隠れた恋人を三年続けた私が、ついに決断する日

隠れた恋人を三年続けた私が、ついに決断する日

渡り雨 · 完結 · 32.1k 文字

579
トレンド
1.9k
閲覧数
3
追加済み
本棚に追加
読み始める
共有:facebooktwitterpinterestwhatsappreddit

紹介

椎名湊の秘密の恋人を三年間続けて、私は彼の心の中で特別な存在だと思い込んでいた。

あの朝まで、彼は私が破れたストッキングを拾い集める姿を眺めながら、事務的な口調で警告した。

「果歩が俺と付き合うことになったから、今後会社では俺とあまり話さないでくれ。果歩は純粋で、とても繊細なんだ。君を見かけたら嫉妬して、彼女を不快にさせてしまうかもしれない」

私は泣きもせず騒ぎもせず、振り返ることなく東京の冬雨の中に消えた。

その後、椎名グループの御曹司が狂ったように神南湾の海岸線を隈なく探し回っていたと聞いた。

でも、もう誰かの「友達」になるつもりはなかった。

チャプター 1

 目を開けると、身体中がバラバラになりそうなほどの倦怠感に襲われた。

 三年が経っても、椎名湊のあの強引な求め方には、どうしても慣れることができない。

 寝返りを打つと、隣はすでに空だった。

 湊は姿見の前に立っていた。朝の光が彼の裸の背中に落ち、冷淡で美しい筋肉の陰影を浮き立たせている。どこか人を寄せ付けない空気を纏いながら、彼は気だるげにカフスボタンを留めていた。まだ眠気が残っているのか、瞼は半分ほど落ちている。

