亡き姉に誓って、彼の妻になる

亡き姉に誓って、彼の妻になる

昆布好き · 連載中 · 418.1k 文字

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紹介

姉を救えなかった罪。
彼女が最後に遺した言葉は、「彼と結婚して」だった。

姉の葬儀の場で、私は彼に結婚を迫った。
彼の承諾は愛ではなく、復讐の始まり。

血に染まったウェディングドレス。
私にアレルギーを引き起こす、姉の好物だった料理。
そのすべてが、私の「贖罪」だった。

――けれど、私が死に、すべての真相が明らかになったとき。
彼の復讐は、永遠の悔恨へと変わる。

チャプター 1

冬月佳奈の棺の前で、狩野真琴は黒いスーツに身を沈め、瞳の奥に溶けきらない悲嘆を滲ませていた。

たった三日。

彼の花嫁は、もう冷たい亡骸になっている。

「佳奈は生前、妹のことが何より気がかりだった。義兄として、絵里奈が嫁ぐ日まで俺が面倒を見る」

真琴は遺影を見つめたまま、顔も上げない。

「要らない。そんな世話」

死んだように静まり返った教会に、その声だけが不自然なほど硬く響いた。

冬月絵里奈が――狩野真琴の、胸を打つ誓いを正面から拒んだのだ。

誰にも、彼女の真意はわからない。

棺の傍らに立ち、冷えた木蓋に手を置いたままの真琴が、びくりと顔を上げる。

充血した目が、目の前の女を射抜いた。まるで今の言葉が聞き取れなかったかのように。

黒い喪服に身を包んだ絵里奈は血の気がなく、しかし瞳だけが決然と燃えている。

その声音には、感情の波が一切ない。

「世話して。けど、義兄としてじゃない」

「真琴、私を妻にして」

空気が、二秒ほど凍りついた。

直後、教会の中が抑えきれないざわめきに包まれる。

囁きが群衆の間で爆ぜ、参列者の顔には制御不能な驚愕が浮かんだ。

佳奈が逝って、まだ数日。

実の妹が、葬儀の場で姉の夫に結婚を迫る。

――恥知らず。

「うそ……私は何を聞いてしまったの?」

「正気じゃない。棺の前で義兄を誘うなんて」

「冬月家はどうやってあんな娘を育てたのよ。尻軽にもほどがあるわ」

視線は侮蔑に濡れ、誰もが絵里奈を唾棄した。

それでも絵里奈は意に介さず、ただ頑固に真琴を見つめ続ける。

自分の義兄。

自分が、どうしても嫁がなければならない男。

真琴の胸が大きく上下し、怒りで顔が歪む。

彼は段を降り、大股で詰め寄ると、絵里奈の襟元を掴み上げた。

「狂ってるのか!」

歯を食いしばった声は、絵里奈を引き裂く刃のようだった。

「佳奈は自分の命と引き換えに、お前を救った実の姉だ! 俺はお前の義兄だ! 葬式でそんな――」

「絵里奈、お前に恥ってものはないのか!」

掴む力が増し、呼吸が詰まる。

だが、喉を締められる苦しさより、彼の瞳の嫌悪のほうが痛かった。

真琴は襟を掴んだまま、絵里奈の顔を遺影へと向けさせる。

「棺を見ろ。死んだ姉を見ろ! お前は彼女に顔向けできるのか!」

良心?

絵里奈の心なんて、あの結婚式の日に砕け散っている。

怒号が遠のき、視界がまた、あの刺すような赤に染まった。

あの日も、周囲は悲鳴だらけだった。

誘拐犯は刃物を掲げ、真琴に二択を突きつけた。

彼が残酷な決断を下すより早く、佳奈が自ら飛び出した。

刃が肉へ沈む音。

それは、絵里奈の生涯で最も深い悪夢になる。

姉がいちばん幸せであるべき瞬間。

世界でいちばん美しい花嫁であるはずだったのに。

自分のせいで、結婚式で死んだ。

床に膝をつき、両手は生温い血でべたつく。

塞いでも塞いでも、姉の傷口から血が溢れた。

佳奈は絵里奈の手を強く握り、涙を溜めた瞳で、掠れた声を絞り出した。

「絵里奈……お願い……真琴と……結婚して……彼を……支えて……冬月家を……必ず……立て直して……」

「約束する! お姉ちゃん、何でもする! お願い、死なないで……!」

泣き崩れる絵里奈に残された、姉の最後の言葉。

それが、絵里奈の生涯の執念になった。

姉は自分のせいで死んだ。

血に染まったウェディングドレスの姿が、忘れられるはずがない。

自分を赦せるはずがない。

自分は罪人だ。

だから姉の遺志は叶える。たとえ最も卑しく、最も唾を吐かれる方法でも。

「――っ!」

乾いた音が頬を打ち、絵里奈は血の記憶から現実へ引き戻された。

顔が横に弾かれ、口の中に鉄の味が広がる。

目の前に立っていたのは冬月知代。

手入れの行き届いた手が、小刻みに震えている。

いつも体面を重んじる母は、今や形相を崩し、絵里奈を指さして罵声を浴びせた。

「恥知らずの屑!」

甲高い叫びが耳を刺す。

「男に飢えて狂ったの? 佳奈が目を閉じたばかりなのに、もう義兄のベッドに這い上がる気? 冬月家の面目は丸潰れよ! こんな恥さらしになるなら、産まなきゃよかった!」

「あなたみたいな娘はいない!」

冷たい言葉が胸を裂いても、絵里奈は折れなかった。

周囲の参列者は指をさし、嘲笑を隠しもしない。

「家の不幸だな」

「知代さんも気の毒に。立派な娘を失って、こんなろくでなしまで抱えるなんて」

絵里奈はゆっくり顔を向け、痺れる頬を舌先で押した。

手で押さえもしない。泣きもしない。目も揺れない。

辱めも、罵倒も、平手も――姉の遺志に比べれば塵だ。

母の肩越しに、恨みで濁る男の目を見据える。

そして、もう一歩近づき、冷え切った声で繰り返した。

「私を妻にして、真琴」

「出て行け!」

真琴が耐えきれず腕を振る。汚物を払うみたいに。

「小野彰! こいつを放り出せ! 佳奈が天国へ行く道を汚させるな!」

屈強な男たちが駆け寄り、絵里奈の腕を乱暴に掴んで引きずった。

抵抗はしない。踵が床を削り、きい、と嫌な音が響く。

視線だけは人垣を貫き、佳奈の白黒の遺影を睨み続けた。

無言の誓いだ。

――やるから。

――必ず、叶える。

バタン!

重い木扉が目の前で閉じ、内側の温もりも光も遮断された。

外は豪雨。

冷たい雨がたちまち薄い黒い喪服を濡らし、骨まで冷える。

ふらついて二歩。膝が折れ、硬く濡れた石段に膝をついた。

膝骨が石に当たる痛みが走っても、感じないみたいに。

雨が青白い頬を伝う。雨か涙か、もう区別がつかない。

絵里奈は雨の中で跪き続けた。

閉ざされた扉に、扉の向こうの真琴に、そして天国にいる姉に。

自分は罪人だ。

姉を殺し、姉の幸せを壊した。

これからは、姉殺しの汚名だけでなく、義兄を誑かす尻軽の汚名も背負う。

それでいい。

それは、受けるべき罰だ。

姉の遺志を叶え、冬月家を復興させられるなら。

真琴に一生憎まれても、世界に唾を吐かれても、受け入れる。

姉の葬儀の日。終わりのない雨の中で、絵里奈は誓った。

姉のためなら何でもする。死ねと言われても、死ぬ。

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