子が別の女性を「ママ」と呼ぶ

子が別の女性を「ママ」と呼ぶ

渡り雨 · 完結 · 16.4k 文字

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紹介

家族に見捨てられた「隠し子」だった彼が、裏社会の王へと登り詰めるまで、私は血みどろの道を共に歩んできた。

路上でリンチに遭っていた彼を救い出したのは私だ。実の父親に半殺しにされた時、彼の盾となって銃弾を浴びたのも私だ。私たちはどん底から這い上がり、無数の暗殺をくぐり抜け、誰もが震え上がるほどのシマを共に築き上げた。

私たちは永遠に、肩を並べて生きていくのだと信じていた。

私が命がけで子供を産み落としたあの日、おくるみの中に残されていたのは、札束だけだった。

茫然として「子供はどこ?」と問う私から、彼は目を逸らした。すると、彼の継母が部屋から出てきた。私の息子を抱きかかえ、「母親になれない私への慰めよ」と笑いながら。彼は、私の子供を別の女に差し出していたのだ。

私の知らないところで、彼らはとうの昔に肌を重ねていたのだ。

私はその札束を彼の顔に叩きつけた。それからの6年間、私はあらゆる手段を使って子供を取り戻そうと足掻き続けた。

先週、息子が弱小組織に誘拐された。私は銃を手に、単身で廃埠頭へと乗り込んだ。耳元を銃弾がかすめ、砕け散ったコンクリートの破片が顔を打つ中、最奥部まで血路を切り開き、息子を救い出した。

だが、病院へ送り届けた後、息子は私を突き飛ばし、泣き叫んだ。
「どうして来たんだよ!あんたさえいなければ、お義母さんはとっくに僕を受け入れてくれてたのに!僕たちは本当の家族になれたのに!あっちへ行け!早く消えろよ!」

私は、その小さな顔をただじっと、長いこと見つめていた。

そして最後に、こう口にした。
「最後にもう一度だけ『お母さん』と呼んで。そうしたら、二度とあなたを奪いには来ないから」

チャプター 1

 翼がぱちぱちと瞬きをしながら、こちらを見上げていた。

「一回呼べば……ほんとに、由香と取り合わない?」

 私は頷く。

「嘘じゃないよね?」

「つかない」

「……ママ」

 ようやく口にしたその声は、鈴みたいに澄んでいて――まるで取引の決済みたいだった。

 腕の傷はまだ血を噴いている。包帯なんてとっくに染み切って、肘からぽた、ぽたと床へ落ちる。傷口を押さえ込みながら、私は答えた。

「うん」

「じゃあ、これからほんとに、もう僕のこと取らない?」

 翼の瞳は期待でいっぱいだった。由香のそばに安心していられる理由が、ほしいのだ。

 六歳の子ども。淳一の若い頃によく似た顔。

 あの頃の淳一は、まだ何者でもなかった。父親に蹴り倒され、顔じゅう血だらけで、地面に膝をついて「チャンスをくれ」と懇願していた。

 それでも私たちは、そこから這い上がった。淳一は言ったのだ。いちばん高い場所に並んで立つ、と。誰からも見下されない場所へ行く、と。

 今、淳一はそこに立っている。

 なのに私は――自分の子どもひとり、守れない。

「取らないよ」

 笑ってみせる。唇だけで。

「二度と。もう、絶対に」

 翼はそれを聞くなり「退院する」と言い出した。看護師に包帯を巻き直してもらい、私は翼を抱いて病院を出る。

 屋敷へ戻ると、淳一はもう全員を呼び戻していた。執事、介助係、護衛――玄関先にずらりと並び、私が翼を抱えて現れた瞬間、顔に驚きが走る。私が自分で連れて帰るとは、思っていなかったのだろう。

 翼が腕の中でじたばたする。手を離すと、翼はすぐ由香へ駆け寄り、彼女の胸に飛び込んで、澄んだ声で叫んだ。

「ママ!」

 淳一が眉をひそめる。由香は翼を抱き上げて、どこも怪我がないことを確かめると、顔を上げて私を見た。口元には笑み。

「私とこの子の子どもでしょ。あなたに奪う権利なんてあるの?」

 執事が一歩前に出る。

「教母、勝手に坊っちゃんをお連れになるなんて! 皆さま心配しておりました!」

 介助係のひとりが続けた。

「由香さまこそ坊っちゃんのお母さまです。お世話は彼女に任せるべきでしょう。あなたは毎日外で撃っただの殺っただの……子どもの世話なんて分かるんですか?」

「そうだ! 翼さまに何かあったら、責任取れるのか!」

 興奮した誰かが数歩詰め寄る。殴りかかってきそうな勢い。

 淳一が氷みたいな声で言った。

「――そこまでだ」

 空気がぴたりと止まる。全員、口を閉じた。

 由香は顔を強張らせ、翼を抱えたまま踵を返して階段へ向かう。

 淳一が私の前まで来て、腕を掴んだ。傷に触れられて、思わず喉の奥で呻く。それでも彼は手を離さない。乱暴に引いて、二階へ。部屋へ。扉を閉める。

 振り返った淳一の声音は、苛立ちでざらついていた。

「今日、お前が埠頭に行ったせいで、あいつまで巻き込まれかけたの分かってるのか? 連中に身元が割れたら、あいつが無事でいられると思うか」

 私はソファに腰を落とし、包帯の上からじわりと滲む赤を見下ろした。

「翼が誘拐されたの」

「誘拐されたって、お前が助けに行く番じゃない!」声が跳ね上がる。「あいつの仕事だ! お前が口出すな!」

 顔を上げる。

 この顔は、見慣れすぎるほど見慣れている。

 殴られて血を吐いた淳一を、私は支えた。弾だって、身を投げ出して遮った。彼は言ったのだ――私を、この世界でいちばん権力のある女にすると。自分と一緒に、いちばん高い場所へ立たせると。

 なのに今、彼は私を見ている。

 まるで、知らない誰かを見るみたいに。

「お前、自分が何者だと思ってる?」淳一は続ける。「皆の目には、あいつが母親だ。お前があんな真似をすれば、あいつが恥をかくだけだろう!」

 私はずっと彼を見ていた。

 見れば見るほど、知らない人間になっていく。

「……疲れた」

 声は、驚くほど凪いでいた。

「行かせて。教母の席は――あの子に譲る」

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誰も想像すらできないだろう。この私が、数々の名門貴族や権力者たちが大金を積んで列をなし、首を長くして診察を待つ伝説の名医——【暁】だなんて。

私が時価総額数十億ドルのファッション帝国を裏で支配していることも、ウォール街の株価をたった一回の取引で大暴落させられることも、誰も知らない。私はその正体を、この平凡で冴えない素顔の裏にすべて隠し持っていた。

さらに劇的なことに、私の実の親はこの街で頂点に君臨する最高峰の大富豪だった。

そして私の婚約者——すでに顔を合わせているにもかかわらず、その正体を知らなかったあの男こそ、この街の誰もが名前を聞くだけで震え上がる、ビジネス界の冷酷な死神:梅原晴琉だったのだ。

ある日、彼は私の手を執り、ゆっくりと距離を詰めると、耳元で低く囁いた。

「俺のこの鼓動、今なら感じられるか?」

私は至って真面目な顔で彼の胸に手を当て、大真面目にこう返した。

「心拍数は確かに少し高めですが、非常に健康的です。心配ありませんよ」

彼は一瞬呆気にとられ、それからふっと吹き出した。その瞬間の彼の笑顔に、私の心臓もなぜかドクンと跳ねた。それは、自分自身でも説明のつかない初めての衝動だった。

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