「起きるの早すぎないか?」

 朝特有の、少し掠れた声だった。

 腰の鈍痛に眉をひそめながら、私は床に落ちているストッキングを拾おうと身を屈めた。昨夜、彼の手によって無惨に引き裂かれた黒い糸の塊だ。

 湊が振り返り、私が着替えようとしていたコットンの下着を指先で摘み上げた。口元に、薄い嘲笑のようなものが浮かぶ。

「結衣、お前はいつもこういう地味なやつばかりだな。たまにはもっと色気のあるものにしたらどうだ?」

 私は下着を受け取った。

「じゃあ次はブランドを変えてみる。どんなのが好きなの——」

 湊は私の言葉を遮った。

「いや、いい。あとで玄関のパスワードを変えておくから、もうここには来るな」

 私はその場で凍りついた。

 椎名湊とこういう関係を続けて三年になる。

 最初はたまに。そのうち残業がない日は、ほとんどこのマンションの半同棲人のような生活を送っていた。

 彼のシャツにアイロンをかけ、しじみ汁を作り、週末はソファで映画を見ながらスナック菓子を食べる。まるで本当の恋人のように夜を過ごしてきた。

 時間が経つにつれ、私は錯覚すら抱いていた。言葉にしなくても、これは「付き合っている」ことなのだと。私たちには未来があるのだと。

 それなのに今、彼は「もう来るな」と言い放った。

 私は反射的に尋ねていた。

「実家にお見合いでもセッティングされたの? それとも最近仕事が忙しいから? 私なら——」

 彼はアイランドキッチンに置いてあったスマホを手に取り、画面を点灯させて私の目の前に突き出した。

「違う。果歩がOKしたんだ」

 その名前が誰を指すのか理解するのに、数秒かかった。

 宮下果歩。会社に入ってきたばかりの新人。二十三歳。控えめで上品な笑顔を見せる子だ。

 ここ数年、湊の周りには女が絶えなかったが、どれも長続きしなかった。今回もただの気まぐれだと思っていた。

 喉が渇いて張り付くようだ。

「本気なの?」

 湊は笑った。

「本気だ」

 画面にはLINEのトークルームが表示されていた。相手からの短いメッセージ。

「椎名さんとなら、私、喜んで」

 湊はスマホを引っ込め、鏡に向かってネクタイを整えながら、事務的な口調で私に釘を刺した。

「果歩は今までの女とは違う。すごく純粋で、感受性が強いんだ」

「結衣、これからは会社でもプライベートでも、極力俺に話しかけるな。距離を置け。果歩が見て嫉妬したり、機嫌を損ねたりしたら困る」

 窓の外の陽光はあんなに明るいのに、全身が芯から冷えていくのを感じた。

 彼にとって私の存在は、彼の「純粋な恋」に対する汚点でしかなかったのだ。

「わかった」

 数秒後、自分の声とは思えないほど冷静な声が出た。

「じゃあ、荷物をまとめてすぐ出て行く」

「そんなに急がなくてもいい」湊は腕時計に目を落とした。「賃貸の更新、もうすぐだろ? 新しい部屋が見つかるまで数日くらいならいてもいいぞ」

 恥辱が平手打ちのように頬を張った。私は目を閉じた。

「いいえ、今日出て行く」

 何に焦っているのか自分でもわからなかった。湊の言う通り、東京に他に頼れる場所なんてない。

 けれど、一刻も早くここから逃げ出したかった。大勢の人に見つめられて裸にされているような、一秒一秒が拷問のような気分だった。

 このマンションに、私の荷物は驚くほど少なかった。

 彼の生活の世話をするために買い足した雑貨を除けば、私自身の所有物はリュックサック一つすら満たせなかった。

 この三年間、私が残した痕跡なんて、たったこれだけの重さだったのだ。

 玄関を出ようとした時、湊が私を呼び止めた。

 彼は上半身裸のまま壁に寄りかかり、煙草に火をつけていた。

「結衣、お前ももうすぐ三十だろ。いつまでも一人でいないで、そろそろ身を固めること考えろよ」

 彼は紫煙を吐き出し、淡々と言った。

「これからも、俺たちは一番大事な友達だからな」

 私はその言葉の裏にある意味を理解し、頷いた。

 東京の冬はいつも骨まで染みるような湿った寒さだ。北国のさらっとした寒さとは違い、じっとりして息が詰まる。

 ビルを出ると、空から霙混じりの雨が降ってきた。冷たい湿り気が頬を打つ。

 空を見上げる。さっきまで晴れていた空は、いつの間にかどんよりと曇っていた。湊と一緒に東京に来てから、記憶の中の天気はいつもこんな灰色だった気がする。

 突然、無性に神南湾が恋しくなった。

 故郷の海辺の寒さは凛としていて、一晩中大雪が降った翌朝、ドアを開ければ世界は白一色。清潔で、清々しい。

 東京の雨のように、ねっとりと心に澱むことはない。

 私はリュックを足元に置き、品川駅の路肩に立って実家に電話をかけた。

 母はすぐに出た。驚きと、どこか遠慮がちな声だった。

「結衣?」

 冷たい空気を吸い込み、ツンとする鼻をこすった。

「お母さん、家の味噌汁が飲みたい」

 母の声が弾んだ。

「じゃあお父さんに魚を買ってきてもらおうか? 最近新幹線の切符は取れるのかい——」

「いいの。私、今年はお正月に帰るから」

 母が一瞬言葉を詰まらせ、すぐに歓声に近い声を上げた。

「本当に?」

「うん」

 私は空を仰いだ。涙がこぼれないように。

 雨水が目に入ったのか、視界が滲んで仕方がない。

 睫毛についた雫を瞬きで払い落とし、私は掠れた声で言った。

「お母さん、私、仕事辞めたの。もう実家に帰ろうと思う」

最新チャプター

おすすめ 😍

社長、突然の三つ子ができました!

社長、突然の三つ子ができました!

268k 閲覧数 · 連載中 · キノコ屋
五年前、私は継姉に薬を盛られた。学費に迫られ、私は全てを飲み込んだ。彼の熱い息が耳元に触れ、荒い指先が腿を撫でるたび、震えるような快感が走った。

あの忌まわしい夜から逃げるように去った私だったが、ほどなくして三つ子を妊娠していることに気付く。

五年後、医療界の新星として戻ってきた私は、継母、継姉、実の父へ全ての仕返しを誓う。

その時、彼が現れた。三人の小さな自分そっくりの顔をじっと見つめながら、優しく「パパ」と呼ぶよう子供たちを誘う彼。

ふとシャツのボタンを外し、悪戯っぽく笑って言った――

「どうだい、あの夜の熱をもう一度味わってみないか?」
私が彼を滅ぼした――だから、今度はこの命を捧げて守り抜く

私が彼を滅ぼした――だから、今度はこの命を捧げて守り抜く

4k 閲覧数 · 連載中 · 南宮
愛する人を殺めた罪の重さ、その疼きを私は決して忘れない。
二度目の生を得た私は、かつて私が踏みにじった孤独な王のもとへ再び舞い戻った。
「未来」という名の禁断の知恵を、唯一の嫁入り道具として。
彼に差し出される毒も、背後に潜む暗殺の罠も、すべて私の視界の中にある。
これは彼を導くための道標であり、魂の誓い。
彼を闇へ堕としたかつての私は、もういない。
今、私は彼を守り抜くために全てを焼き払う、最も鋭き刃となる。
地獄の淵で誓った「死」の宣告――裏切り者たちへのレクイエム

