん、今日はお兄さんとお姉ちゃんが結婚する日でしょ。私のことはいいから……お姉ちゃんに恨まれたくないの。私がいなくなれば、二人が幸せになれるなら……私、いいよ』
「清美、今行く。早まるな」
允樹はそう優しく言って、私を一度だけ深く見た。次の瞬間、背を向けて走り出す。
止めようとして、指先が彼の指に触れた。けれど体温は一瞬で消えた。
振り返りもしない。残されたのは、立ち尽くす私だけ。どうしていいかわからず、手足が宙に浮く。
親友の汐見奈緒が、真っ先に駆け寄ってきた。
「葉月、大丈夫?」
目が熱い。涙が溜まっていく。私は掌を爪で強く掻きむしった。ネイルが皮膚に食い込み、痛みが冷静さをつなぎ止める。
大丈夫なわけがない。今日は結婚式だ。いちばん大事な場面で、彼は私を置いて行った。清美の元へ――名目上の妹、夏川清美の元へ。
「どういうことだ? 允樹は何で急にいなくなったんだ」
小野寺允樹の両親が慌てて来て、私を詰問する。
私は静かに言った。
「もっと大事な用があるんでしょう。式は中止にしてください。今日は親戚友人へのおもてなしということで」
私と允樹の結婚は、恋の結末だけじゃない。夏川家と小野寺家の結びつき――両家の体面を繋ぐ証でもある。
私はかつて「家同士の縁談」なんて鼻で笑っていた。十年分の想いは、誰にも比べられないと信じていた。私たちの間には純粋な愛がある、と。
けれど允樹が背を向けた、その一秒で気づいた。
――それは、私が自分に見せていた夢だ。
愛なら、今日、彼は去らない。
愛があるなら、これまで十回、百回と繰り返された「妹を選ぶ」瞬間で、彼は一度でも私を選んだはずだ。
何度も捨てられてきた。だからもう、今回は待たない。
「馬鹿なことを言うな!」
小野寺景山が眉を吊り上げ、冷たい声で言う。
「この婚礼にどれだけ準備したと思ってる。親戚も友人も皆来てるんだぞ。中止だなんて――それに、祖父はまだ入院中だ。知ったらどうする」
「そうよ、続けましょう」
允樹の母、氷上雅子が慌てて笑顔を作る。
「ここまで来たんだもの。儀式が少し欠けたって、結婚は結婚よ」
新郎のいない結婚式が、どこにある。式の最中ですら私を捨て、清美を選ぶ男に、なぜ私は嫁ぐ必要がある。
「困るなら、私が皆さんに説明します」
そう微笑み、重いドレスの裾を持ち上げて、私は赤い絨毯を歩き出した。自分で整えた舞台へ。
景山が警告の目を向けてきた。彼は先に司会者からマイクを奪い、余裕の笑みを浮かべて告げる。
「皆さま、申し訳ありません。緊急の用事で允樹が少し席を外します。式は後ほど改めて。お食事は予定通りお楽しみください。至らぬ点もあるかと思いますが、どうかご容赦を」
それから私に微笑みかける。
「葉月はいつも聞き分けのいい子だ。允樹のこと、理解できるよな? 安心しなさい、必ずもっと盛大な式をやり直させる」
結婚式? もういらない。
「お義父さま、允樹の代わりに決められることじゃありません」
下には両家の親族友人、それに取引先もいる。言うべきじゃない言葉もある。けれど、黙って耐えるなんてできない。
雅子が腕をつかんで引き留める。
「葉月、允樹が悪いの。きっと大事な事情があったのよ。後で私たちが叱るから。ほら、席に着いて少し食べなさい。朝から大変だったでしょう」
……いい。彼らが守りたい体面には、もう一度だけ付き合ってやる。祖父のためなら、それだけは価値がある。
私は微笑み、頷いた。
「お食事は結構です。失礼します。先に帰ります」
長い裾を抱え、振り返らずに会場を後にした。
「葉月、待って!」
汐見奈緒が追いかけてくる。
「どこ行くの?」
ホテルを出た瞬間、空を見上げた。鉛色の雲。太陽は一筋も見えない。今にも雨が落ちそうで――私の心そのものだった。
「……ちょっと、一人になりたい」
奈緒が腕をつかむ。目に心配が溢れている。
「そんな顔しないで。何かあったら言ってよ。小野寺允樹のクソ野郎、結婚式で花嫁放置とか……帰ってきたら私が許さない」
私は小さく首を振った。
「……もう、いい」
「え?」
「いいの。結婚したくないなら、させてあげる。今日の式はもう終わった。奈緒、一人にして。お願い」
ちょうどホテル前にタクシーが停まっていた。手を上げると、車が寄ってくる。私は奈緒の手を振りほどき、そのまま一人で乗り込んだ。
ドレスの裾が大きすぎてドアに挟まる。眉をひそめて引っ張った瞬間、縫い込んだ丸い真珠がぽろぽろと落ちた。
私がデザイン画を見ながら、奈緒に足してもらった小さなこだわり。真珠が好きだった。控えめで、目立たない。
――最初から間違っていたのかもしれない。私が好きなものは、私に似合うものじゃない。きらびやかなものは、結局長くは続かない。