地獄の淵で誓った「死」の宣告――裏切り者たちへのレクイエム

3.6k 閲覧数 · 連載中 · 南宮
夫は私を病院へ放り込み、愛人と笑い、娘を飢えさせた。
雪の中で凍え死にかけた私を救ったのは、復讐の代行者。
「選べ。彼らを許すか、地獄へ送るか」 私の答えは決まっている。
膝をついて泣き言を漏らす夫を見下ろしながら、私は冷たく微笑む。
罪を償う時間よ。地獄の火よりも熱い、復讐の始まりを教えるわ。
余命宣告された日、帰宅するとベッドに「引き裂かれた愛人の下着」があった

余命宣告された日、帰宅するとベッドに「引き裂かれた愛人の下着」があった

48k 閲覧数 · 連載中 · 七海
結婚して5年、夫とは円満だと思っていた。
しかし、運命は残酷だ。

病院で「白血病」という絶望的な診断を受けたその日。
震える足で帰宅した私の目に飛び込んできたのは、夫の裏切りの証拠だった。

私たちの神聖な寝室。
そのベッドの上には、無惨に引き裂かれたレースの下着がわざとらしく残されていたのだ。

それは明らかに、夫の愛人からの宣戦布告。
「あなたはもういらない」と嘲笑うかのような、残酷なマウントだった。

命の期限を突きつけられた日に、愛まで失った私。
絶望の淵で、私はある決断を下す。
二度目はない 動じず咲く

二度目はない 動じず咲く

108k 閲覧数 · 完結 · Gloria Fox
結婚式の一ヶ月前、私は一年かけて自らの手で縫い上げたウェディングドレスを燃やした。

婚約者は身ごもった愛人を腕に抱き寄せたままそこに立ち、私を鼻で笑っていた。「俺がいなきゃ、お前なんて何の価値もない」

私はきびすを返し、この街で最も裕福な男の扉を叩いた。「ロック氏、政略結婚にご興味はおありですか? 千億ドル相当の株式――それに加え、未来のビジネス帝国も無料でお付けいたしますわ」
マフィア姫の帰還

マフィア姫の帰還

38k 閲覧数 · 完結 · Tonje Unosen
タリアは何年ものあいだ、母と義理の妹、そして継父と暮らしてきた。だがある日、ついにそこから逃げ出すことに成功する。

ところがその直後、自分にはまだ外に家族がいるのだと知る。そして本当に自分を愛してくれる人たちが大勢いることも――そんなものは今まで感じたことがなかった。少なくとも、彼女の記憶にあるかぎりでは。

タリアは人を信じることを学ばなければならない。新しくできた兄たちにも、ありのままの自分を受け入れてもらわなければならないのだ。
すべてを奪われた令嬢は、やり直しの人生で微笑む

すべてを奪われた令嬢は、やり直しの人生で微笑む

27k 閲覧数 · 連載中 · 夢物語
冷たい土の中、私はゆっくりと息絶えようとしていた。
視界を染めるのは絶望の闇。そして、耳元に届くのは――従妹・原田紀奈の、歪んだ嘲笑。

「お姉ちゃん、恨むなら自分の甘さを恨みなさい」

父の薬をすり替え、母を死に追いやり、兄の事故さえ仕組んだ。すべては、目の前で笑うこの女の仕業だった。
さらに突きつけられる、あまりにも残酷な真実。

「あなたの婚約者はね、あなたが身を削って得たお金で、私への婚約指輪を買ったのよ?」

――すべてを奪われ、絶望の中で命を落とした、はずだった。

しかし、次に目を覚ますと、そこは見覚えのある「19歳の誕生日パーティー」の会場。
前世と同じように、婚約者の七瀬崚介が私に無実の罪を着せ、謝罪を迫っている。

(……でも、もう私は、あの頃の愚かな人形じゃない)

奪われた人生も、向けられた悪意も、そのすべてを覚えている。
今度は、私が奪い返す番。
裏切り者たちに、地獄以上の絶望を――たっぷり利子を付けて、返してあげる。
転生して、家族全員に跪いて懺悔させる

転生して、家族全員に跪いて懺悔させる

321.2k 閲覧数 · 連載中 · 青凪
婚約者が浮気していたなんて、しかもその相手が私の実の妹だったなんて!
婚約者にも妹にも裏切られた私。
さらに悲惨なことに、二人は私の手足を切り落とし、舌を抜き、目の前で体を重ね、そして私を残酷に殺したのです!
骨の髄まで憎い...
しかし幸いなことに、運命の糸が絡み合い、私は蘇ったのです!
二度目の人生、今度は自分のために生き、芸能界の女王になってみせる!
復讐を果たす!
かつて私をいじめ、傷つけた者たちには、十倍の報いを受けさせてやる...
溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

溺愛令嬢の正体は、まさかの霊能界トップ!?