頭の中は真っ白で、涙すら出ない。幼なじみみたいに寄り添って、ついに結ばれる――そんな綺麗な結末を信じていたのに。気づけば全部、色のついた泡みたいに、触れる前に弾けていた。笑い話だ。
ぼんやりしたまま、私は行き先を告げていないことにも気づかなかった。
けれどタクシーは走り続け、窓の外の景色はどんどん寂れていった。
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家族の縁を切った日、兄たちはすべてを失った
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四兄:「どうしてこんなにつまらない脚本しか上がってこない?」――彼女がもう執筆しないからだ。
五兄:「この義肢は、なぜこんなに出来が悪いんだ?」――彼女が製作をやめたからだ。
六兄:「なぜチームが負けた?」――彼女が脱退したからだ。
兄たちは地に膝をついて許しを請うた。「戻ってきてくれ。俺たちこそが、血を分けた本当の家族じゃないか」
彼女は絶縁状を兄たちの顔に叩きつけ、冷ややかに笑った。
「車が壁にぶつかってから、ようやくハンドルを切ることを覚えたのね。株が上がってから、ようやく買うことを覚え、罪を犯して判決が下ってから、ようやく悔い改めることを覚えた。残念だけど、私は――許さない!」
私が囲っている億万長者
彼は息を呑むほど美しく、落ちぶれていた。夫の裏切りがもたらした傷が完全に癒えるまで、彼をそばに置いておくつもりだった。
お金で彼の付き添いを買い、すべてのルールを私が決め、すべてを完全に掌握しているつもりだった。
けれど、私の隣で横たわるこの男の正体は、彼が語ったものとはまるで違っていた。
魅惑的な笑顔と抗いがたい容姿の下に隠されていたのは、仇敵から身を隠す億万長者の素顔だった。
今や彼は、私の生活に、私のベッドに、そして私の心に――完全に絡みついている。
身を引くことは、彼のそばにいることよりも、もっと危険かもしれない。
天才デザイナーの私と三つ子を、大富豪は取り戻したい
屈辱に塗れ、身一つで夜逃げするように国を去った私は、その後に彼の「三つ子」を身ごもっていることに気づく。
――6年後。
私は世界に名を馳せる天才デザイナーとなり、奪われたすべてを取り戻すために帰国した。
しかし、悪辣な嘘に目を曇らされた知暁は、私を激しく憎み、「仇敵」として冷酷に立ちはだかる。
やがてすべての真実が白日の下に晒された時、彼は己の過ちに絶望し、プライドを捨てて泣きながら私に許しを乞うた。
だが、傷つけられた私の心はもう戻らない。私は彼の懇願を、冷徹に突き放した。
――もう遅いわ。あなたを一生、許すつもりはない。
そう誓ったはずの私だったが、予想だにしない誤算があった。
私たちが産んだ愛らしい三つ子たちが、今さら戻りたいと泣く父親の、まさかの最強の味方として動き出したのだから。
令嬢は離婚を機に大富豪への道を歩む
「瀬央千弥、離婚して」
周りの連中はこぞって彼女を嘲笑った。あの瀬央様がいなくなったら、御影星奈は惨めな人生を送るに決まっていると。
ところが実際は――
財閥の名家がこぞって彼女を賓客として招き入れ、トップ俳優や女優が熱狂的なファンに。さらに四人の、並々ならぬ経歴を持つ兄弟子たちまで現れて……。
実家の御影家は後悔し、養女を追い出してまで彼女を迎え入れようとする。
そして元夫も、悔恨の表情で彼女を見つめ、「許してくれ」と懇願してきた。
御影星奈は少し眉を上げ、冷笑いを浮かべて言った。
「今の私に、あなたたちが手が届くと思う?」
――もう、私とあなたたちは釣り合わないのよ!
知る前の夜
二日後、インターン先に足を踏み入れると、彼が社長のデスクの向こうに座っていた。
あの夜、私を喘がせた男にコーヒーを運ぶ日々。なのに彼は、まるで一線を越えたのが私のほうだと言わんばかりの顔をする。
***
始まりは賭けだった。終わりは、彼女が決して望んではならないただ一人の男だった。
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もう二度と会うことはない――そう思っていた。
ところが初出勤の日、オフィスに入った瞬間――
彼が新しい上司だと知る。
最高経営責任者、その人だったのだ。
たった一夜、無謀に身体を重ねた男の下で働かなければならない。ヘルメス・グランデは権力者で、冷たく、そして絶対に手を出してはいけない存在。けれど二人の間に張りつめた緊張は、どうしても消えてくれない。
距離が縮まるほど、彼女の心と、二人の秘密を守り抜くことは難しくなっていく。