263.2k 閲覧数 · 連載中 · 朝霧祈
原口家に取り違えられた本物のお嬢様・原田麻友は、ようやく本家の原田家に戻された。
──が、彼女は社交界に背を向け、「配信者」として自由気ままに活動を始める。
江城市の上流社会はこぞって彼女の失敗を待ち構えていた。
だが、待てど暮らせど笑い話は聞こえてこない。
代わりに、次々と大物たちが彼女の配信に押しかけてくるのだった。
「マスター、俺の命を救ってくれ!」──某財閥の若社長
「マスター、厄介な女運を断ち切って!」──人気俳優
「マスター、研究所の風水を見てほしい!」──天才科学者
そして、ひときわ怪しい声が囁く。
「……まゆ、俺の嫁だろ? ギュってさせろ。」
視聴者たち:「なんであの人だけ扱いが違うの!?」
原田麻友:「……私も知りたいわ。」
偽物令嬢の逆転劇

偽物令嬢の逆転劇

75.1k 閲覧数 · 連載中 · ひかり
「泥棒女め、今すぐこの家から出て行きなさい!」

実の娘が戻ってきたその日、私はゴミのように家を追われた。
病弱な「お嬢様」の生きる輸血パックとして虐げられ、血を搾り取られ続けてきた日々。用済みになった途端、身に覚えのない盗みの罪を着せられ、婚約者からも冷酷に捨てられた。
元家族たちは、私が「貧しい田舎で野垂れ死ぬ」と信じて疑わなかった。

だが、彼らは何も知らなかったのだ。
私が、世界中のVIPが縋る伝説の名医であることも。
私を迎えに来たオンボロトラックが、実は国家機密級の超高級カスタムマシンであることも。
そして、私の本当の実家が、国さえも動かす世界屈指の超巨大財閥だということも!

「今まで苦労をかけたね、私たちの可愛いお姫様」
生き別れていた超過保護な両親と、各界の頂点に君臨する最強の兄たちに狂おしいほど溺愛されるシンデレラライフが幕を開ける!
一方、大切な「命の恩人」を自ら捨てた元家族たちには、破滅へと向かう絶望の後悔タイムが待ち受けていて!?

虐げられた天才少女が本当の愛と富を掴み取る、逆転ファンタジー、ここに開幕!
監禁から1年、捨てられた令嬢は元婚約者の叔父を娶る

監禁から1年、捨てられた令嬢は元婚約者の叔父を娶る

70.8k 閲覧数 · 連載中 · 鈴木楓花
監禁から1年。ようやく帰宅した今井心晴を待っていたのは、変わり果てた日常だった。
家族は心晴を探そうともせず、あろうことか姉の今井優奈のために盛大な誕生日パーティーを開いていた。
しかも、その横には心晴の元婚約者の姿が……二人は婚約していたのだ。
しかし、心晴はただの被害者ではなかった。
彼女は人知れず巨額の資産と強大なコネクションを築き上げていたのだ。
真実を知った心晴は、復讐の狼煙を上げる。
彼女が選んだ新たなパートナーは、なんと元婚約者の叔父だった。
「これからは私のことを『おばさん』と呼ぶのよ、優奈!」
不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる

不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる

2.1m 閲覧数 · 連載中 · 七海
初恋から結婚まで、片時も離れなかった私たち。
しかし結婚7年目、夫は秘書との不倫に溺れた。

私の誕生日に愛人と旅行に行き、結婚記念日にはあろうことか、私たちの寝室で彼女を抱いた夫。
心が壊れた私は、彼を騙して離婚届にサインをさせた。

「どうせ俺から離れられないだろう」
そう高をくくっていた夫の顔に、受理された離婚届を叩きつける。

「今この瞬間から、私の人生から消え失せて!」

初めて焦燥に駆られ、すがりついてくる夫。
その夜、鳴り止まない私のスマホに出たのは、新しい恋人の彼だった。

「知らないのか?」
受話器の向こうで、彼は低く笑った。
「良き元カレというのは、死人のように静かなものだよ?」

「彼女を出せ!」と激昂する元夫に、彼は冷たく言い放つ。

「それは無理だね」
私の寝顔に優しくキスを落としながら、彼は勝ち誇ったように告げた。
「彼女はクタクタになって、さっき眠ってしまったから」